会長あいさつ
 
長崎医学同窓会長就任の御挨拶 長崎医学同窓会長 朝長万左男
長崎医学同窓会長
朝長 万左男
(昭和43年卒業・日赤長崎原爆病院長)

 本年6月より同窓会長に就任いたしました。前任の井石哲哉前会長が16年の長きにわたり同窓会事業を様々に展開されました。中でも長崎大学医学部創立150周年記念事業は同窓会始まって以来の最大の事業で、創立記念式典(19年7月)と良順会館の竣工(平成19年11月)でそのピークに達しました。井石哲哉前会長のご尽力に対して、会員を代表して心より感謝と御礼を申し上げたいと思います。
 良順会館は現在、長崎大学、医学部および医歯薬学総合研究科などの様々な学内運営会議、学会、研究会などに使われ、職員・学生・同窓会員・国内外からの研究者などの交流の一大拠点となっています。医学部の歴史にまた大きな足跡が数々加えられていくことでしょう。
 江戸時代末期の1857年、Pompe van Meerdervoort先生により開始された近代西洋医学の講義とその後の小島養生所における医療実践は、我が国近代医学のまさしく大きなエポックでありました。
 最新の情報ですが、Pompe先生の弟子の一人、関寛斎先生の没後100周年記念式典が、北海道の陸別町によって、来る10月14日に挙行されます。片峰茂学長、松山俊文医学部長とともに招かれ出席する予定です。その前日には北海道支部同窓会(森光弘会長昭和56年卒)が帯広で開催されます。
 関寛斎は司馬遼太郎の著作にもたびたび登場する明治期の医師の巨頭の一人です。雪深い極寒の北海道十勝地方において、市井の開業医として生涯を住民のために捧げ、未だに慕われている人です。Pompe先生が、すでに医師として師匠の佐藤尚中とともに実践を積んで入学してきた彼らの外科の腕の確かさに舌を巻いたエピソードを司馬遼太郎さんが紹介しています。彼らは佐倉の順天堂の医師でありました。明治維新の折の戊申戦争では、軍医として敵味方無く治療したエピソードも有名で、今日の赤十字活動の精神に通じるものがあります。札幌農学校を卒業した関寛斎の息子が入植した陸別において医業を亡くなるまで続けました。Pompeの教えが生きているように感じます。
 ところで長崎の地で医学を修めた医師の総数を一度つまびらかにしたいと思っていますが、同窓会名簿で現存の卒業生は約6000名と概算しています。明治維新後の日本の近代化時代の卒業生、日ロ戦争後から大正期の日本が国際的にも躍進した時代の卒業生、昭和の戦争の時代の卒業生、原爆で壊滅した医科大学の再建から高度成長時代の卒業生、さらに平成時代になってからの卒業生が、広く全国的に、長崎で学んだ医学を基礎に医業を展開し、日本国民のための医療の一角を占めて活躍してきた歴史は、多くの医学部・医科大学の中でも抜きんでたものがあると思っています。我々同窓会員が誇りとするところであります。
 会長就任に当たって、同窓会が様々な事業によって母校の発展を支えてきたこれまでの歴史を糧にしつつ、さらなる支援を皆様とともに続けていけるよう、決意を新たにしております。御協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
 本ホームページは、同窓会誌「百朋(ポンペ)」と並んで、同窓会員の皆様のための情報源となる重要な役割を担っております。医学部の発展と抱える課題についての様々な情報、さらに会員の皆様の近況など、豊富な情報の発信源となることを願っております。
 診療やお仕事の合間に、時々ホームページを開いていただき、先生方が長崎で学ばれた時代を忍びながら、母校の現在に触れていただき、しばしの息抜きとしていただければと願っています。

(平成24年10月)
 
 
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