原爆復興70周年記念事業

被爆遺構の移設
 大講堂の玄関は昭和6年の卒業アルバムに掲載(写真1)されています。
 玄関には左右に花崗岩の柱がありましたが, 原子爆弾により大講堂も全壊し,柱と礎石が残骸となった様子が米国戦略爆 撃調査団の撮影フィルムの映像(写真2)に写っています。
 現在,柱はグビロが丘の慰霊碑及び薬専防空壕跡の慰霊碑として用いられ, 唯一残されていた礎石がグビロが丘へ登る途中に保管されていました。
 原爆復興70周年を記念し,原爆犠牲者名が刻まれている銘板の横に移設することとしました。

2015年8月9日

写真1:大講堂(昭和6年卒業アルバムより)
写真1:大講堂(昭和6年卒業アルバムより)
 
写真2:大講堂が全壊したあとの礎石
写真2:大講堂が全壊したあとの礎石
米国爆撃調査団撮影フィルムより
2012年度科学研究費補助金(課題番号24500319 研究代表者大矢正人)の研究成果により作成されたものである。
移設された被爆遺構(献花台近く)
移設された被爆遺構(献花台近く)