医学部長メッセージ

医学部長から卒業生へのメッセージ
 平成29年度長崎大学医学部医学科卒業式祝辞

 医学部医学科105名の皆さん、卒業おめでとうございます。ご列席の父兄の方々にも心よりお祝い申し上げます。私も本日の式典の一端を担うことができることを大変光栄に思います。
 これから申し上げることが、君たち卒業生への贈る言葉となるのかは分かりませんが、しばらくの間ご辛抱をお願いしたい。
 昨今、ダイバーシティ、多様性という言葉を多く耳にするようになりました。また女性活用の話かと思われるかもしれませんが、そうではありません。
 この檀上から皆さんの顔を見ても誰一人同じ人間はいません。それぞれ異なる環境や過程を経て今、ここに君たちはいます。当たり前のことですが、人間には多様性があります。様々な講義、実習、試験などの厳しいカリキュラムを乗り越えて卒業できた君たちを大変誇りに思いますが、残念ながら同期入学の全員が順調に進級しここにいるわけではありません。また本日卒業する全員が新年度からの卒後臨床研修医になれるわけでもありません。それが人間の多様性というものだと私は思っています。
 ヒトの多能性幹細胞も転写因子一つでその分化運命は異なります。これからの人生についても同じことが言えます。私は君たちの多くが優れた指導医や研究者として成功することを祈っていますが、順風満帆な人生の途中でも、些細なことがきっかけで医師として働く喜びを失うことや期待した研究成果が出ずに挫折を味わうこともあるかもしれません。
 君たちがこれから身を投じる医療界は私が本学を卒業したときとは随分事情が異なります。超高齢化社会が迫りくる中、これまでの急性期医療から慢性期あるいは在宅医療、予防医療への転換がなされる一方で、再生医療、ロボット手術、AI診断など最先端の研究やイノベーション技術が医療現場に急速に実用化され恩恵をもたらしています。当然、社会が医療人へ求めるものも以前とは複雑、多様化していることを日々痛切に感じています。
 この多様性の時代において、医師として人命を預かる職に身を置くことにそれ相応の責任と重圧があることは間違いありません。そのことを自覚したうえで、その責任から逃げずに常に向き合う気持ちをもつこと、重圧に押しつぶされるのではなく逆にそれを楽しむことができるようになってほしいと願っています。
 「明日のことを思い煩うなかれ」医学教育の基礎を築いたウイリアム・オスラーが生き方の持論にしていた、新約聖書にある言葉です。若い君たちだからこそ、先のことを思い煩って悩むよりも目の前のことに全力投球することに専念してもらいたいと思います。
 欧米において西洋医学教育の基礎を築いたのがオスラーならば、日本においては本学の開祖であるポンペ・ファン・メールデルフォールトが西洋医学教育の父と呼ばれています。本学はポンペが松本良順とその弟子たちに医学伝習の講義を開始した1857年11月12日を創立記念日とする日本最古の医学部であり、昨年創立160周年を迎えました。君たちはその記念すべき年度の卒業生です。
 ポンペの一番弟子である松本良順も多様性のある人生を歩んでいます。良順は25歳でオランダ医学を学ぶために江戸から長崎行きを決断し、その4年後には小島の地に建てられた日本初の西洋式医学校、本学の前身である医学所の初代頭取、いわゆる校長に就任しています。わずか5年間の長﨑遊学で西洋医学の習得とともに多くの実績をあげた良順は、江戸にもどり幕府の奥医師となり将軍家に仕えます。しかし大政奉還後に一旦投獄され、化学者であった子息が30歳の若さで病死するなど、いくつかの悲運に見舞われますが、41歳で日本の初代軍医総監となります。
 昨年、良順の書や絵をご寄贈いただいた方から興味深い話を伺いました。良順は明治維新後にそのような責任ある立場になりながらも、医院を開業していた自分の弟子が急逝すると後継者が育つまでの間、その医院を代診して支えていたそうです。これは医師が自分のためではなく病める人のためにあるとしたポンペの教えを晩年になっても良順自身が忠実に守り、身をもって示していたことを物語っています。
 創立160周年を迎えた本学の輝かしい歴史の中で、これまで多くの素晴らしい人材が輩出され全国あるいは世界の医療現場を支えています。
 君たちの今後の活躍を期待するとともに、君たち自身により本学の新たな歴史が作られていくことを心より願っています。本日は誠におめでとうございます。
 


平成30年3月23日
長崎大学医学部長
永安 武