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研究内容

私たち動物は、生きて子孫を残していくために、外界からの情報を得て、それに応じた行動をとることを繰り返しています。脳や神経系では、情報をやりとりしたり、ためておいたり、まとめ上げたり、といった活動が行われています。脳神経系を構成する神経細胞にはこの情報を取り扱うのに適した、巧妙な仕組みがそなえられており、私たちはそれを解き明かすことを目標の一つにしています。

神経細胞は食べ物から得た多くのエネルギーを使って、細胞膜の内外に電荷を持った物質(イオン)の濃度差を作っており、それを利用して細胞の中で電気信号が産み出されます。 神経細胞には突起があり、電気信号はその突起上をとても速く伝わっていきます。そのうち「軸索突起」と呼ばれる細長い突起の端の部分には「神経伝達物質」が蓄えられており、これが電気信号に応じて細胞外に放出され、隣の細胞にある受容体に結合して情報を伝えます。この部分は「シナプス」と呼ばれ、シナプスでの情報のやりとりを調節することが、情報処理にとても重要であることがわかっています。

神経細胞を特徴づける膜タンパク質ファミリーの生理的意義に関する研究

私たちはDNAに書きまれた遺伝子および遺伝子がコードするタンパク質分子が、どのようにして突起やシナプスといった、神経細胞に特有な性質を与えるのかを知りたいと思い、この研究を始めました。研究の端緒となったのは2000年代に解明された様々な動物のDNAの塩基配列情報です。脳神経系の発達した脊椎動物の仲間で、機能や役割がわかっていなかった遺伝子群がたくさんありました。そのうち一部のグループのタンパク質は、ロイシンというアミノ酸が豊富に含まれた領域(ロイシンリッチリピート:LRR)と膜貫通領域を共通して持つことがわかりました。これをLRR膜タンパク質ファミリーと読んでいます。研究を進めると、これらのファミリーのタンパク質の多くが神経系で産生されており、さらにこれらは神経突起やシナプスの形成と機能調節に重要な働きをしていることが明らかになりました。これらのLRR膜タンパク質ファミリーの一部には私たちがSlitrkという名前をつけ、それが世界で用いられています。

LRR transmembrane proteins in brain
脳にある主なLRR膜タンパク質。 赤い楕円、LRRモチーフ。青い線、細胞膜。

私たちが取り組んでいるのは、「それぞれのLRR膜タンパク質がどの神経回路でどのような役割を持つのか。それらがどう脳の機能を成り立たせているのか。」という問いに答えることです。これまでの研究で、LRR膜(貫通)タンパク質ファミリーは感覚、運動、記憶、情動、注意、発声など多様な脳機能の成り立ちに関わることが明らかになりました。この成果を基に、現在、多くの治療薬の標的になっているモノアミン神経系(ノルアドレナリンセロトニンドパミンなどを伝達物質とする神経系)や抑制性神経系(GABAを伝達物質とする神経系)に焦点を絞っています。数多くあるタンパク質の役割を一つ一つ明らかにしていくことにはとても時間や手間がかかる、たいへんな作業です。しかし、その延長線上に私たちが目標としている脳の機能の分子レベルからの理解があるので、とてもやりがいのある研究だと感じています。

精神神経疾患・神経発達症の病態解明に関する研究

LRR膜タンパク質ファミリー遺伝子の研究をする過程で、これらの遺伝子の変異が特定の精神神経疾患や神経発達症の原因となることがわかってきました。私たちの研究対象は主にマウスですが、マウスでも疾患の成り立ちに関わる遺伝子の構造を改変すると、ヒトとよく似た症状があらわれることがあります。このようなマウスは疾患モデルマウスと呼ばれ、その遺伝子がどのようにして疾患の状態(病態)に関わるのか、どうすれば疾患モデルマウスの症状を改善することができるのか(治療薬など)、といったことを調べる研究に用いられます。

私たちはこれまでに統合失調症自閉スペクトラム症注意欠如・多動症近視難聴合併症てんかん性脳症などの疾患モデルマウスについて発表してきました。現在は強迫スペクトラム症、気分障害(うつ病や双極性障害)などに集中して研究しています。また、それ以外にもヒトの遺伝子材料を使った研究を進めている研究者と共同研究を行うことにより「ヒトで見つかった遺伝子変異がどのようにLRR膜タンパク質の機能に影響を及ぼすのか」についての研究も行っています。

disease model mice
私たちが開発・発表した疾患モデルマウス

最近、ヒトでも疾患モデルマウスでも疾患に関連した症状に無視できない性差があることに気がつきました。一方、これまでの疾患モデルマウスを用いた研究は動物実験にかかる費用や場所の制約などの問題から、性差に注目した研究が十分になされていないのが現状です。そこで、とくに神経発達症のモデルマウスについて、性差に注目した研究も展開しています。

細胞の運命決定に重要な役割を持つZicファミリータンパク質に関する研究

Zicファミリータンパク質は遺伝子の情報が読み出される過程を調節するタンパク質です。Zic1からZic5という5種類のタンパク質(5種類の遺伝子)があり、これらにはいずれも「Zinc finger (亜鉛フィンガー)」と呼ばれるDNA結合領域にあります。この遺伝子は、研究室を主宰する有賀が御子柴克彦先生の研究室(当時東大医科研)に在籍したときに見いだし、名付けたものです。1994年に発表した、『小脳で多く産生される遺伝子Zic(Zinc finger protein of the cerebellum)』から始まった研究です。

これらの遺伝子は初期胚における細胞運命の決定や細胞の分化制御、エンハンサー活性の制御などに重要な役割を持ち、神経系の発生、骨格系の形成、内臓の左右軸の決定など様々な発生の過程で繰り返し使われる遺伝子(ツールキット遺伝子、工具セット遺伝子)の一つと考えられています。ZICファミリーの遺伝子変異はヒトでは全前脳症(ZIC2)、内臓左右不定位症(ZIC3)、小脳やその近傍の第4脳室の奇形を伴うDandy-Walker症候群(ZIC1)等の先天性奇形の原因になっていることが明らかになっています。私たちの研究は「これらの奇形がどのようにして起きるか」を理解するのに貢献しました。現在も神経系におけるZicファミリーの役割についての研究が続けられています。

一方、私たちのZicファミリーについての研究は進化の観点からもなされました。カイメンを含むヒト以外の多細胞動物にもZicファミリーは広く存在しており、各動物の体のつくり(ボディプラン)に深く関係していることがわかりました。私たちはさまざまな動物におけるZicファミリー遺伝子の保存性や役割の違い・共通性に注目して研究を行い、進化過程におけるZicファミリー遺伝子の役割について発表することができました。その中で、「多細胞動物の進化過程において、原始的な神経組織の出現にZicファミリーが関わっているのではないか」という仮説は私たちが提唱し、現在も注目しているもののひとつです。

Zicファミリーについての研究は、『Zic family』(Springer社)という著書にまとめました。この本は多くの研究者の協力を得て編集され、進化や臨床関連の話題も含んでいます。また、ウェブ版の脳科学辞典(日本神経科学学会)にも短くまとめてあります。

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