Q13  白血病と原爆の関係を教えてください。


      A, 被ばく量や被爆年齢の違いで、発生頻度に影響がでます。

       原爆被災、そして復興50年を迎え、長崎で様々な催しが行われました。永井隆博士は、被爆当時の原子野で、浦上を中心に如己堂の小さな住まいで床に伏せながら、平和希求の鐘を鳴らし続けました。晩年の永井博士は、崇高なカトリック精神の人として知られていますが、旧制長崎医科大学物理的療法科(今の長崎大学放射線科)時代、原爆被災前に自分自身を白血病と診断し、その上で診療業務に従事していたという別の顔もあります。
       50年前の戦時中のころは、物資が乏しくX線の取り扱いも粗雑で、術者は直接被ばくなしでは、X線診断をすることができませんでした。永井博士も例外ではありません。
       戦時下の超多忙の中、放射線防護の安全手段をとれないままでした。20世紀は、放射線の発見以降「被ばくの世紀」とも呼ばれます。
       その上、永井博士は爆心地から700mの医科大学附属病院の診察室で爆風とともに大量の放射線を浴びました。
       1945年8月9日11時2分の被爆直後から、その年の10月までの混乱の中で行った永井博士らの救護活動は「原子爆弾救護報告書」として学長へ上申され、調来助教授の「長崎医科大学原爆被災復興日誌」とともに貴重な長崎原爆の記録として残されています。
       さて、なぜ放射線被ばくでは白血病が増えるのでしょうか。一つには、分裂増殖と新陳代謝の盛んな細胞ほど遺伝子に傷がつきやすく、放射線感受性が高いことに起因しています。例えば骨髄細胞などがそうです。白血病は、ある一定の潜伏期を経て、傷ついた血液細胞が異常に増えてがんとなり、ある確率で発病するのです。
       特に、原爆被爆者の中でも急性放射線障害で亡くなられた方は、脱毛や歯茎からの出血、皮下出血などの血液障害が見られました。また、生き永らえた方々の中では、50年代に白血病の増加が見られます。
       永井博士は自分の血液像を顕微鏡で観察し、自然経過の中で闘病生活を送りました。ペンを執り、短期間に数多くの出版物を世の中に著し、51年5月1日に帰天されました。原爆被爆者の中に、白血病の患者が増加していったのはちょうどこのころです。そして、そのピークは52年から54年ごろでした。
       原爆による白血病の特徴は @放射線被ばく量が高い人ほど、A被爆時年齢が若い人ほど、白血病の発生頻度が高いことで、この傾向は長崎よりも広島に強く現れました。
       その後も甲状腺がんが55年ごろから、乳がん、肺がんが65年ごろから、胃がん、結腸がん、骨髄腫が75年ごろから、増加する傾向が被爆者の中に認められています。

      悪性腫ようの発生時期


       これらの病気は晩発性で、かなり年数を経てから発生することから、一概に放射線被曝によるものだと結論しにくく、多くの環境因子の影響を考慮しなければなりません。しかし、残された被爆者は若い人でも50歳、まだまだ、いつ起こるかわからない病気の影に脅かされています。
       永井博士や原爆被災者の白血病は慢性骨髄性白血病という病気で、現在ではその治療法も素晴らしいものがあります。原爆で起こる慢性骨髄性白血病は、長崎や九州地方に多発する成人型T細胞白血病(ATL)とは原因が異なるタイプです。今後も引き続き被爆者医療の充実と調査研究の継続が強く望まれます。


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