「小島養生所」遺構について

日本近代医療の源流がここに
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ポンペ、日本に初めて近代医学教育を導入
 日本とオランダの国旗がひるがえる2棟の長い本館と三角屋根の医学所ー1861年9月20日、日本で初めての西洋式近代病院「小島養生所」が、長崎にある小島佐古の丘に誕生しました。
 遡ること4年前の1857年11月12日。長崎奉行所西役所において、ポンペ・ファン・メールデルフォールトは日本初の系統的な近代西洋医学の講義を開始しました。そこで学んだのは松本良順の呼びかけにより諸藩から集まった医師たちでした。化学や物理学の基礎に加え、生理学、病理学、薬理学といった近代医学の大要を、ポンペはたった一人で教えました。幕末の日本には国立医学校も、伝染患者を隔離する病院もなく、人民の健康をまもる行政組織もありませんでした。ポンペはその状況を打破する近代医学・医療革命の第一歩を踏み出したのです。
日本人の心を動かした民主的な患者中心の医療 日本人の心を動かした差別のない患者中心の医療
 教育のかたわら、医師として多くの患者を診療したポンペ。国籍や身分で区別せず、貧しい人は無料で診察した彼の行いは、民主国家オランダでは当然のことながら、身分制度の厳しい当時の日本では考えられないものでした。
 「ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである」
 医療の真髄を説いたポンペの医戒は、封建社会に育った門弟たちに驚きと感動を持って受け止められました。
日本の近代医学・薬学と公衆衛生行政は養生所から
 当時の長崎はコレラが蔓延しており、多くの人々が待ち望んだのが近代医療を施す病院、小島養生所の設立でした。医学校に附設された養生所は124床を持ち、患者の治療とともに臨床講義を行う、今でいう大学病院の原型でした。大仕事を終えて帰国したポンペの志は後任のボードインが引き継ぎ、化学や物理を専門に教える「分析窮理所」を附設します。ここに赴任した理化学教師ハラタマの教える最新の自然科学を学ぼうと、さらに日本中から学生が集まります。養生所は「精得館」と改名しながら、明治維新を挟んだ前後、黎明期の日本の近代医学・薬学教育と、自然科学教育の礎となりました。
 精得館で教えたオランダ人医師たちは、後に全国の医学校や理化学校の創設にも尽力します。彼らの門弟たちも近代医学の普及に活躍しました。ポンペの右腕として養生所設立の立役者となった松本良順は、江戸の医学所頭取を経て維新後は初代陸軍軍医総監を務め、肉食、牛乳や衛生思想の普及に努力しました。相良知安と岩佐純は東京大学医学部の前身である大学東校を設立、日本の医学教育にドイツ医学を採用しました。岩倉具視遣欧使節団として渡欧した長与専斎は、帰国後、人民の健康をまもる公衆衛生行政を確立しました。また、緒方惟準(緒方洪庵の次男)は大阪大学医学部の前身である大坂医学校をボードインとともに設立しました。
 養生所で学んだ若人が、日本の近代医学・薬学を成立させ、民主的な考え方を身につけて人民の健康をまもる公衆衛生行政を確立したのです。
日本最古の歴史を誇る長崎大学医学部
 長崎大学医学部の創立記念日は本日11月12日です。これは1857年に長崎奉行所西役所でポンペが医学の講義を始めた近代医学教育発祥の日が由来です。日本最古の歴史を誇り、今年で159年、来年には創立160年を迎えます。その長い歩みのなかで、ノーベル化学賞を受賞した下村脩博士をはじめとする貴重な人材も多く輩出してきました。160周年事業としてキャンパス内に新しいゲストハウスも建設予定です。
近代医学・医療革命の遺産に光を
 幕末から明治にかけて長崎を皮切りに日本中に普及していった近代産業革命と近代医療革命。2015年には、長崎の多くの産業遺産が世界文化遺産に認定され、脚光を浴びています。
 いっぽう近代医学・医療はどうでしょう。その発展の歴史のなかで大きな意味を持つ小島養生所の存在を、今回の遺構発掘を契機に後世に伝えることは、現代の私たちの役割といえます。国の史跡として申請して佐古小学校跡地をそのまま残す可能性を含めて、ベストな選択が何なのか、ここで一度立ち止まり、考えてみませんか。
 長崎大学医学部では、長崎市民にとっても貴重な財産である「小島養生所」遺構の将来的な活用について、今後も引き続き取り組んでいきます。ぜひあなたのご意見をお聞かせください。
ポンペ・ファン・メールデルフォールト ポンペ・ファン・
メールデルフォールト
第二次海軍伝習の教官として来日し1857年11月12日に日本初の系統的な近代西洋医学教育を開始した。4年後には養生所を設立。四民平等、患者中心の医療を教え、近代西洋医学教育の父と称される。
松本良順
松本 良順
将軍御目見医師として1857年第二次海軍伝習に参加し、諸藩の医師を自らの弟子としてポンペの講義を受けさせた。養生所・医学所の設立にも尽力し、頭取となる。維新後は初代陸軍軍医総監を務めた。
アントニウス・ボードイン
アントニウス・ボードイン
ポンペが学んだユトレヒト陸軍軍医学校の教官を経て、1862年ポンぺの後任として養生所に赴任。基礎自然科学のための分析窮理所を設立する。最新の知識を教授した講義録は、その後全国に流布した。
ファン・マンスフェルト
ファン・マンスフェルト
ユトレヒト陸軍軍医学校を卒業し、1866年来日。3代目教頭として長与専斎とともに学制の改革を行う。その後、熊本医学校、京都府療病院、大坂府立病院へと転出し、日本の初期医学教育に従事する。
長与専斎
長与 専斎
緒方洪庵の適塾で学び、師の勧めでポンペの教えを受ける。長崎医学校校長を務めた後、岩倉具視遣欧使節団の一員として欧米の医療制度を調査。帰国後は文部省医務局長として衛生行政の多くを施行する。
吉田健康
吉田 健康
1874年の征台の役により廃校となった長崎医学校の再興を実現。その後、甲種長崎医学校、第五高等中学校医学部、第五高等学校医学部の長として発展に尽力し、長崎の坂本へ医学部を移転する。
写真資料/ 長崎大学附属図書館所蔵
参考資料/ 『出島の医学』相川忠臣著(長崎文献社)
『写真で見る医学部150年の変遷~長崎大学医学部創立150周年記念誌 第6章抜粋』
 長崎大学医学部創立150周年記念会発行
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お問い合わせ先
長崎大学大学院医歯薬学総合研究科 総務課総務係
Tel:095-819-7004 Fax:095-819-7166
E-mailmed160@ml.nagasaki-u.ac.jp