教室の歴史・教育理念

医学生・研修医の教育は成人教育であり、
その目的は自分自身を育てる能力を養うことにあると考えています。
以下に「zoom up health care(2004年12月)」に
掲載された小澤寛樹教授のインタビューを転載します。

WHO研究協力センターとしてエビデンスを発信

1907年(明治40年)7月26日、長崎医学専門学校の内科から精神病学科が独立して開講され、東京帝国大学医科学校の助手であった石田昇氏が31歳の若さで初代教授に就任した。
2007年に開講100周年を迎える長崎大学精神神経科学教室の歴史は、ここに始まる。

教授在任中に『新撰催眠療法』『健全なる精神』などの著書を世に問うた少壮の精神病学者・石田氏は、1917年から2年間、米国・英国に留学する予定であったが、米国J.Hopkins大学在籍中に精神病を発症し、不幸な事件を起こして1925年に帰国を余儀なくされた。

1917年、石田氏の留学のあとを受け、同じく東京帝国大学医科大学助手であり、のちに歌人として、また青山脳病院院長として活躍し、一般には斉藤茂太、北杜夫両氏の
父としても知られる斉藤茂吉が、やはり35歳という若さで第2代教授に就任している。

斉藤氏のヨーロッパ留学を契機に同教室の運営は第3代教授・高橋清氏に引き継がれ、以後、仁志川種雄氏、高橋良氏、中根允文氏の歴代教授を経て、2003年10月、札幌医科大学から迎えた1960年生まれの第7代教授・小澤寛樹氏に舵取りが委ねられることになった。

小澤氏は、「実は、私は日本における躁うつ病の薬理・生化学的研究の草分けでいらした第5代教授・高橋良先生のお仕事に惹かれて躁うつ病、うつ病をライフワークと定め、先生が作られた研究会にも参加していたことがある人間なのです。
ですから、かつて先生が主宰されたこの教室に赴任できたことは本望です」という。

また、同教室は高橋・中根両氏らの尽力により、1979年には世界保健機構(WHO)から
「機能性精神病に関するWHO研究協力センター(1989年、精神保健の研究・訓練のための協力センターと改称)」の正式指定を受けており、国際共同研究に道を開いている。

こうしたことから、小澤氏は「当教室には、私が赴任する前から、歴代の教授、教室員の尽力でbio-psycho-social-ethicalのバランスのとれた布陣が整っており、こうしたよき伝統を引き継いで教室運営をしていきたいと考えています」と抱負を述べた。

 

臨床研修教育はミニ精神科医を目指すのではない

具体的には、まずスーパーローテイトにおける精神科の必修化をにらんで、学部教育・臨床研修教育を重視する姿勢を打ち出している。
研修医の教育について、小澤氏は「ミニ精神科医をつくるのではなく、一般的な精神医学の素養をベースに何かしら得意技を身につけてほしい」とその目的を示した。

研修医精神科セミナーのカリキュラムは3期に分かれ、前期には大学病院での医療保護症例(急性期入院)、痴呆を中心に薬物療法、認知行動療法の実際を学ぶとともに、外来診療に参加しながら依存症、急性期病棟(措置入院)の診療、地域医療を経験する。

ここでは、プライマリケアに必須の精神科知識・技能を修得するとともに、ロールプレイによる実践参加型トレーニング、国内外で活躍している専門家による講義・ディスカッション(Meet The Expert)、研修中に困った症例を話し合う症例ディスカッションなども盛り込まれているという。

精神科専門医となった中期には国立肥前療養所、国立がんセンター、ビュルツブルグ大学精神科、イリノイ州立大学、札幌医科大学高度救命救急センター、理化学研究所、静岡てんかんセンター、浦賀べてるの家(後述)などの国内外の施設に留学して得意分野をつくる。
後期には、大学病院教官、関連病院医長として任ぜられ、臨床・研究両面でさらに多様な可能性を追求しながら亢進の育成にあたるというわけだ。

小澤氏は「教育においても総合病院としての特性を生かして他科との連携(リエゾン)を進め、将来的には例えば8年間研修すれば、内科と精神科両方の専門医がとれるようにしたいし、それが時代の要請に応える道だと考えています」と語る。

 

一般市民、医学生のスティグマ是正に心血を注ぐ

教授就任にあたって、小澤氏は精神神経科教室の目標として、「教室員の多様な可能性を共有し、それをサポートする凝集力のある集団であり、精神医療に対するスティグマ(偏見)を是正し、患者さんの生活の向上を目指す集団であること」を掲げた。

そのために、小澤氏は、
1)仲間を増やす
2)教育≧臨床・研究(教育を中心とした教室運営)
3)総合病院としての大学精神科の役割を担う
4)地域医療を担う
5)人事に対する約束を守る
6)国内外に通用する臨床家・研究者の育成、を実践すると公言している。

とりわけスティグマの是正に寄せる小澤氏の思いは強く、本年から市民講座を恒例化し、平成16年10月22日には長崎大学医学部記念講堂で「精神障害を生きる−当事者中心の医療・浦賀べてるの家の活動−」を開催した。

浦賀べてるの家は北海道浦賀町にある精神障害者の当事者同士の共同体で、発足から約20年間、当事者自身が語ることを重視し、地域で患者として管理と保護のもとで生きるのではなく、自らの経験や苦労を生かし、主体的に地域の抱える課題に関わってきた歴史を持つという。

市民公開講座では、小澤氏の司会のもと、VTRの上映、浦賀べてるの家のメンバー、メンバーをサポートしてきた浦賀赤十字病院の川村敏明氏、北海道医療大学の向谷地生良氏による講演・討議などを通じて、当事者のもつ可能性について考える機会となった。

一方、小澤氏は、「精神病について知識がない段階では、患者さんと2人きりで面談するのが怖いという学生が8割にのぼりますが、精神病について学び、実際に患者さんと触れ合ったあとで怖いという学生は1割にも満たない」と医師・看護師教育においても
偏見の是正が重要と指摘している。

その一環として、小澤氏は医学生・研修医とともに『グッドウィルハンティング』「ビューティフルマインド」などの精神障害に材をとった映画を鑑賞し、討議する「Cine Psychiatry」を講義に取り入れた。
この講義は受講者の満足度が最も高く、継続希望が相次いだため、現在は講義を離れて月1回機会を設けているという。

小澤氏は、「医学生・研修医の教育は成人教育であり、その目的は自分自身を育てる能力を養うことにある」との信念から、日々、歴史学者・阿部欣也のいう教養人、大江健三郎のいう新しい人などの例示を示しながら、スティグマを生む社会を対象化しうる目、矛盾を乗り越える力を持ってほしい、と呼びかけている。

 

精神科医に求められるコーチングの技術

臨床面においては、精神神経科病床50床(閉鎖30床、開放20床)を有している。
小澤氏は、「都市型の大学病院の多くは軽症・中等症の神経症、うつ病の患者さんがベットを占めていますが、当院の入院患者さんはほとんどが統合失調症、重症うつ病、痴呆症、身体合併症といった精神医学の本道にあたる方々です」と言う。

外来診療では臨床心理士との連携による積極的な認知行動療法、作業療法士との連携による自助グループ的な色彩の強い集団療法、児童相談所との合同カンファレンスなどにも余念がない。

増加するうつ病の診療については、「うつ病には薬物療法に反応がよいものと薬物療法によっても治癒が遷延ないしは再発を繰り返すものがあります」と小澤氏は前置きしたうえで、特に後者について次のように指摘する。
「通常の薬物療法に抵抗する難治性のうつ病に対しては、ここに異なる患者さんの生活に基づく診療を行うことが大切です。薬物療法もより専門的なさじ加減が必要ですし、単なるカウンセリングというよりは、人生の伴奏者としてのより積極的な働きかけが求められます。
例えて言うなら、精神科医はオリンピックのメダリストに対するコーチのように患者さんの治療意欲を継続させることが重要で、それは精神科医の人間性が問われる全人的な医療ですが、私自身はそれも技術であり、個々の精神科医の努力で習得可能だと考えています」。

一方、大学医学部のもう1つの柱である研究については、「精神科医としての研究は、もっぱら臨床から発想し、患者さんの悩みや教えを疫学的、遺伝子学的、生化学的、生理学的に解明するという姿勢が大切だと思います」と言う。

現在、小澤氏自身は、「再生医学の観点から神経幹細胞と精神疾患の関連を検討し、
将来的にはニューロネットワークに基づく病態解明、治療法の開発につなげたい」としており、3人の講師を始めとする教室員も多忙な診療のさなかに寸暇を惜しんで個々のテーマに取り組んでいる。

若きリーダーが率いる教室内は瑞々しい熱気に満ちている。医局に置かれたいくつもの楽器がこのことを象徴してもいよう。「当教室のスタッフはバンド活動が盛んなことが示すようにお互いのコミュニケーションを大切にする、エネルギーにあふれた面々ですので、彼らとともに時代の波を超えていきたいと思います」と小澤氏は双眸を輝かせた。

スタッフ紹介