長崎大学病院・長崎大学医学部 産婦人科電話でのご予約・お問い合わせ:095-819-7460
教授贅言
「収穫ー桃-」

増崎 英明


桃

 由来
 今年の春に咲いてくれた桃の花(つぼみ)である。しばらく見つめていると、桃の種を植えてからの年月が彷彿とする。指を折ってみると、いつのまにか12年という年月が過ぎていたのである。「桃栗3年」というが、最初に花を付けたのは、発泡スチロールで自作した苗床に、庭の花桃の種を植えて8年目であった。10個ほどの種を植えたであろうか。そのうち芽を吹いたのは7本であった。背丈が伸びないように、吹いてくる新芽を次々に切り飛ばし、一度は土から引き抜いて根をさばいておいた。その時に思い切り大きく入れた根元の一曲が今になって効いている。3年目にはマッチ棒ほどの幼木が5本、5年目には鉛筆ほどにまで太ったが、生き残りは3本にまで減った。それで、生き残った祝いに、発泡スチロールから抜いて鉢上げしてあげた。ようやく半人前、芸者でいえば半玉である。素焼きの鉢で高価ではないが、それでも3本の桃の木は、それなりに喜んでいるように見えた。そうして8年を経たときには、わずかに1本だけが生き残った。寒いうちに化粧鉢に植え替えてやると、長い間に鍛えたわが身を誇るが如く一輪だけ花を咲かせた。寒さに耐え、暑さに逆らって、月日を重ねるうち、いつの間にか知らず知らず身を充実させていたのである。9年目、10年目、11年目には、しかし、花は咲かなかった。9年目の夏に、水やりの不足から枝枯れをきたした。そして一方向へ伸び進めた枝の、その半分ほどが枯れ落ちた。この桃の木にとって、それがいかに痛手であったか、その後の3年間つぼみを諦めて養生に当てたことで、彼女の痛みを測ることができる。幹には老残を示すような皺が生まれた。掘り出してみると、根の一部にも甚だしい損傷が認められた。著しいまでのストレスが、桃の木を本来の年齢以上に年寄らせたのである。じっと身を慎んで、大きな傷の回復を待った。花を咲かせることは無論のこと、枝葉を伸ばすことさえもわが身に禁じて耐えた。そうして12年目の今春、満を持して彼女はつぼみをつけてみた。五つのつぼみは、あるだけの力をひとつに注いで、一輪だけの花弁を開いたのである。
 
 観賞
 鉢は縦横5cm高4cmの正方鉢。黄色の小鉢は比較的珍しい。絵柄は四面とも伝統的な「波に千鳥」で、鉢の面には使い込まれた味が出ている。裏に「大助」の落款がある。作者は佐野大助である。佐野大助は大正8年生。友禅の手描職であった。昭和24年頃より鉢の絵付けを始める。自分で鉢を焼くことはせず、もっぱら他人の成型に絵を描いていたが、やがて弟の市太郎が鉢の成型を始めると、兄弟の合作銘品が生まれた。市太郎は「心山」を号した。合作には「大助」と「心山」の落款が見られるが、この鉢に「心山」の落款は見られない。大助の画風は花鳥風月のほか、山水、人物など多彩。江戸絵画・浮世絵風のものも多い。樹種は桃Amygdalus persica。バラ科モモ属。落葉小高木で、葉は花に遅れて開く。中国原産。果実を楽しむ実モモと花モモがある。花色は可憐な薄モモから妖艶な濃紅まであるが、樹形や幹肌はやや下品。そのため庭木としての好みは個々による。本樹は、根上がりの懸崖風に配置良く植え付けてあるものの、足下に密生する苔の放置された様子が十分な観賞を妨げている。幹については、根元にまず一曲があり、この強い曲がりが、まさにこの樹の生命である。根元の一曲からは、樹芯を三次元的に捻るように上方へ伸ばしながらも、樹高は10cm未満に抑えられている。水平に伸びていた枝先は夏枯れの跡が痛々しいが、途中から上方へ伸びた枝が天芯となって昇竜にも似た樹形となっている。樹高8cm、樹幅5cm、均整の取れた、小さい中に年月を宿した風格がほの見える。すべての葉を落とした枝先に、桃色を幾重にも折り込んだつぼみがいくつか見えている。樹肌は飽くまで黒く密で堅く、力を込めて曲げようとしても、たわむような気配はない。樹形は、この年齢にしてすでに完成の域にあるといえる。目を近づけると、樹皮は亀甲紋を形成して、つぼみの色の妖艶さもあり、荒れた肌の具合が臈長けた感じを与えている。

 解題
 不惑を過ぎた頃、思いがけず草木に目が止まりだして、いつの間にか樹木の名前を言えるようになった。知らない土地を歩くとき、あるいは毎日通っていた道ばたにも、今まで知らずに通り過ぎていた草木がこんなにも溢れていたのかと不思議でならない。ああそうだ。むかし自分の育った実家の庭先、池のほとりに咲いて、白い大きな花弁を膨らませていたのは、父がシャクナゲと呼んでいたのは、あれは本当は泰山木だったんだ。春になりたての小学校の校庭に、ぼたぼたとでっかい花びらを敷き詰めていたのは、なーんだ白木蓮だったんだな。今になって、むかしの景色がよみがえったり、いつもの景色が違って見えて、新鮮な驚きにうたれる。小説に書かれた草花の情景を余計なものとしか思えなかった自分が、今では通り過ぎた月日のようである。人生に新しい世界が開けてくる喜び、日ごと息を吸い、知らないうちに味わっていた樹木の匂い、ただの街路樹の根元のこぶや樹肌の荒れ、何の所為で出来上がったのか樹芯の揺れ、木々もまた我々と同様に一本ずつ違った生き方をしてきたのだ。自分の寿命より長いはずの樹木の寿命。あるいは、泡のように消えていく運命だった、種子に閉じ込められた何億という生命。森の中に隠れたそれぞれの木や草が、生きている間だけは、いとおしくも匂いを放っている。切られれば痛み、樹液を出して修復する。寿命が長いだけに、ゆっくりとしてはいるが、我々同様に樹も動いている。動いて、自分の調子を図っている。栄養である陽光を求めて、わずかずつ右へ左へ幹を揺らし続けている。枝を伸ばしたり落としたり、実をつけたり休んだりしている。そのような生活の総体が樹形を作り出す。一本の木の中に認められる木としての人生。縦に伸びようとして抑えられ、横に進もうとして止められたせいで、木は自ずから螺旋状の形態を生み出していく。時々に出会った喜びと成長、日照りや豪雨などの障壁、台風に奪われた枝や幹の傷、悲しみながらの修復。樹格は、その木が生きてきた記憶であり、生きざまの正しさを示している。そういった景色を手のひらに乗せて楽しむ。気に入った樹木の幹肌や根や樹冠のすがたを身近で眺めていたい、その気持ちを表現するのが盆栽なのである。

桃