国内留学報告

国内留学報告:横浜市北部病院での2年間
南 ひとみ

2007年4月、卒後5年目の学年に、医局のご厚意により昭和大学横浜市北部病院消化器センターへやってきました。
2007年3月に現夫と結婚式を挙げまもなくの国内留学だったため、都会へ新婚生活を楽しみに行くのかというような声もあったようですが、実際には研究会以外で東京へ足を踏み入れた回数は片手の指で十分というように、ごく限られた行動範囲の中で地味に生活しています。
2007年4月、北部病院消化器センターへ入局した同期は総勢12名。後期研修医から十数年目のベテラン外科医までを含みます。まず驚いたのは、医局内での大腸勢力の強大さでした。北部病院消化器センターは、工藤“神の手”進英教授が率いる大腸センターであり、重要なのは早期大腸癌の発育進展とde novo癌をいかに早期に発見するかであるため、早期胃癌や食道癌の内視鏡診断はいわば完全な脇役であり、上部消化管内視鏡診断+治療班所属としてスタートした私にとっては、いささか寂しい研修開始となりました。
上部班は、外科医・内科医の各グループで構成されており、チーフである井上准教授のもとでそれぞれ別個に活動したり、ときに結集してHybrid procedureなるものを行ったりしています。ここでいう内科医のグループとは、私と、大腸内視鏡関連を主にやっている内科下部班からの3ヶ月おきのローテーター1名のことです。総勢2名。それに加えて非常勤で月に2~4回来られる先生が2名。現医局員だけで40名近いと言われる大腸勢と比較していただければその存在が計り知れるのではないかと思います。
しかし、人数が寡少な分内容は密度・レベルとも非常に高いものです。敢えて紹介しなくとも、消化管の世界では、我らが井上先生のことをご存じの方は多いのではないかと思いますが、以下に概略を述べさせていただきます。
井上 晴洋(いのうえ はるひろ)
1958年2月14日生まれ(公式HP:haru-inoue.comもご参照ください!)
1983年山口大学を卒業し、同年東京医科歯科大学第一外科入局。食道外科を専攻し、外科医として働くかたわらで、通称キャップ法EMRを発明し、さらにESDにおける三角ナイフの父でもあります。キャップ法EMRで学位を取られ、2001年、工藤“神の手”進英教授の誘いで北部病院消化器センターへ創設メンバーとして赴任してこられました。現在は、年間食道癌20例、胃癌100例にほぼ全例で術者として入られ、週1回の内視鏡日には一日がかりで40症例前後の内視鏡をこなし、それ以外にも国内外での講演やライブデモ、雑誌の原稿や論文執筆という、超ハードスケジュールをこなす超人ドクターと言えます。私は体力には自信のある方ですが、20年ほど先輩に当たるこの先生の気力と体力には恐れ入るところです。
…というような先生に直接教えていただける身分のため、上部消化管疾患の診断から治療まで(1mm癌から食道癌の術後管理まで)希望すればどんなことでも学ぶことができます。
内視鏡の方だけ見ると、ESD症例は年間食道約30例、胃約70例の約100症例。のはずなのですが、2009年はなぜか上半期のみで90例に上る勢いです。実際のところ井上先生はそういうスケジュールなので、ここ1年くらいESDはほぼ我々に任されるようになりました。内視鏡室でやる控えめな胃のESDから全身麻酔下での食道全周ESDに至るまで、十分な指導とバックアップの元で思うさま治療内視鏡ができるというのは、大変幸運なことです。
実際の近況ですが、2008年1年間で私がさせて頂いた研究会を含む学会発表は17。胃と腸の原稿をファーストネームで書かせて頂き、日本臨床社「消化管症候群」の一項目を執筆させて頂きました。現在2本の英文論文を投稿準備中です。学会発表やライブ助手としての海外デビューもあり、とにかく激動です。
ご紹介する内容は尽きませんが、最近のトピックスについて少しお話させていただいて締めくくりたいと思います。
目下、上部班の目玉治療は“食道アカラシアに対する内視鏡的内輪筋切開術”です。軽度~中等度の有症状の食道アカラシアに対する、Heller-Dor手術に代わる低侵襲治療であると考えています。これは、2007年Pasrichaらアメリカのグループが動物モデルで発表した手法ですが、humanへの応用は世界初であり、現在までの4例では大変良好な成績を収めています。内視鏡治療の本分である低侵襲性と外科手術並みの根治性をともに達成した治療法として今後注目を集めるのではないかと考えています。
このような先進的なことを間近で学ぶことができ、最新鋭の内視鏡機器を自由に操って研修できる場所は多くはありません。
北部病院消化器センター上部班はメンバー募集中です。北部病院で内視鏡を学びたいと思われる方は、遠慮なくご連絡ください。
最後になりましたが、わがままを聞いていただいた医局の皆様、特に骨を折ってくださった水田先生、本当にありがとうございます。
ご期待に沿うよう日々邁進しておりますので、今後ともどうかよろしくお願いします。

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