長崎大学医学部長 池松 和哉
長崎大学医学部は、1857年にオランダ国軍医ポンペ・ファン・メールデルフォールトが長崎奉行所西役所医学伝習所において、松本良順やその弟子達に近代西洋医学教育を開始したのをもって開学としています。その後1861年には西洋式の病院である小島養生所が開設され、ベッドサイドでの医学教育が始まっています。不幸にして1945年には原爆により医学部は壊滅的な打撃を受けましたが、多くの先人の献身的努力により、復興を遂げました