長崎大学病院・長崎大学医学部 産婦人科電話でのご予約・お問い合わせ:095-819-7460
教授贅言
「空に昇る」

増崎 英明

 

月日は百代の過客の如くに見えて、じつは大きなうねりの中にある。川の流れの一点にとどまっている間は、そのことに気付かないが、ある日、その一点から外へ出たとき、空から飛行体が現れて、あなたを摘み上げると何処かへ連れ去ることもある。人の世には、昨日まで想像もできなかったことが起こりうる。ほとんどの人はそれを知らずに死んでいく。しかし、選ばれた少数のものは、思いもかけない出来事に出会うだろう。それが本人にとって幸いであるか否か、それは本人とその周囲にいたものだけが知ることである。
2013年5月17日は慶應大学から産婦人科の吉村泰典教授が特別講義で長崎に来ることになっていた。わたしは前日から東京にいて、同日は一日中会議であった。翌日の18日は、吉村先生と大分の九重で山登りをする約束がしてあった。それで会議が終わると、すぐに羽田空港に向かい大分行きの飛行機に乗った。同じ頃、吉村教授は長崎での授業を終えると、平木医局長の車で別府を目指していた。

慶應大学産婦人科・吉村教授の講義風景
慶應大学産婦人科・吉村教授の講義風景
5月17日、長崎大学での吉村教授。カラオケを歌っているのではない。吉村先生は長崎大学で「生殖医療と生命倫理」と題する講義を行った。学生からの評判はたいへん良かった。

別府には私が定宿にしている「山田別荘」がある。そこがその夜の宿泊所である。夕食は別府の「されど屋台」という店に東京組と長崎組が集合して、魚三昧の計画である。食事場所が大分ということもあり、大分大学産婦人科楢原教授を誘ったが、他用とのことであった。大分空港は、以前はホバークラフトで市内まで移動したが、今はかなり不便である。東京組の増崎、吉田(講師)、長谷川(副医局長)は大分空港からタクシーで「されど屋台」へと向かった。一方の長崎組は、吉村教授、平木(医局長)、谷口(助教)のメンバーである。東京組と長崎組が「されど屋台」に集合したときは、すでに陽はとっぷりと暮れていて、提灯のさがった店を見出したときは、さすがにホットしたのであった。
 吉村先生は酒豪である。数年前、吉村先生と三浦准教授と私とで、一晩に、シャンパン1本、ワイン3本、焼酎一升を空けた。それでも足りずに、三人の部屋の冷蔵庫から酒4合とビール(数知れず)を集めてきて飲んだ。その間、温泉宿であるから何度も風呂に入った。午前2時半に飲み会をお開きにして就寝した。翌日の吉村先生の顔はゆでた△△のような色調で、かつ頭頂や顔面からは湯気が立っていた。嘘ではない。深酒の翌朝の吉村教授は、しばしばこのような状況である。ある学会を主催したとき、前日の招宴は午前様で、その時も翌朝は同じようにゆでた△△の状態であった。会長として挨拶されている壇上の吉村教授のおつむからは、まさに湯気が立っていた。

前夜祭
前夜祭
山の前夜祭であるが、すでに翌朝になっている。
前列左から、店長、吉村教授、増崎。後列同じく、長谷川、谷口、平木、吉田。

閑話休題。まあ、その夜も似たような状況で、十二分にアルコールを摂取してのち、宿泊所である「山田別荘」へと帰還したのであった。翌朝は、二日酔いもなく爽快な目覚めである。吉村教授もうまそうに朝飯を二杯お代わりをした。長崎組のひとり、谷口は長崎から大分に至る時間、吉村教授の話し相手として平木医局長に選ばれたのだが、緊張の余りほとんどしゃべらなかったらしい。翌朝は体外受精の予定があり、朝食を終えるとそそくさと長崎へ帰っていった。その日の午後に起こった出来事を思うと、まあ幸運だったと言えるだろう。大分に残った5人は、これから九重に登るのである。九重は深田久弥が『日本百名山』を書き始める際、最初に選んだ山である。そのことは長崎大学産婦人科同窓会誌第47号(2004年)に執筆したわたしの文章を読んでいただければ分かっていただける。五月の九重は深山霧島の群生があり、山はその花の色で紫に染まる。山道の右左に深山霧島を眺めながら山頂をきわめると、そこに良質の温泉が待っている。山人にはよく知られた「法華院温泉」である。山登りで疲れた脚を温泉につけて、ほのかに白く染まった湯を手にすくって顔を湿らせると、えも言われぬ硫黄の香りがそこはかとなく漂って、ここまで来た疲れが嘘のように消えるのである。今日もそういう至福を味わいたい、吉村教授にも味わってもらいたいと、医局員たちが企画した山登りなのであった。
車で登山口まで30分ほど走った。天気は上々。登山口の長者原に着くと、リュックに昼の弁当と水とお菓子を詰め、靴を締め直し、サングラスをかけた。帽子を目深にかぶり直すと、いよいよ出発した。

登山直前
登山直前
そよ風の心地よい、よく晴れた、まさに登山日和であった。
左から、吉田、増崎、吉村教授、平木。

最初は平坦な道を進む。そのうち上り坂になってくる。吉村先生は、みんなの前をずんずん登っている。20分おきに休むように長谷川(副医局長)に命じる。長谷川は、つい先日まで自衛隊三等陸佐であった。古い言い方の「少佐」である。鍛えぬいているから、ひょいひょい登っていく。先頭である。ペースメーカーである。その彼女(言い忘れたが女医である)が驚くほどに、吉村教授は快調に飛ばしていた。3回目か4回目の休みをとったとき、道の隅に長谷川を呼んで耳打ちした。「ペースが速すぎないか。吉村先生に合わせてくれよ」「それが、吉村先生のペースがどんどん速くなるんですよ」「うーん、まあ気をつけて」吉村先生はじつに快調である。私なんか五合目あたりでつらくなってきたのに、ぐんぐん速度を上げている。「どうですか、先生、疲れませんか」「いやあー、快調ですよ」という具合。
そういう時間の中にも、大きなうねりは近づいていた。

やがて運命の時は来た。「あっ」という声が前方から聞こえた。吉村教授が座り込んでいる。石につまずいたという。「ここまでにして山を降りましょう」「いやあ、ちょっと休んでいれば大丈夫」吉村先生は靴を脱いでしばらく休んだあと、ふたたび立ち上がった。後になって思えば、ここで下山すべきであった。だが、誰も言い出せなかった。「温泉はすぐそこだ。入りたい、入ってもらいたい」そういうつぶやきが頭の中にこだました。それから5分後、ふたたび吉村先生から、先ほどより大きなうなり声が聞こえた。尻餅をついた傍に頭くらいの石が転がっている。そして足首は見る間に腫れ上がってくる。さすがに強がりの吉村教授が、「これはダメかな」とつぶやく。「降りましょう」とわたしが言うと、「君たちは上に行って温泉に入っておいでよ」、という。自分はこの場所で待っているというのである。しばらく押し問答があった。その間に、みんなの気持ちがひとつになっていくような気がした。さあ、何とか無事に下山しなければ、そのことにみんなの気持ちが収束し固まっていった。さて、吉村先生は動けるだろうか。恐る恐る先生は自力で動こうとした。動けない。そのことはすぐに分かった。男どもは、脚に添え木をしてとか、簡易のベッドを作ってとか、いっそのこと、みんなで抱え上げてとか、それぞれに下山の手段を考えていた。一方の紅一点、長谷川少佐はさっさと電話をかけ始めた。尻のポケットから取り出したiPhoneを耳に当て、岩の上に飛び乗って、空に向かって声をあげた。「大分警察ですか、九重の中腹辺りで動けなくなりました。ヘリを要請しまーす。」じぇじぇじぇ、すごい決断力。男どもは黙ったまま、彼女の行動を見守るだけであった。「先生方、携帯をみせてください。GPS機能の優れた携帯を持っている人があれば、それで連絡してくれと言ってます。」じぇじぇじぇ、GPS機能なんか付いてないよ、と思いながら携帯を出すと、「先生のはダメです。先生のもダメです」というわけで、使えるのは結局、少佐の携帯だけだった。少し後に知ったことを解説しよう。本来、すべての携帯にGPS機能はあるそうだが、その精度が違っていて、通常の携帯では1.5キロメートルの範囲を探す必要があるが、iPhoneだと捜査範囲を330メートルまで縮められるのだという。じぇじぇじぇ、知らなかった!!そして、長谷川少佐の何とかっこいいこと。日本の自衛隊の底力を見せられた気がした。(長谷川君はすでに除隊していて、今は長崎大学産婦人科の副医局長なのであるが・・・)。

長谷川少佐
長谷川少佐

さあ、ヘリが来るぞ。男どもはそう思った。思ったが、どうしていいか分からない。みんなの視線は長谷川少佐ただひとりを見つめている。少佐は何事もなかったかのように携帯で話している。「そうですか、では宮崎からですね。上空が見える場所に移動する。了解です。何とかやれると思います。白いものを振る、タオルでも帽子でもよい。ですね。了解です」男どもの耳はダンボ状態である。少佐が携帯を切って解説する。「どうやら大分の救急ヘリがいないそうで、宮崎から飛んでくるそうです。30分ほどで到着するそうです。上に樹がかぶさっていない、広場のような上空の見える場所に移動しろということです。ヘリの視界は思ったほど良くないんですよ。ヘリの音が聞こえたら、帽子でもタオルでも白いものを振るようにということでした。いずれにしろ、吉村先生を広い場所まで運ぶ必要があります」そこは狭い山道である。回りはうっそうとした森である。広場がどこにあるだろう。上か下か。「ぼくが上を見てくるから、吉田は下を見てきて!」日頃は口数の少ない医局長の平木が珍しく前医局長の吉田に声をかけた。ふたりは同級生で、一見仲がよい。じつは年齢は平木が上なので、平木は吉田を呼び捨てにするが、吉田は「平木さん」とさん付けで呼ぶ。そこに微妙な感情の行き違いがあるのではないかと増崎は日頃から思っていた。だが、この日、増崎の誤解はきっぱりと解けた。ふたりの呼吸がぴったりだったからである。こういう不幸な出来事の中にも、何らかの喜びは必ず存在するのだ。平木は山登りは嫌いである。彼が好きなのはただひとつ、釣りしかない(もしかしたら家族も好きかも知れないが・・・)。医局員の中で、英国留学中の増崎教授(当時は助教授)を訪ねてロンドンまで行ったのは平木だけである。英国へ行く前、平木は増崎助教授に国際電話をかけて言ったそうだ。「先生、せっかくだから、アイザック・ウォルトン・ホテルに泊まってみたいです。それから、英国流にフライに挑戦しようと思います。先生もフライの道具をそろえて、投げる練習をしておいてください」ちなみにアイザック・ウォルトンとは17世紀の英国人である。聖書の次に読まれたという『釣魚大全』の著者で、その彼が宿泊したというホテルがイングランド中部にあるというのだ。遠いけれども仕方がない。日本から来てくれたのだからと、出かけてみてびっくり。恐ろしく美しい景観。野鳥や野ウサギが戯れる護岸のない川が拡がっている。白と黒の羊がのどかに草を食べている。ダブ川の一画を借りて平木は初めてのフライに挑戦した。そして第一投目で見事トラウトを釣り上げた。わたしはそれ以来、平木を秘かに「天才釣り師」と呼んで、釣りの師匠と崇めているのである。しばらくして、平木は山を降りてきた。浮かない顔を見ただけで、山の上には広場がないことが分かった。
「ありましたよ!」山を駆け上がってきた吉田が言った。頬が紅潮している。「200メートルほど下ったところに広場があります」「ヘリが降りられるのか?」「降りる必要はないとヘリは言ってます」「降りないでどうするんだ?」「縄ばしごを下ろすんでしょう」みんなの視線が吉村先生に集まる。縄ばしごでどうするんだろう?吉村先生が中空に停止しているヘリまで縄ばしごを登っている姿が彷彿とした。「救助員が降りてきて、吉村先生を抱えてヘリに戻るということです」少佐の説明で少し安心した。広場までの200メートルは、平木と吉田が腕を貸して、吉村教授の両肩を支えながら、ナメクジのようにゆっくりと山を下った。足元が悪い。大小の石が靴を安定させない。すべりそうになると、吉田が踏ん張る。平木は自分の靴を吉村先生に提供したので、慣れない靴を履いている。それを知っている吉田は二人分踏ん張った。「吉村先生、ももも、もう少しです」吉田は頻回に吉村先生に声をかけた。吉田は訥弁である。子どもの頃はひどく悩んだらしい。親に言われてしゃべり方教室に通ったらしい。それでも完全には直せなかった。緊張すると、どもりが復活する。吉村教授を初めて自分の自動車に乗せたとき、緊張からどもりが出た。すかさず増崎教授は「吉田は訥弁だもんな」と茶化した。茶化された吉田は、増崎の茶化しに慣れているので何とも思わず笑っていたが、師弟の話を聞いていた吉村先生は怒った。「吉田はどもってないよ!」と強い口調で増崎をたしなめた。驚いたのは吉田で、あわてて自分の訥弁の説明を始めた。とつとつとした好い話だった(内容は忘れたが・・・)。それ以来、吉村先生は吉田を気に入ったようであった。東京で会うと「吉田、この頃どうしてる」と声をかけられた。その吉田が、こまごまと吉村教授の世話をして、どうやら広場にたどり着くことができた。みんな思い思いに、岩場に腰を下ろしてヘリを待った。

ヘリを待つ吉村先生
ヘリを待つ吉村先生

吉村教授も一段落が過ぎて、落ち着いているように見えた。「いやー、いい経験だな。普通こんな経験は一生しないだろう。君たち大丈夫だよ。なーにも心配ないよ」そう言って、吉田を呼びつけると、こう言った。「吉田、お前はさ、もういいから。あとはしっかり写真を撮ってくれ。ヘリが来て、おれがヘリに収容されるまで、しっかりカメラをとり続けてくれ」吉田の顔がグッと緊張した。「わわわ、わかりました!」吉田はカメラ扱いが下手である。医局長時代は写真を持たされなかった。その吉田のとった写真がいかに素晴らしいものであったか。ごま粒ほどのヘリが接近し、突風を吹かせながら目の前まで降りてきて、吉村教授を乗せて空の彼方へ消えるまで、見事な連続写真として残せたのは、すべて吉田のお手柄である。

さあ、いよいよヘリの爆音が聞こえてきた。何度か近づいたり遠ざかったりをくり返しながら、私たちの帽子やタオルに気付くまでに15分ほど経過した。ヘリのパイロットと少佐は緊密に連絡を取り合い、ついに、ヘリは目の前に来た。途轍もない風が土埃を巻き上げる。周囲の木の葉を吹き散らしながら、目の前5メートルの地点で停止すると、ヘリの底からスルスルと縄ばしごが降りてきた。そのはしごの端にはオレンジの服を着た救助員がくっついている。オレンジの救助員は、縄ばしごの端で重心をとりながら、吉村教授にジリジリと近づく。やがて吉村教授に抱きつくと、耳元でしきりに何事かささやいている。爆音で聞こえないが、吉村教授はいちいちうなずいている。救助員の方はサングラスをかけているので表情は分からないが、吉村教授は落ち着いている。不思議なほど適応している。地上を離れる瞬間、吉村教授はわれわれに向かって、強く手を振った。吉田は強風に飛ばされそうになりながらも写真を撮り続けた。

救助員と吉村先生
救助員と吉村先生

月日は百代の過客の如くに見えて、じつは大きなうねりの中にある。川の流れの一点にとどまっている間は、そのことに気付かないが、ある日、その一点から外へ出たとき、空から飛行体が現れて、あなたを摘み上げると何処かへ連れ去ることもある。連れ去った先は果たしてどこなのか。後編へとつづく 9.21

空に昇る
空に昇る