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第一内科 神経内科、救命救急センター 中嶋 秀樹 |
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第一内科関連の諸先生方、こんにちは。社会人と子育てをしながら医学部に編入し、卒業してから早いもので7年、長崎にきたときに2歳だった娘も中学生になり、年月の流れを感じます。今年度、日本神経学会の専門医試験受験の資格を得たため、多くの先生方のご指導の下、もれなくチャレンジさせていただきました。鬼門?で奇問?の神経専門医試験について、その現況をご報告させていただきますので、どうぞお気楽にお読み下さい。
まず、受験資格ですが、以下の4項目を満たすことが必要です。1)日本国の医師免許証を有する者、2)受験時に初期研修を含む臨床研修期間を6年以上有するもので、かつ本学会正会員歴を3年以上有する者、3)認定内科医であること、4)上記2)の臨床研修期間について、本学会が認定する教育施設・准教育施設・教育関連施設においての研修が次のいずれかを満たす者。私の場合は、H19年に神経学会に入会し、H20年に認定内科医に合格しました。長崎大学病院は教育施設なので3年以上で条件を満たすので、今年から受験資格が生じました。また、今年からはミニマム・リクワイアメントとして、習得した検査・症例を自己申告する書類があり、出願の期限は3月末でした。提出するサマリーはきわめて一般的な症例(心原性脳塞栓症、細菌性髄膜炎、筋萎縮性側索硬化症、多発性硬化症、重症筋無力症など)を選びました。
筆記試験への「お受験勉強」は結局2か月前からしかできませんでした。1次試験は必修、一般、臨床の各々100問ずつ、6月初旬の雨の中、東京大学の構内で行われました。1科目目、時間が短く、あっという間でした。2科目目、蒸し暑いからと窓を開ければ、学生がコンサートを行っており、聞こえてくる1990年代の懐かしい歌詞と神経用語が海馬付近で混ざり、集中力の低下を感じました。選択肢が難しく、自信を持って解答できたものが少なく、試験終了後、周囲の受験生とともにため息をついておりました。3科目目の臨床問題は比較的解きやすく、少し生気が戻りました。1週間後に速達で合格の知らせが届きましたが、喜び以上に奇問の2次試験を受けることへの緊張感が現れました。
早速、2次対策用のDVDを先輩にお借りし、何度も拝見しながら、半分寝ている妻の腱を叩いて練習しました。そして、7月11日、さあ2次試験の本番!! 大枚をはたいて購入したマイ打鍵器、音叉、眼底鏡、感覚を調べるコロコロ? などを持参し試験会場にのり込みました。面接室が2つあり、2つ目の部屋から退室する受験生は笑顔なのですが、1室目から出てくる受験生はみな仮面様顔貌を呈して、密室で何かが起きていると動物的な危険を感じました。着席すると「リラックスして下さい」といいながら、目は笑っていません。ローテートしてきた研修病院はどの規模の施設で、どんな神経疾患がどの程度くるか、などを執拗に聞かれました。次に「大脳皮質基底核変性症について、何を診察すべきか説明して、実行して下さい。制限時間は5分です」と第1問が出題されました。5分!? 新患はむりでしょ?! 旧患の設定かな・・・、など余計なことを考えながら診察開始。するとすかさず、「問診もせずに診察するの?」と罵声が飛ぶ。5分で問診も??と思いながら、いつからどのような症状が・・といったところで「もういい!」と。パーキンソニズムに関する診察していると、「あなた本当に診療をしているの?」と臨界にお達しになられた様子。そして第2問「多発筋炎と思われる患者がきました。さあどうぞ。」手短に問診し、脳神経、筋力と診察していると、「三頭筋の筋力はどうやって診るの? 2/5のまねをして。じゃ3/5は。」しどろもどろにまねをしましたが、納得がいかない様子。DVDと同じ診察法なのになぜ!? と困惑し、全身に著明な発汗と頻脈を自覚し何かを発症しそうでした。チラッとお二人を見ると、首を振りながら何か書かかれており、あ~落ちたかなと思い、これまでの準備がこんな形で終わるなんて・・・と悲しくなりました。受験生に発症する一過性の仮面様顔貌の正体がよく分かりました。
長崎に敗走し、1週間。なんと合格の通知。あの面接はなんだったんでしょ・・・。でも神経内科は甘くないぞと警笛を鳴らしていただいたと解釈し、今後も精進しようと思っております。励まし、いろいろと臨床業務をサポートして下さった神経内科の吉村俊祐、宮崎禎一郎、中田るか、枡田智子、徳田昌紘、立石洋平、福田卓、辻野彰、本村政勝、中村龍文、吉村俊朗先生方、救命救急センターの先生方、資料を提供して下さった同期の上田麻紀先生、医局の先輩である福島直美、溝田貴光、伊藤聖先生方、諫早総合病院の長郷国彦先生、長崎北病院の辻畑光宏、佐藤聡、他諸先生方、そして第一内科教授の川上純先生にあらためて御礼申し上げます。 |