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長崎大学医学部皮膚科学教室開講100周年 記念式典 (平成26年4月12日)
2014.06.30
巻頭言
長崎大学皮膚科・アレルギー科 教授 宇谷厚志
 わが長崎大学医学部は明治維新の10年前、医学伝習所でオランダ海軍軍医ポンペが、松本良順以下12人の日本人に西洋医学教育を始めたことが出発点です。そして皮膚科講座は外科から分離し、大正に入り開設され、本年100周年を迎えました。このような伝統のある講座の教授をしていることに誇りと重責を感じざるを得ません。
 日本全体の医療に目を向けますと「新研修医制度以降、医師も地方より都会をえらぶ風潮から」地方の大学ではどの医局でも医師の獲得に苦労しています。とくに皮膚科では、医学部に女学生が増えたことと、もともと皮膚科は女性に人気があるため、いま若い世代では女性医師が男性の2倍近くになっております。あと30-40年もすれば、男性の寿命は短いので皮膚科医師は、女性が8割くらいで教授もその比率に必然的になるのではないかと思っています。こういう未来像を予想しますと、女性医師が男と変わらない、もしくは勝っている部分を充分に発揮できる医局作りを目指すことは重要ではないかと考えています。まだまだ充分ではありませんが実践しつつあります。一方男性医師は、女性軍に囲まれても萎縮せずより一層研鑽し、九州男子としてまた「紳士たるべく」努力し、能力を絶えず磨いていくような教室づくりを目指したいです。
 さて、皮膚科はもともと梅毒の治療にその端を発していることが多く長崎大学も当てはまります。古い教科書で治療の部分を読むと、その時代時代のブームを反映しているので非常に興味深いです。その時点ではbestと考えられている梅毒治療が後になるととんでもない方法であったというのは、枚挙にいとまがありません。梅毒では、当時の最先端科学である重金属の精製法が発達した後に、水銀軟膏、ヨード、ヒ素、ビスムスなどを用いた治療が実際に試されある程度の効果をみせました。100年前サルバルサン(ヒ素)が秦佐八郎とエーリッヒにより、さらに終戦後22年にはペニシリンが民間でも使用できるようになりました。この前読んだペニシリンが広まった直後の教科書では、「ペニシリンも重金属と同様の効果がある」という文章をみつけました。現時点の常識も、年を経れば非常識になりうるという例です。
 わが長崎大学皮膚科教室は、「常識をうたがい、ものの本質を見抜いて突破口をみつける能力」をもちたいものです。それは「たえず人より多く努力して」身につけるしかありません。僭越ですがこのことを長崎皮膚科学講座のこれからの100年へむけての言葉にしたいと思います。
記念式典 挨拶 記念式典の様子
記念式典 挨拶 記念式典の様子
大阪大学皮膚科教授 片山 一郎 先生 長崎大学学長 片峰 茂 先生 日本皮膚科学会西部支部長 成澤 寛 先生 東京大学皮膚科教授 佐藤 伸一 先生
大阪大学皮膚科教授
片山 一郎 先生
長崎大学学長
片峰 茂 先生
日本皮膚科学会西部支部長
成澤 寛 先生
東京大学皮膚科教授
佐藤 伸一 先生
京都大学皮膚科教授 宮地 良樹 先生 長崎大学病院院長 河野 茂 先生 長崎大学皮膚科同門会会長 西本 勝太郎 先生  
京都大学皮膚科教授
宮地 良樹 先生
長崎大学病院院長
河野 茂 先生
長崎大学皮膚科同門会会長
西本 勝太郎 先生
 
記念式典 集合写真 医局員 集合写真
記念式典 集合写真 医局員 集合写真