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教授贅言
「杜子春」

増崎 英明

 

 昨年暮れのこと。会議まで時間があり鎌倉のイチョウを見たいと思ったが、遅くなったので染井の慈眼寺へ行った。ここには芥川龍之介の墓がある。妻だった文子の残した手記には、芥川の遺言で墓石は愛用の座布団に似せたと書いてある。駒込駅から歩いて探すうちに暗くなったが、人家のわずかな灯りを頼りに二男が見つけてくれた墓は、通常の墓石で「芥川家の墓」とあった。
 芥川は若死にしたので残された作品は少ないが、初期の作品には秀作が揃っている。小中学の教科書に採用されるたぐいのもので、私には『蜘蛛の糸』の記憶がある。高校生の娘の教科書には『羅生門』があった。
さて童話集「赤い鳥」に掲載された作品のなかに『杜子春』という一編がある。読まれている方も多かろうと思う。今年の正月に、中国の唐の時代に書かれた伝奇集を読んでいると、その中に『杜子春』があったので、芥川の作品には原作があることを知った。ところが案に相違して、両者の内容は似て非なるものであった。換骨奪胎。箱の形を中国の話にとりながら内容は日本向きに直されている。そこで芥川が変更を加えた箇所に注目すれば、自ずから芥川の好みや、中国と日本との情感の違いも明らかになるのではないか。さらには自分の嗜好を知るよすがともなると思えた。起承転結が明瞭なので、その順序に従って、原作と芥川のものを比べてみよう。
 起こり
 杜子春は、北周から隋にかけてのひとである。若い時から自堕落で、勝手気ままに酒を飲み、親戚や友人を頼って生きていた。真面目に働かないので、いずれ誰からも見捨てられる。今日も杜子春は都の長安でただ空を見上げて立っていた。以上は原作であるが、芥川の『杜子春』は設定が唐の時代で、都は洛陽である。そこへ一人の老人がやってきて、杜子春に声をかける。
 展開
 老人は杜子春の窮状を聞き出すと救いの手を差し伸べる。芥川の『杜子春』では、老人に指示された土地を掘ると黄金が出土してまたたく間に洛陽で一番の大金持ちになる。原作は少し手が込んでいて、老人はまず「いくらあったら暮らしていけるかね」と杜子春にたずねる。「四、五万あれば暮らせます」とこちらの杜子春は謙虚である。老人は「もっといるだろう」「それでは十万」「まだまだ」「三百万」ということになる。これでも結構な額だったのか中国の杜子春は、これだけあればいくら遊んでも生涯二度と放浪をすることはあるまい、と思うのである。そこで飲めや歌えやで仕事もしないでいると二、三年で金がなくなってきた。着物や車や馬の高いのを売って安いのにする。馬をやめて驢馬に、驢馬も売って歩くことにする。やがて元の一文無しになってしまう。金持ちになるにも、貧乏になるにも、その間の成り行きが、原作には短くではあるが書き込んである(老人の与える銭の額が、三百→千→三千と増えていくことに注意されたい)。杜子春の優柔不断さが強調されているのである。
 一方、日本の杜子春は、立派な家を買い、玄宗皇帝にも負けないくらい贅沢な暮しをしたとある(富貴の内容は原作より具体的で、蘭陵の酒、桂州の竜眼肉、日に四度色の変わる牡丹、白孔雀、玉、錦、香木の車、象牙の椅子、などと詳しい。友人が遊びに来ると、毎日朝夕は酒盛りで、金杯に葡萄酒をつぎ、天竺の魔法使いを見ながら、女たちは翡翠の蓮の花やメノウの牡丹の花を髪に飾って笛や琴を奏する、という贅沢さである)。当然のように金は減る。途端に友人たちは見向きもしなくなる。日本の杜子春は財産が増える時も早かったが、減る時も悪あがきはせず、きっぱり元の一文無しに戻ってしまう。
 こちらは中国の杜子春である。一文無しでため息をついていると、以前の老人が現れて、また助けてあげようという。杜子春は恥じ入って言葉もない。老人は黙って銭一千万をくれた。今度こそと思いはするが、やはり三、四年で前以上の貧乏になってしまう。日本の杜子春の方にもほぼ同じことがあって、同じように一文無しになる。日本の杜子春も原作の杜子春も、貧乏→金持ち→貧乏→金持ち→貧乏、と繰り返したところで、いよいよ話は佳境を迎え、そうして芥川と原作との違いが漸く明らかになり始める。
 発展
 そこに老人が三度目の登場である。日本の老人が、やはり天下第一の金持ちになるだけの金を与えようとすると、杜子春は「いや、お金はもういらないのです」と言う。老人はいぶかしそうに、贅沢に飽きたのかと尋ねる。「贅沢に飽きたわけじゃありません。人間というものに愛想がつきたのです」金持ちの自分には世辞も追従もするけれども、いったん貧乏になると離れていく、それを考えるともう一度金持ちになっても意味がないように思われる、と日本の杜子春は老人に説明する。「ではこれからは貧乏をして、安らかに暮らしていくつもりか」そう詰め寄られた杜子春は、ちょっとためらった後、老人に向かって決心を告げる。「それも今の私にはできません。ですから私はあなたの弟子になって、仙術の修行をしたいと思うのです」老人が道徳の高い仙人であることを見抜いたうえで、杜子春は、自分の先生になって不思議な仙術を教えてくれと頼むのであった。さて、ここで考えていただきたい。杜子春が仙人になる目的は何か?老人が杜子春を仙人にする目的は何か?このあと、日本の杜子春は仙人になるため修行の地へと旅立つ。
 一方、中国の老人もまた三度目の登場である。こちらは銭三千万を取り出すと「これでダメならお前さんの貧乏症はもう救いようがない」と告げる。日本の杜子春は三度目は受け取らなかったが、中国の杜子春は受け取る。そしてこう言う。「わたしはこの金で、世間への義理を果たすため、一族の中で身寄りのない寡婦や孤児を暮らせるようにしてやりたい。それが終わったら、あとは何なりとあなたの意のままに致しましょう」そう言うと、老人からもらった三千万の銭で良田を買い、屋敷を作って寡婦や孤児を住まわせた。甥や姪で結婚できないものは結婚させ、墓地のないものは墓地を作ってやり、恩を受けた者には恩を返し、あだを受けた者にはあだを返した。そうしておいて、老人の元へ向かった。ここで注意していただきたい。中国の杜子春は老人が仙人であることを知らない。日本の杜子春と違って見抜いていない。その上で老人の言うことを聞くと誓った。つまり弟子ではなく下僕になると言っている。それでは、中国の老人の目的は何であろうか。話は次のステージへと移行する。
 転換
 場面はいずれも山の中である。日本の杜子春は、老人が仙人であることを見破った。老人もまた自分が鉄冠子という名前の仙人であることを認めると、杜子春を弟子にとりたて、修行の地まで青竹に乗って飛び立ち我眉山に舞い降りる。そこは人跡未踏の地である。そこの絶壁の下に杜子春を座らせると、次のようなことを言い置いて去った。「おれはこれから天上へ行って、西王母に会うので、その間、ここに座っておれの帰るのを待っているがよい。その間にはいろいろな魔性が現れて、お前をたぶらかすが、決して声を出してはならない。一言でも口を利いたら、お前は到底仙人にはなれないものだと覚悟をしろ。好いか。天地が裂けても黙っているのだぞ」
 一方、原作の老人である。こちらの老人は、飛んでいく、というようなことはできなかったようで、杜子春と一緒に歩いて山を登っていく。華山の雲台峰というところである。そこに一軒の家があった。たいへん清らかで、上には美しい雲がたなびき、鶴が舞っている。家の中には仙薬を練る炉があって、九人の玉女が炉の周りに立っている。そして、青竜と白虎が前後に控えていた(仙薬を作るための場所であることに注意されたい)。老人は今までの俗世界の着物ではなく黄色の冠をかぶり、道士の服装をしている。手に丸薬を三粒と酒を一杯持ち、それを杜子春に飲むようにといった。飲み終えるのを確認すると、虎の皮を部屋の西側に敷き、そこに杜子春を東向きに座らせた。そしてこう言うと去っていった。「絶対にものを言ってはならぬ。尊神、悪鬼、夜叉、猛獣、地獄があらわれ、またお前の親族が縛りあげられてさまざまな苦しみを受けるが、すべて真実ではない。ただ動かず、物をいわず、心を安んじて恐れずにおりさえすれば、何の苦しみもないのだ。わしの言ったことを守るのだぞ」
 さあ、これから両者はいずれもたいへんな試練に遭遇するのであるが、その試練のあいだに両者の違いもまた明らかになる。ここでは二人が体験した出来事を詳細に語ることはせず、簡潔に両者の相違を浮かび上がらせるように描いてみよう。まずは日本での出来事から。最初は中空からの脅かしの声。「そこにいるのは何者だ。返事をしないとたちどころに、命はないものと覚悟しろ」ついで虎や大蛇が現れ、杜子春に飛びかかるが、命がなくなるかと思った時には消えうせる。杜子春はほっとして、今度は何が起こるかと、むしろ心待ちするようになる。そのあと、やっと本命の三叉の鉾を持った神将が出現する。さらに雲の裂け目から無数の神兵が現れると、さすがにあっと叫びそうになるが、鉄冠子の言葉を思い出して一生懸命に黙っていると、怒った神将は杜子春を突き殺す。杜子春の魂は、この世から地獄の底へと降りていくのであった。
 一方の中国では、猛虎、毒竜、獅子、蝮、蠍などが何万と襲いかかる。牛の頭をした獄卒や奇怪な顔の鬼神を引き連れた大将軍が現れ、杜子春から声を引き出そうと脅すが、うまくいかないので杜子春の妻をとらえてくる。ここにきて、中国の杜子春は妻帯者であることが知れる。妻は、鞭打たれ、弓で射られ、煮られたり焼かれたり、耐えきれない責め苦を受けたあげく、杜子春に向かって泣きわめく。「わたしはふつつか者ですが、すでに十年もあなたにお仕えしました。その妻が鬼神に捕えられて耐えがたい責め苦を受けているのです。あなたがひとこと物をいってくだされば、わたしの命は助かるというのに、あなたはどうしてそのひとことを惜しまれるのですか」妻としては当然言いそうな言葉である。のちに見られるように、芥川はこの妻を母親に置き換えている。杜子春は妻の言葉には見向きもしない。それをみた将軍は彼を切り殺させ、それから地獄の閻魔大王のもとへ連れて行かせた。こうして日本と中国の杜子春は、それぞれの生まれた国の習慣やものの感じ方の違いを明らかにしながら、いよいよ最期の場面へと突き進んでいく。
 収束
 地獄では大勢の鬼に囲まれた閻魔大王の前に引き据えられた。「こら、その方は何のために我眉山の上に坐っていた?」日本の杜子春(すでに死んでいるので、その魂というべきか)は、ここでも唇ひとつ動かさない。さっそく地獄へ送られ、剣で胸を突かれ、炎で顔を焼かれ、舌を抜かれ、皮をはがれ、油で煮られ、毒蛇に脳みそを吸われ、鷹に目を食われたりするが、それでも物を言わない。閻魔大王は、しばらく思案したあげく、「この男の父母は、畜生道に落ちているはずだから、さっそくここへ引き立ててこい」と、一匹の鬼に言いつけた。鬼は忽ち風に乗って、地獄の空へ舞い上がり、二匹の獣を駆り立てて森羅殿の前に降りてきた。杜子春が見ると、驚いたことに、形はみすぼらしいやせ馬であるが、その顔は忘れもしない死んだ父母である。閻魔大王は言う。「こら、おまえは何のために、我眉山の上に坐っていたか、白状しなければ、今度はその方の父母に痛い思いをさせてやるぞ」それでも我慢して返答しないでいると、「この不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さえ都合が好ければ、好いと思っているのだな。打て。鬼ども。その二匹の畜生の肉も骨も打ち砕いてしまえ」父母の肉が裂け骨は砕けて、息も絶え絶えになっても、杜子春は鉄冠子の言葉を思い出して、堅く目をつぶっていたが、その時ほとんど声とはいえないほどの、かすかな声が耳に伝わってきた。「心配おしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるなら、閻魔大王がなんとおっしゃっても、言いたくないことは黙っておいで」それは懐かしい母親の声であった(中国の妻の言葉と対比していただきたい)。日本の杜子春は思わず目をあけると、悲しそうに彼の顔へじっと眼をやっている母親を見た。その瞬間、杜子春は老人の戒めも忘れて、転ぶように母親へ走りよると、両手に半死の馬の首を抱いて、はらはらと涙を流しながら、「おっかさん」と一声を叫んだ。・・・・・・
 一方、中国では、やはり地獄へ送られた杜子春は、赤く焼けた銅柱を抱かされたり、鉄で打たれ、ひき臼でひかれ、火の穴へ投げ込まれ、剣の山へ追い込まれたが、ついにうめき声一つ立てなかった。閻魔大王はこのとき、驚くべきことを思いつく。次の責め苦として、杜子春を女に生まれかわらせるのである。別の世で王勤という副知事の家に娘として生まれた杜子春は、生まれながらの病弱で、鍼や灸、医者や薬は手放せず、火の中へ落ちたりとさまざまな苦しみを受ける。だが声の出せないままにも絶世の美女に成長した。やがて同郷の進士に見初められると、数年間は仲睦ましく暮らして男の子がひとり生まれた。ある日、その子が二歳のとき、父親は子供を抱いて母親である杜子春に話しかけた。だが、いつも返事がないことについカッとして言った。「むかしある人の妻は美貌を鼻にかけ、夫を馬鹿にして物を言わなかった。それでも夫が雉を射止めたので初めて笑い、それからは物を言うようになったそうだ。おれの身分は大したことはないが、文芸にかけてはそれなりの手並みはあるのに、それでもお前はものを言わぬ。男として妻に馬鹿にされるようでは、子供を持ったとて何の役に立つものか」そういうなり、子供の両足を持ち、頭を石の上に叩きつけた。たちまち子供の頭は砕けて、血が飛び散った。そのとき杜子春の心の中にたちまち愛の気持ちが生まれ、道士との約束を忘れて、思わず、「あっ!」と声をあげた。・・・・・・
 結び
 「おっかさん」と声を出した日本の杜子春は、元通り、洛陽の門の下で夕陽を浴びて、ぼんやり立っていた。「どうだな。おれの弟子になったところが、とても仙人にはなれはすまい」老人は薄笑いを浮かべながら言った。杜子春は「なれません。しかし私はなれなかったことで、かえって嬉しい気がするのです」鉄冠子は急に厳かな顔になると、「母親の声を聞いて、それでもお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。お前はもう仙人になりたいとも、大金持ちになりたいとも思うまい。ではこれから何になりたいかな」「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです」「その言葉を忘れるな。二度とお前には遇わないから」こう言って歩き出した鉄冠子はふと足を止めて杜子春を振り返ると、「今、思いだしたが、おれは泰山のふもとに家を一軒持っている。その家を畑ごとお前にやるから、行って住まうがよい。今頃は家の周りに桃の花が一面に咲いておるじゃろう」と、さも愉快そうにつけ加えた。
 「あっ!」という声が終わらぬうちに、杜子春は元の場所に坐っていた。元の場所とは、道士が仙薬を練るための部屋である。目の前にはその道士がいた。見回すと、大火が部屋を取り囲んでおり、道士の建物がみな焼けている。道士はため息をついて、「この貧乏書生め、わしをこんな目にあわせよって!」と言うと、杜子春を水がめの中へ投げ込んだ。まもなく火が消えると、道士は杜子春に歩み寄った。「おまえの心は、喜怒哀苦悪欲の六つは忘れることができたが、愛を忘れることができなんだ。さっきお前が「あっ!」という声を出さなかったら、わしの仙薬は完成し、お前も仙人になることができたのじゃ。まことに仙人の才は得難いものじゃ。仙薬はまた練り直すこととして、お前はやはり俗界におくよりほかない。まあ、元気でおやり」と言うと道を指さして杜子春を帰らせた。中国の杜子春は家へ帰ってからも、道士との約束を破って声を出したことが恥ずかしく、もう一度努力して過ちをつぐないたいと、雲台峰へ登ってみたが、人の通れるような道はどこにもなく、無念に思いながら引き返した。
 解題
 さてふたつの『杜子春』をどう読まれたであろう。中国的発想の大きさと厳しさ、日本的情緒と甘さ。芥川龍之介が原作の面白み(性転換、母親の子供への愛)を日本の子供向きに分かりやすく書きなおしたこと(子供の母親への愛)はあるにしても、原作の持つ何とも言いようのない、一筋縄ではいかない筋運びの醍醐味は芥川の文章からは失われている。原作で行われる妻に対する責め苦を、芥川は父母に対するそれと入れ替え、その上で、杜子春自身が母親となって自分の子を責められるという逆転の場面を削除している。その分、芥川のほうが原作より一段落だけ短いのである。すなわち原作では、母親の子供への愛を至上のものとして描き、芥川は子供の母親に対する愛を至上のものとして描いたとも言える。このあたり、原作のひねりと奇抜さ(sense of wonder)が薄まってはいないか。むしろ内田百閒あたりに書かせればどうだったろうと思わせる(そういえば百閒には終焉近い芥川を書いた『山高帽子』がある)。しかし一方で、さすが芥川と思わせるのは、細々した描写がリアルなことで、地獄の恐ろしさは原作の比ではない。それにしても、声を出さないという杜子春の苦行は、誰のためのものであったのか。芥川の方は杜子春を悔悛させるため(杜子春のため)、一方の原作については、杜子春に仙薬作りの手伝いをさせるため(つまり道士のため)というのが答えのようである。最後の最後、日本の杜子春は老人から住居をもらうが、それに対する中国の杜子春が受けた現実の厳しさが、いかにも読後に残る。総括として私には原作に惹かれるものが多かった。なお中国の『杜子春』は駒田信二訳『中国怪奇物語』によった。
 芥川龍之介
 芥川龍之介は美貌の青年であった。知的で前途有望な文士であった。夏目漱石の晩年の弟子として嘱望された存在であった。芥川は『鼻』で彗星のごとく文壇に登場し、一作ごとに内容を変え文体を精練していった。しかし、生涯のどこかで悪魔に取り憑かれた。そこからの人生は急降下し、取り憑いた悪魔を忘れようと薬を常用し始めた。内田百閒の『山高帽子』には、そうした時期の芥川の姿が奇怪な生き物のように描写されている。妻であった芥川文の回想によれば、毎日の会話は自殺から引き離そうとする努力の連続であったという。ついに自殺を知ったとき、常に緊張を強いられた若い妻としては、悲しみよりむしろか安堵を感じたのではないか、と回想からは感じられた。芥川の亡骸を前に、妻の文子は「お父さん、よかったですね」とつぶやいたそうである。長崎滞在中に書いたという河童の絵を、長崎のどこかの美術館か博物館で見た記憶がある。乳房のある色っぽい洒脱な河童であった。俳名は「我鬼」。写真は、悪魔に憑かれる前のさわやかな芥川と、悪魔に魅入られた後のものである。

芥川龍之介