ごあいさつ
 
コラム  
 
 
忘れられない患者さん達(米国編・その二):Heart-breaking cases
(平成21年1月)

 私は渡米中には渡米中に感染症専門医養成のためのトレーニングを受ける機会を得ました。
三重苦(臨床現場から数年以上のブランク、英語力の不足、米国の医療の実情に無知)のために大変でしたが、医師としての実力を伸ばすのには日本よりもアメリカの方が遥かにいいと思いました。しかし、その反面、もしもこの国で患者になったらどうしようと思ったことも少なくありません。ここでは、感染性心内膜炎の患者さんに絞って、私が経験したことを紹介します。
ファイル1「手術は無駄だ!」
 静注麻薬常習の男性でした。高熱と呼吸困難のためにM州立大学病院に入院したが、聴診器を胸に当てると心雑音。心エコーでは三尖弁にvegetation。胸部CTでは多発性の肺梗塞。不潔な静脈注射を繰り返すうちに(おそらくは黄色ブドウ球菌による)右心系の心内膜炎を起こし、さらにはvegetationが千切れて肺循環に飛び散り詰まらせてしまったのです。受持ちのレジデントは、患者自身によって殆ど使い尽くされた末梢静脈の中からようやくアクセスを見つけ出し、セファゾリンとゲンタマイシンを開始しましたが、三尖弁はボロボロでvegetationも大きく、内科的療法に限界があるのは自明でした。ID(Infectious Diseases)consultation(感染症専門医チームへの紹介)を受けてこの患者を診た私は、迷わず心臓血管外科医に連絡を取りました。一通り簡単に患者の情報を伝えている最中に、外科医は不愉快そうに口をはさみ、「なんで俺を呼びつけたんだ!この患者に外科手術は無駄だ!」と吐き捨てました。私は自分の英語力のために誤解させたと思い、画像データを直接見せようとしましたが、その手を遮って彼は「そんな問題ではない!彼は静脈麻薬の常習者なのだろう?手術してどうする!」と帰っていきました。
 途方にくれた私はIDチームのattending doctorに相談しました。驚いたことに、彼女は心臓血管外科医の判断を支持しました。私がアメリカの医療事情に疎いことを知っていた彼女は、こう補足しました。「仮に弁置換術を行ってこの患者が完治しても、静注麻薬常習者の彼は必ずIEを再発させます。人口弁は意味ないどころか、さらにIEのリスクを高くします。内科的療法で駄目だったら、それが彼の運命です。」目眩を感じた後、私は「でもこれを機会に彼は静注麻薬を止めるかもしれないじゃないか、、、」と食い下がりました。しかし彼女は「過去のデータから、それは殆ど有り得ません。著しく低い可能性のために、高額の医療費の無駄遣いはできません。もちろん全額自費なら別ですが。」と最後通牒。
 間もなく私はこの病院のローテーションを終え、別の病院に移っていきました。数週間後電話すると、もうその患者は亡くなっていました。

ファイル2「偽装離婚?」
 夫に寄り添った30代のその白人女性は、ソーシャルワーカーの話に聞き入りながらその顔を凝視していました。いや、実のところ彼女の目は光を感じることしかできず、そのソーシャルワーカーの顔が見えた訳ではなかったのです。
 彼女は多発性硬化症との長い闘病生活のために、両目の視力と左半身の運動能力を殆ど失っていました。元は高校の教師としてバリバリ活躍していたその女性は、殆ど寝たきりで過ごしていましたが、自宅で行っていた中心静脈栄養に関連して菌血症から感染性心内膜炎を併発して入院した際に、IDconsultantの私も呼び出されてきた時の情景でした。
 その場の異様に張り詰めた空気に、訳もわからずにドギマギしてその場を離れた私は、後で自分を呼びつけた主治医に何が起こっていたのか尋ねました。「あのソーシャルワーカーは、あの夫婦に離婚を勧めていたんだ。」私は自分の貧しい英語力のために聞き間違ったかと思いました。「あの夫婦が加入している保険会社は、医療費がかかりすぎるから来年以降の契約延長を拒否したらしい。もちろん他の保険会社を試しても、この段階で契約するなら同じようなものだろう。彼女だけではなく、夫の方も最近医療費が結構かかるようになってきたので、このままではあの夫婦は経済的に破綻する。一番うまくいく方法は、離婚届を出し、夫は負担の減った条件で保険医療を受け、妻には慰謝料を毎月送る形で生活を支えていくことだ。いうなれば『偽装離婚』のようなものだ。」細かいところはわかりませんでした。勘違いしたこともあったかも知れません。でも間違いのない事実は、患者の味方であるソーシャルワーカーが、とても一人では生きていくことのできない大きな障害を背負った彼女に向かって、最愛の夫との離婚を勧めていたということでした。
 最初に私が「血液培養と感受性の結果が出るまでは」と指示していた抗生剤(バンコマイシン+リファンピン)は、「高すぎる!」と保険会社がクレームを付け、主治医はナフシリン単独に変更しました。(保険会社に楯突くと、この病院はこの保険会社との契約を解かれる恐れがあるので、勤務医は私の言葉よりも保険会社の云うことに従順でした。)不幸中の幸いで、彼女の心臓に蔓延った菌は、ナフシリンですぐに駆逐できました。でも彼女の心を蝕んだ医療制度を直す特効薬はなかったのです。

 アメリカ生活が長かった私に、日米それぞれで多くの人がその善し悪しを聞いてきました。いつも私が答えていた台詞の一つは、”While we are young, healthy and ambitious, USA is the best country in the world; however, if we lose any af them, this country could be the worst."というものでした。この国は何のコネもない外国人の私にチャンスをくれ、妻とともに必死になって働き成果を上げたら競争心むき出しにしながらも成果に応じた待遇をしてくれました。頑張ることができる人間には間違いなく良い国です。しかし、決して永住したい処ではないと思ったのは、このような医療現場での生々しい経験からでした。
 最近の日本が様々な点でアメリカ化してきていることに大きな危惧を抱いています。とりわけ医療保険制度が、もしもアメリカのようになってしまったら、もはや日本は永住できる国ではなくなってしまいそうです。
 


 
長崎大学小児科学教室
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