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周産期医療の魅力―家族のきずなー
長崎大学医学部産婦人科 増崎 英明
はじめに
 長崎大学産婦人科学教室の主任を拝命して7年が過ぎた。時間を旅人と捉えた芭蕉や、川の流れに比した長明を引くまでもなく、人生の短さを嘆く文章には事欠かない。わたしの7年という年月もまた、またたく間のことであった。今にして思えば、この間に何かを守るために自分自身で動いたこと、言葉にしたこと、その中には振り返って赤面するが如き言動もあった。
 7年前の産婦人科の状況といえば、まさに明日をも知れぬ青息吐息の状態であった。明日にでも債権者が現れて、赤紙を貼って回るのではないか、そういう危機感の中にあって、産婦人科の医療を継続するためのあらゆる努力を惜しまなかったし、自分の時間を注ぎ込んだ。そのことは自慢してもよいと自分に許している。努力の中身がどうだったか、どういう効果があったか、それらは知る人は知っているし、今更どうでもいいことである。7年が過ぎてみて、医局員は確実に増えた。入局者がさほどに増えたわけではない。辞める医局員が極端に減ったのである。今は一定の落ち着いた状態の医局があり、わたしもまた余裕を持って医局の運営にたずさわっている。なぜ医局を辞める産婦人科医師が減ったのか。年々歳々、生まれてくる新しく医師を目指す人たちに、周産期の魅力の一端をご披露したいと思う。
1. 「お産」という喜び
 従前の周産期医療が「きつい」「きたない」「危険」など3Kと呼ばれる状況であったことは否定できない。すなわち自己犠牲の上に成り立つような性格の診療科であった。しかし分娩という人の根源と連なる診療であることから、使命感を持って産婦人科医師を目指す医師は少なくなかった。それがある時期、医療事故に対するマスコミからの攻撃や医療訴訟の増大に遭遇して、一挙に崩壊という危機に瀕するまでになった。しかし、その後の産科婦人科学会をはじめとする動きもまた顕著で、地方における産婦人科医師の集約化、訴訟減少を目指した産科医療保障制度の創設、周産期領域への様々なインセンティブ等が進んだ結果、マスコミの論調もまた百八十度転換して、周産期医療は一定の追い風を受けるようになった。以上の凄まじいまでの変遷はほんの十年ほどの間に起こった出来事であるが、その根底に周産期医療をなくすわけにはいかないという危機感が、あるいは自然発生的に生じたのではないか、世間知というものが働いたのではないか、とさえ今となっては思えてくる。
 ところで産婦人科は3K(きつい、きたない、危険)であるというのは事実だろうか?果たして、きつくもなく、きたなくもなく、危険でもない医療というものが存在できるだろうか。そう問いかけてみると、医師とはアプリオリに、一定の自己犠牲無しに関わることの難しい職業であり、そのことに喜びを感じるものこそが選ぶべき職業ではないか。「3K」とは医師全体に及ぶべき評価であるとの認識は、それはそれとして、わたしが周産期医療を担う医師のひとりとして、周産期医療を他と比較して特別に学生諸君に推奨する理由は、以下のような12Kに恵まれた職業であることに存在する。現に周産期医療に関わっている医師たちの多くが、この「12K」の提唱に賛同してくださるであろう。そして、これから産科医を目指す若い医師たちに、「お産」という喜びを是非とも味わっていただきたいと思うのである。

図1 誕 生
図1 誕 生

感動に溢れた「お産」(懐妊の喜び、家族のきずな、感謝される喜び)
興味の尽きない「お産」(子供の誕生、協力・強調、研究課題の宝庫)
心のこもった「お産」(患者に優しく、回復が早く、結果として高収入)
2. 超音波の魅力
 研修医のとき、大学病院で唯一の超音波診断装置が外科に置いてあった。妊婦さんをそこへ運び、突き出たおなかを探触子でなぞると、真っ暗にした部屋のなかでそこだけがわずかに明るいブラウン管に、ぼんやりと胎児の頭部が映し出された。黒い背景に丸く白いだけの線で描写された胎児のあたまは、映画で見るソナーに写った潜水艦のように思えた。一瞬だけ現れた画像は幻であったかのように薄れ、やがて元の闇に包まれた。その体験が、その後長く続く超音波と自分との始まりになった。魅せられた、と言ってよい。

図2 胎児の頭部(1977年)
図2 胎児の頭部(1977年)

 やがて自分自身の子供を得た頃には、古いタイプの超音波装置は一掃されて、プローブを妊婦さんのおなかに当てるだけで、勝手に胎児が表示される電子スキャンの時代が来た。白黒だけの画面は階調性を持って灰色で表現されるようになり、一瞬で消え去る幻のようであった画像は、その後の画像集積技術の発展によって永続性を手に入れたばかりか、動いている胎児が動いているままに観察されるまでになった。この間に産婦人科では経腟超音波が広く普及した。だから子供たちのうち最初のふたり(長男と次男)は経腹超音波で撮影されたが、後ろのふたり(長女と次女)は経腟超音波で映されることになり、妊娠のより早い時期により鮮明な画像として残されている。

図3 長男(1990年)   図4 次男(1992年)
図3 長男(1990年)   図4 次男(1992年)
図5 長女(1995年)   図6 次女(1997年)
図5 長女(1995年)   図6 次女(1997年)

 さらに時間は過ぎて、今や胎児は三次元画像として立体表示されている。二次元画像で単なる口の開閉に見えた動きは、三次元動画で表示してみると、さまざまな表情に類似する。笑い顔、あくびやため息、怒り顔から泣き顔へと、ほんの数分のうちに著しく変化するのである。母親の心音や血流音や呼吸音で騒がしい真っ暗闇の中で、胎児がお面を付け替えるように表情を変える。子宮という医学生の頃には想像もできなかった密室が、超音波の発展によって窓を開かれ、少しずつ見えるようになっていったその道筋を、共に歩んだことに喜びがあるし、これからもまた共に歩いて行きたいと思う。

図7 胎児の表情
図7 胎児の表情

3. DNAを介した親子の会話
 親子関係の科学的論考は成り立ちにくい。それは精神神経学的領域に属する事項であって、数値化できにくいものと考えられてきた。とくに子宮内にある胎児は、超音波断層法が使用される以前は非侵襲的な観察が不可能であったし、以後であっても主に形態や行動の観察に限られていた。
 母体血中に少量の胎児細胞が流入することは以前から知られていた。ところが最近になって、胎児DNAの母体への流入は胎児細胞に比べて格段に多量であることが報告されてきた。そして、母体に移行した胎児成分の一部は、数十年の単位で存在し続けることも証明されている。このような分子遺伝学的新知見からは、これまでとは幾分違った形の親子関係が見えてくるように思われる。古今東西、母と子の関係は切り離すことができない。なぜなら子は母親の胎内で過ごした時期があって、そのことは母も子も知っている。母と子は互いを一心同体に感じるだろうし、その感覚は父と子には存在しえないものであろう。「親子のきずな」という文言の中には、おのずから、そのような母と子の関係を想定しているかのような響きが感じられないであろうか。

図8 母子像
図8 母子像

 母親にとっての妊娠は、半分は自分で半分は他人(父親)である寄生体が、自分の中に巣くっているような状態である。母親にとっての胎児は、否応なしに受け入れざるを得ない存在ともいえる。一方、父親にとっての胎児は、自分とは分離しており、やはり半分が自分とはいえ、母親を奪い合う存在でもある。そして父親と母親の関係は、遺伝的には、ただの他人にすぎない。胎児の有する遺伝情報の半分は父親由来なので、胎児血が母体血と混じることは危険を伴う。このことは血液型不適合妊娠で溶血することを思えば容易に理解される。しかし一方で、RH型陰性の母親がRH型陽性の胎児を出産して感作される例のあることから、両者の血液に少量ではあるが移行のあることは明らかである。母体血漿中に流入する胎児の血球はごく少量だが、DNAとしては比較的大量に流入する。それは男児を妊娠した母親の血漿中からY染色体由来のDNAが検出されることから証明することができる。この現象を利用すると、形態としての性別が分化する以前の、ごく妊娠早期であっても、正しい性別判定が可能である。

図9 母体血漿中へ流入する胎児DNAを用いた性別判定
図9 母体血漿中へ流入する胎児DNAを用いた性別判定

 さて以上のように胎児のDNAは母体血中に移行するが、その逆、すなわち母親のDNAは胎児側に移行するだろうか。わたしどもの検討では、微量ではあるが臍帯血中に母体由来DNAが認められた。その検出頻度は、陣痛発来前の帝王切開時に採取した場合に比べて、陣痛発来後に採取した母体血でより高頻度である。このような現象から、母親と胎児はそれぞれのDNAを介して情報交換(会話)をしているとみることができる。さらに、母体血中に流入する胎児DNAの半量は父親由来であり、本来は他人(夫)のDNAである。こうして他人であった「男と女」は「父と母」となって連結する。胎内における最初の「家族のきずな」が形成されるのである。

図10 家族のきずな(胎児を介した父から母へのDNA伝達)
図10 家族のきずな(胎児を介した父から母へのDNA伝達)

おわりに
 周産期医療の魅力の一端、主に研究について述べた。自分自身で関わった事柄だし、頭の中での解釈なので関連文献は必要ないだろう。しかし、産婦人科の魅力は、何も周産期医療だけではない。腹腔鏡手術、生殖補助医療、女性医学、悪性腫瘍、東洋医学、産婦人科はじつに多面的である。そこにこそ尽きない魅力がある。内科的でありながら、かなり大ざっぱな外科のようでもある。濃淡はあるにしても、これらの事柄にことごとく触れてこその産婦人科であると信じている。それにしても、周産期学は「母親と胎児」という得難い対象を相手にした新設の学問であって、学問の未開拓地が荒野の如く拡がっている。その証拠はノーベル賞に目を向ければ見えてくる。2010年ノーベル医学生理学賞受賞者ロバート・エドワーズは体外受精・胚移植の実践者。生殖の基礎医学者でありながら、腹腔鏡検査の権威ステプトー博士(受賞前に死去)と組んで、世界中の絶対不妊であった卵管閉塞の女性に妊娠の喜びを与えた。今では50人にひとりは体外受精で生まれるまでになっている。また2012年の受賞者山中伸弥は、体細胞の初期化が可能であることを証明した。特化した機能を有すると考えられていた体細胞は、いまだ多能性を残して隠していたのである。婦人科に目を向ければ、2008年の受賞者ツア・ハウゼンは、子宮頸癌の原因がパピローマウイルスであると喝破して、初めて悪性腫瘍をワクチンで絶滅させる可能性の道を拓いた。ヒトの生殖は壮大な再生医療だと考えることが出来る。生殖に限界はない。不可思議の塊である。その生殖に関わる誇り高い職業が産婦人科医なのである。わたしたち長崎大学産婦人科は両手を広げて学生諸君の参入を待っている。
Department of Obstetrics & Gynecology Nagasaki University School of Medicine

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