国内留学報告

国内留学記 -埼玉医科大学国際医療センター腫瘍内科-
塩澤 健

 厚生労働省の統計で"がん"が日本人の死因の1/3を占めるといわれて久しいですが、全がんの5年生存率は80%以上にまで上がってきています。しかし、年間約100万人超のがん死亡数を考えると、がん薬物療法、緩和医療に携わる内科医の責務は大きいと思われます。
 平成18年春、国立病院機構長崎医療センターに赴任し、外来化学療法に携わることを通じて"がん対策基本法"と"がん対策推進基本計画"、"がん拠点病院"について知りました。その基本理念では'がん研究の推進とその成果の活用'、'居住地域によらない適切ながん医療'、'患者本人の意向尊重'が謳われており、重点課題として'放射線および化学療法の推進'、'治療初期からの緩和ケア'が盛りこまれています。がん対策基本法は平成19年4月に施行、同6月にがん対策推進基本計画が策定され、その後都道府県が"がん拠点病院整備指針"を立案し流布され、長崎医療センターでも外来化学療法センター運営会議の議題に挙がりました。埼玉医科大学国際医療センターは同時期の平成19年4月に開設されました。同年夏、長崎大学病院がん診療センター主催の地域懇話会で、長崎県のがん死亡率が全国6位であることを聞き、真摯に取り組むべきことを再認識させられました。平成20年11月、長崎県がん診療連携拠点病院研修会に参加した折、埼玉医科大学国際医療センター緩和医療科奈良林至先生の講演で同院の現況を拝聴しました。埼玉医科大学国際医療センター腫瘍内科では、緩和医療科、精神腫瘍科と連携しながら、実地診療から臨床試験、新規抗がん剤の開発を目的とした治験まで"がん対策基本法の基本理念"がまさに実践されています。その高名な教室での研修はとても有益なものとなりました。
 埼玉医科大学国際医療センターは埼玉県日高市にある、がんセンター、心臓病センター、救急救命センターで構成される600床の医療センターで、がんセンターとしては300病床の規模があります。がんセンターの専門診療科には腫瘍内科、精神腫瘍科、緩和医療科のほか、脳・脊髄腫瘍科、小児腫瘍科、頭頸部腫瘍科、骨・軟部腫瘍科、造血組織腫瘍科、婦人科腫瘍科、泌尿器腫瘍科、乳腺腫瘍科、皮膚腫瘍科、病理診断科などがあり、サブセンターとして消化器病センター、呼吸器病センター、内視鏡検査・治療センターがあります。外来治療は40床の通院治療センターで行われます。腫瘍内科は平成14年に埼玉医科大学病院に新設されました。腫瘍内科では肺がん、乳がん、胃・大腸・食道などの消化器がん、頭頸部がん、子宮・卵巣などの婦人科がん、精巣・前立腺などの泌尿器がん、骨・軟部肉腫、原発不明がんなどの固形がんを対象として抗悪性腫瘍薬(抗がん剤)による治癒、延命、症状緩和を目指した化学療法が行われます。教授を含め医師は10名で、平成21年度には600人超の新患患者を受け入れ、延べ600人超の入院診療を行いました。
 腫瘍内科での一年間の研修で、消化器領域はもちろん、それ以外の癌腫も多く担当させて頂きました。在任期間を通して受け持った患者症例を紹介して研修報告とさせていただきます。
 60歳代の女性が腹痛でかかりつけの消化器内科医院を受診し、近隣の病院でCTが撮像され、肝両葉に多発する腫瘤と膵尾部の腫瘤にて消化器病センターへ紹介となりました。当初は膵がんとその肝転移が疑われましたがCA19-9等の腫瘍マーカーは陰性で腫瘍内科外来へ紹介されました。肝腫瘍からの経皮生検で内分泌癌の肝転移との病理組織診断に至りました。検査に伴う苦痛や結果に対する不安からか鬱々とした気分から抜け出せず、外来での悪性腫瘍の告知時から精神腫瘍科を併診となりました。入院し化学療法が導入されましたが抗がん剤治療に効果なく、二次化学療法にも不応で腫瘍が進行したため、開発段階の分子標的薬の第Ⅰ相治験を提示し同意を頂きました。投薬開始数日目に発熱、腹痛と肝障害、貧血、播種性血管内凝固、腫瘍崩壊症候群を疑わす血液検査値異常を認めたため治験薬は休止となり、CT画像で多発肝腫瘍の壊死と腫瘍内出血の所見がありました。自他覚症状と血液検査値の回復ののち、効果安全委員会の承認を経て治験薬を減量して再開し、最良で部分奏功を得ることができました。残念ながら、後の1、2ヶ月で腫瘍は再増大し治療は中止となりました。この頃より腹痛、食欲不振、全身倦怠、るいそうのほか、頭痛、動悸、熱感などの辛い症状が顕在化しました。身体症状に併せるように鬱病が悪化し、メンタルサポートの強化と向精神病薬の投薬を調整頂きました。自宅での食事摂取が思わしくなく入院療養を開始、直後の夜間に吐血、多発胃十二指腸潰瘍からの出血でした。救急救命医にて内視鏡止血処置。血中のガストリンが高値でZollinger-Ellison症候群が疑われました。頭痛、動悸などはホルモン症状と思われました。プロトンポンプ阻害薬と中心静脈栄養に加えオクトレオチドを開始したところ、随伴症状は軽快したものの腫瘍は進行しPerformance statusは低下していきました。腹痛、腹部膨満に対し塩酸モルヒネの持続静注を開始するとともに緩和ケアチームに介入を依頼しました。自宅療養を目指していたためモルヒネを皮下投与へ変更し、在宅中心静脈点滴と在宅酸素を導入、訪問看護との調整を進めながら在宅医との連携を模索し、試験外泊を繰り返しました。自宅外泊中にせん妄が悪化して緊急帰院、不可逆のまま全身状態が悪化、病院での看取りとなりました。死亡診断は私が行い、家族のご厚意で病理解剖に協力頂きました。
 この症例から沢山のことを教えられました。専門医を紹介する能力は治療と同等の価値があること;通常の膵がんらしくないことを気づくことで多くの薬物療法を提供することできました。がんには臓器、部位や型によって異なるそれぞれの特徴があること;内分泌腫瘍の治療ガイドラインに基づいた診療を心がけました。がん化学療法の安全性と有効性を正しく評価することの難しさ;第Ⅰ相試験ではリスクを最小化して安全性を担保することが最低条件となりますが、予期しない有害事象に遭遇した場合にも被験者のベネフィットを最大化することが求められます。治療のことだけではなく、患者(家族)の心の奥に何があるのかを考えることの大切さ;精神腫瘍科・臨床心理士ほかスタッフの皆に裾野を広げていただきました。まず痛みを取り除くことの大切さ;痛みをコントロールすることで精神的なケアに良い効果が現れることを実感しました。療養の場をシームレスに地域へ移行することの難しさ;がん治療は専門医療機関で完結するとは限りません。最期まで希望に沿うよう検討しましたがせん妄が加わったことで患者本人のインフォームドコンセントが取りにくい状況となりました。
 私にとってこの症例は深く印象に残るものとなり、腫瘍内科在任中にはカンファレンスや抄読会の議題とさせていただきました。読者の皆さんはどのようにお感じでしょうか。ともに考えることができれば幸いです。
 おわりになりますが、今回の研修にあたり、水田陽平先生、竹島史直先生、中尾一彦消化器内科教授、河野茂長崎大学病院長をはじめ沢山の方々にご助力を賜りました。また、埼玉医科大学国際医療センター佐々木康綱腫瘍内科教授、奈良林至緩和医療科教授、大西秀樹精神腫瘍科教授をはじめスタッフの皆様に多くのご指導とお力添えを頂きました。この機会に誌上を借りて厚くお礼申し上げます。

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横浜市北部病院での2年間
南 ひとみ

2007年4月、卒後5年目の学年に、医局のご厚意により昭和大学横浜市北部病院消化器センターへやってきました。
2007年3月に現夫と結婚式を挙げまもなくの国内留学だったため、都会へ新婚生活を楽しみに行くのかというような声もあったようですが、実際には研究会以外で東京へ足を踏み入れた回数は片手の指で十分というように、ごく限られた行動範囲の中で地味に生活しています。
2007年4月、北部病院消化器センターへ入局した同期は総勢12名。後期研修医から十数年目のベテラン外科医までを含みます。まず驚いたのは、医局内での大腸勢力の強大さでした。北部病院消化器センターは、工藤“神の手”進英教授が率いる大腸センターであり、重要なのは早期大腸癌の発育進展とde novo癌をいかに早期に発見するかであるため、早期胃癌や食道癌の内視鏡診断はいわば完全な脇役であり、上部消化管内視鏡診断+治療班所属としてスタートした私にとっては、いささか寂しい研修開始となりました。
上部班は、外科医・内科医の各グループで構成されており、チーフである井上准教授のもとでそれぞれ別個に活動したり、ときに結集してHybrid procedureなるものを行ったりしています。ここでいう内科医のグループとは、私と、大腸内視鏡関連を主にやっている内科下部班からの3ヶ月おきのローテーター1名のことです。総勢2名。それに加えて非常勤で月に2~4回来られる先生が2名。現医局員だけで40名近いと言われる大腸勢と比較していただければその存在が計り知れるのではないかと思います。
しかし、人数が寡少な分内容は密度・レベルとも非常に高いものです。敢えて紹介しなくとも、消化管の世界では、我らが井上先生のことをご存じの方は多いのではないかと思いますが、以下に概略を述べさせていただきます。
井上 晴洋(いのうえ はるひろ)
1958年2月14日生まれ(公式HP:haru-inoue.comもご参照ください!)
1983年山口大学を卒業し、同年東京医科歯科大学第一外科入局。食道外科を専攻し、外科医として働くかたわらで、通称キャップ法EMRを発明し、さらにESDにおける三角ナイフの父でもあります。キャップ法EMRで学位を取られ、2001年、工藤“神の手”進英教授の誘いで北部病院消化器センターへ創設メンバーとして赴任してこられました。現在は、年間食道癌20例、胃癌100例にほぼ全例で術者として入られ、週1回の内視鏡日には一日がかりで40症例前後の内視鏡をこなし、それ以外にも国内外での講演やライブデモ、雑誌の原稿や論文執筆という、超ハードスケジュールをこなす超人ドクターと言えます。私は体力には自信のある方ですが、20年ほど先輩に当たるこの先生の気力と体力には恐れ入るところです。
…というような先生に直接教えていただける身分のため、上部消化管疾患の診断から治療まで(1mm癌から食道癌の術後管理まで)希望すればどんなことでも学ぶことができます。
内視鏡の方だけ見ると、ESD症例は年間食道約30例、胃約70例の約100症例。のはずなのですが、2009年はなぜか上半期のみで90例に上る勢いです。実際のところ井上先生はそういうスケジュールなので、ここ1年くらいESDはほぼ我々に任されるようになりました。内視鏡室でやる控えめな胃のESDから全身麻酔下での食道全周ESDに至るまで、十分な指導とバックアップの元で思うさま治療内視鏡ができるというのは、大変幸運なことです。
実際の近況ですが、2008年1年間で私がさせて頂いた研究会を含む学会発表は17。胃と腸の原稿をファーストネームで書かせて頂き、日本臨床社「消化管症候群」の一項目を執筆させて頂きました。現在2本の英文論文を投稿準備中です。学会発表やライブ助手としての海外デビューもあり、とにかく激動です。
ご紹介する内容は尽きませんが、最近のトピックスについて少しお話させていただいて締めくくりたいと思います。
目下、上部班の目玉治療は“食道アカラシアに対する内視鏡的内輪筋切開術”です。軽度~中等度の有症状の食道アカラシアに対する、Heller-Dor手術に代わる低侵襲治療であると考えています。これは、2007年Pasrichaらアメリカのグループが動物モデルで発表した手法ですが、humanへの応用は世界初であり、現在までの4例では大変良好な成績を収めています。内視鏡治療の本分である低侵襲性と外科手術並みの根治性をともに達成した治療法として今後注目を集めるのではないかと考えています。
このような先進的なことを間近で学ぶことができ、最新鋭の内視鏡機器を自由に操って研修できる場所は多くはありません。
北部病院消化器センター上部班はメンバー募集中です。北部病院で内視鏡を学びたいと思われる方は、遠慮なくご連絡ください。
最後になりましたが、わがままを聞いていただいた医局の皆様、特に骨を折ってくださった水田先生、本当にありがとうございます。
ご期待に沿うよう日々邁進しておりますので、今後ともどうかよろしくお願いします。

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全ての患者様のために― 藤田保健衛生大学七栗サナトリウムにて
藤田保健衛生大学七栗サナトリウム
外科・緩和医療学講座 大原 寛之

はじめに
 みなさまご無沙汰しております。平成8年に旧 第2内科に入局し、平成10年より消化器内科医師として努めてまいりましたが、この4月より縁あって藤田保健衛生大学 外科・緩和医療学講座にお世話になっております、大原です。長崎では同門の諸先輩方、医局員の方々には大変お世話になりました。バタバタと赴任しましたので、まだ転勤のご報告すら出来ていないのですが、このたび医局長の市川先生より近況報告を、とのお話を頂きましたので、大変恐縮ですが消化器内科のウェブサイトページをお借りしてご報告させて頂きます。
 まず私がこちらにお世話になることになったきっかけです。研修医~市外研修生を経て、2001~2002年は大学医員(社会人大学院生)として旧 第2内科消化器班に在籍したのち、2003年4月から2009年5月まで大村市立病院(現 市立大村市民病院)に勤務しました。そしてとあるきっかけから、2004年1月に大村市立病院栄養サポートチーム(NST)を県内の自治体病院としては初めて立ち上げ、以来県内のNST研究会、内視鏡的胃瘻造設術(PEG)のセミナー、日本静脈経腸栄養学会(JSPEN)のTNT:Total Nutrition Therapy セミナー講師等、臨床的な栄養療法の啓発活動にも携わってまいりました。
 そんな折、2009年の春に現在勤務している藤田保健衛生大学 外科・緩和医療学講座の東口高志教授より、「うちの講座で一緒に栄養療法について仕事をやってみないか」というお誘いを受けました。彼は2000年からJSPENのNSTプロジェクトのキャプテンを務め、日本の栄養療法・チーム医療の進展に尽力されてきた方で、データの蓄積をしチーム医療の必要性を訴え、2006年の栄養管理実施加算、今年度の栄養サポート加算の新設を勝ち取る努力をされてきた方です。そんないわば「NST界のカリスマ」からのお誘いに、最初は半信半疑でしたが、講座には全国さまざまなところからお見えになっていること(前任者は北海道からでした)や、今まで東口先生が講演会等で発表されてきた、ご自身の施設の実態、それが「ほんまかいな?」と覗きみてみたくなったこともあり、ちょっと悩みましたが昨年の夏ごろにお受けすることを決心しました。今回の異動に関しましては、女の都病院の水田陽平先生、河野茂病院長、中尾一彦教授をはじめ多数の先生方にご協力・ご尽力を賜りましたこと、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
 
栄養サポートチーム:NSTとは
 三重でのお話をするまえに、栄養サポートチームについて少々解説をしなくてはなりません。皆様のイメージがどういうものか、ということもありますが、基本的なところから・・
 そもそもは1968年に、経口摂取の出来ない患者のために完全静脈栄養(TPN)がS.J.Dudrickらによって開発されたことがきっかけです。いままで不幸な転帰を取るしかなかった患者さんに対して福音であったTPNは、しかしカテーテル感染症などの合併症の問題もあり、また高価な栄養剤の濫用を避けるために、患者の栄養状態を評価して適切に使用する必要がありました。そのために多職種共同でアセスメントをするチームが必要となり、1973年ごろ米国のBostonCity病院で初めてのNSTが出来たということです。同時期にマサチューセッツ総合病院でもFisher教授(Fisher比、の先生です)らがHyperalimentation Unitという、輸液管理チームをスタートさせていたそうです。
 草創期のNSTは専任チームであり、病院全体を回診するようなチームを作っていました。しかしこのような方法は日本ではマンパワーのこともあって普及しませんでした。そこで、1998年に東口先生が当時勤務しておられた鈴鹿中央病院にPPM:Potluck Party Method =もちよりパーティー方式というスタイルで、日本式のNSTを最初に開設しました。これは各部署から少しずつリンクメンバーを選出して行なう、というスタイルで、以後同様の方法をアレンジしつつ発展させてきました。現在では1500以上の病院でNSTが稼動しております。
 藤田保健衛生大学七栗サナトリウムでのNSTはPPM-IIIというスタイルで、1.コアメンバーによるチームがあり、2.各病棟に医師・看護師・薬剤師・管理栄養士・臨床検査技師によるサテライトチームを作り、3.日ごろはサテライトメンバーが問題解決、週1回問題症例をコアメンバー回診時にアセスメントするというスタイルをとっております。入院患者に対してはほぼ全員(約98%)に「栄養管理実施計画書」を策定しており、専用のソフトで栄養状態のスクリーニングをしております。この春の「栄養サポート加算」に関しては当院の急性期病棟のみですが、1名専従の管理栄養士を置き、栄養アセスメント・プランニングを行なって算定をしております。長崎大学のNSTはどのような活動状況でしょうか?(確か市川先生もメンバーではなかったかしら?)

癌患者を取り巻く諸問題 ―新しい時代の緩和医療
 当院は218床の病院ですが、急性期病床は50床、緩和ケア病床が18床、回復期リハビリテーション病床が106床、療養型病床が44床という、大学病院ながらケアミックス型の病院です。目の前には水田が広がっていて今は田植えが漸く終ったところです。
 この18床の緩和ケア病棟はいつも満床で、地域から多数の患者さんの紹介を受けています。常に入院待ちが20名弱あり、急性期病床のうち、30床ぐらいを緩和ケア病棟への転棟待ちの患者さんが占めている状態です。
 当院に入院してきた患者さんは大概他の病院で手術や化学療法、放射線療法などを受けてきています。そして臨床的にPDとなって「悪液質」になってもはや回復の見込みなし、と判断されてから、家族・本人の希望によって当院への紹介となります。入院相談外来は家族だけ先に受けられる場合もあります。告知は殆どが受けておられ、予後についても告知されている場合が多いようです。
 ですが実際にこちらに入院されたあと、お元気になる方がかなり居られます。それはどうしてか?“悪液質”が進んでヤセが進み、食事も取れなくなり・・・と思っていた人たちが、実際は“飢餓”であることが多いからです。つまり抗癌剤などの癌治療を受ける間、十分な栄養サポートなしに治療を受けてしまった場合などにダメージを受け、結果栄養不良に陥っている方が少なからずいるということなのです。
 また栄養からは逸れますが、麻薬の使用法もかなりマチマチで、デュロテップパッチをどんどん使って意識が朦朧となり、呼吸抑制になって亡くなっていくというような正しくない使用法も未だにあります。それらをイッチョイッチョ(使わせてください、長崎弁に飢えているノデス・・・)はがして、経口モルヒネ剤、もしくはモルヒネ注などでコマメに調節すると、痛みを感じずに意識ははっきりして食事も出来るようになる、という方が少なからずいらっしゃいます。これらのことを是正・啓発していくために、地域で緩和研究会を開催したりしています。
 また送ってくださる急性期病院にも栄養サポートチームが存在しますが、多忙で十分活動できていなかったり、せっかく提言しても主治医が受け入れないなどの理由で、本当に有効な栄養療法が受けられなかった方がまだまだ多く、彼らは確かに栄養サポートを行なうことで見る見る元気になります。経口摂取に加えて補助栄養食品(グルタミン、アルギニンなどのアミノ酸やBCAAを強化したものなど)を追加したり、CVポートを入院早期に留置して(FOLFOX等のためにあらかじめ造設されている方もいます。)脂肪やビタミン・微量元素も含めて、必要な栄養素をしっかり入れるという、理論的にも至極当たり前なことをしています。しかし私自身、長崎にいるときにそこまで徹底して出来ていませんでした。またNSTと癌治療を行なう先生との連携、情報共有も大変大事だと痛感しています。月に1回のキャンサーボードでは、急性期~終末期にわたる議論がなされています。
 また緩和医療学講座ですので、本当に本当の癌終末期の患者様の栄養サポートについて、いわば不可逆になるポイントで確実に栄養療法の転換を図る(“ギアチェンジ”と呼んでいます)ことを行なっています。患者さんの苦痛緩和に極めて重要でして、今後はその辺りの研究をさらに突き詰めていくことになるのではないかと思います。
 
外科に内科医がいる、ということ
 ここまで書いたところで「ありゃ?おかしいな?」と思われたことでしょう。そう、当科は「外科・緩和医療学」です。院内では「外科」の先生ということになっており、外来でも腰が痛いひとや肩が痛い人なんかに注射をしたりしています。最初はトリガーポイント注射と聞いて「???」が一杯でした。(さすがに関節腔内注射はまだ他の先生にお願いしております)
 内視鏡検査は、胃瘻前チェックなど以外で行なうことは少なく、現在民間の病院に週2回GISのバイトに行っております。CSについてはさらに機会が少なく、段々内視鏡が出来なくなるのではないかと、若干危惧しております。また経鼻内視鏡を使ったDirect法での胃瘻造設も増えていますので、こちらに来て初めてのこの手技に早く慣れないとと思っています。
 一方リハビリテーション科の先生が多くいらっしゃいますが、内科全般についての精査などについて相談されることがシバシバあります。内科は内科として別に、消化器・血液・膠原病の先生が居られるのですが、胃瘻造設の依頼などが多いので相談しやすいのでしょうね。ちなみに循環器科、整形外科、皮膚科、眼科、泌尿器科、婦人科などはありませんし、脳卒中や急性心筋梗塞などの新規発生時は近隣の総合病院に送ることになりますが、近年とても救急事情が悪化しており、なかなか転院が出来ずに難渋することがあるようです。
 緩和ケア病棟が受け入れる癌腫は全てであり、乳がん、婦人科癌、頭頚部領域、泌尿器領域など多種多様です。それぞれについてある程度は勉強しないといけませんね。

結びに ―これからが本番です
 今年の3月に藤田保健衛生大学の本学の病院(愛知県豊明市)にも「緩和ケアセンター」が開設され、19床が稼動しております。教授は週の後半は本学におられますが、他に2名の先生(准教授、助教)だけで回しており、休日の拘束体制などとても手が足りないので、月に2回程度こちらから非常勤で出張しております。・・・これがまた遠い・・・七栗から高速道路で1時間40分掛かります。四日市の付近などトラック輸送の要所なので、合流に毎回ひやひやします。そう、こちらに来てから高速道路を使っての長距離の移動が大変多く、来てからガソリン代が1ヶ月で2万5000円ぐらいになってしまいました。
本学は当院とは違い、まだ緩和医療学というものも浸透していない場所ですし、いわゆる「大学病院」ということで出来る限りの処置を希望される患者さん、その家族も多く苦労も絶えません。それでも先生方のご尽力のおかげで、少しずつ根付いているようです。
 いろいろとまだまだ慣れないことも多いのですが、学生(医学部、理学療法士、看護師等)の講義も始まるし、来る2011年の2月には名古屋国際会議場で日本静脈経腸栄養学会総会の会長を東口教授が勤めます。今からはその準備でも大忙しです。依頼論文もあります。研究もしなきゃです。今からが本番です。長崎大学出身者として、十分な働きが出来るように努めたいと思います。
 拙い文章で、またわずか1ヶ月で大したことも出来ていないので恐縮ですが、以上でご報告を終ります。皆様のご健勝を伊勢の地よりお祈りしております。

 
国立がん研究センター中央病院 留学記
藤富 真吾

 2010年10月から2011年3月までの半年間 国立がん研究センター中央病院 消化管内科で研修させていただきました藤富真吾です。まだまだ消化器内科としても医者としても未熟でありますが、がんセンターへの研修という貴重な機会を頂きましたので、その体験を研修前も含め記させていただきます。なお今後同院への研修を希望される方への参考として書かせていただく部分もあり、稚拙な文もあるかと存じますが御容赦いただければ幸いです。

 私が研修の御話を初めて本格的に伺ったのは、2009年消化器内科が独自の講座として設立された頃でした。日本のがん研究の中心施設であることに加え、それまでに本田先生や竹下先生、川口(旧姓:川本)先生といった錚々たる方たちが行かれており、また東京という大都市での生活も含め自分に務まるのだろうかと非常に不安を強く感じました。しかし、元々癌加療に対する興味があり、化学療法およびその適応、副作用への対処、御家族への対応など日本での癌治療最高峰の一つであるがんセンターでどのように行われているのかを、実際に見聞して知りたいという気持ちも強かったことから研修を受けさせて頂こうと決めました。

 まずは研修前の話からさせていただきます。実際に研修を受けるためには、まず募集確認から試験まで熟さなければなりません。募集要項は病院のホームページからの確認となりますが、募集は複数あり年度・期間も違うため自身のものを確認し、必要書類を揃えたのち期限までに提出となります。これらは当たり前のことですが、いざ揃えよう・提出しようという際にはすぐには揃わないものも多いため、日時も含め余裕をもって確認出来るようしておくと醜態を晒さずに済むかと思います。なお、私の時には応募人数の関係上筆記試験はなく面談となりました。形式は各チーフの先生方が並んで座られ、受験者が一人ずつ面接室に呼ばれる形式です。その際の質問は研修を希望した理由や専攻を考えている臓器などいわゆる一般的な面接の質問でしたが、元々緊張しやすい私は事前に考えていた内容など全て抜け落ち、何とか言葉を繋ぎながら返答しているような有様でした。それでも実際に癌治療最前線でどのように加療が行われ、そのためにどのようなシステムなどがあるかを実際に見聞し、それを持ち帰って地域医療に役立てたいという意志を伝え、幸いにも研修を受けることが出来ることとなりました(なお、実際に研修可能の御通知を頂くまで、研修できるのだろうかという不安と自分の醜態を思い出しては落ち込む日々が続いておりました・・・)。

 実際に研修が始まると、先生方の加療に対する熱意と知識に圧倒されることや、システムの点でも完成度の高さに驚くことが数多くありました。研修時の体制説明とともに、その内の幾つかを述べさせていただきます。
 まず。私の研修させていただいた消化管内科は、トップである消化器診療グループ長の島田安博先生を筆頭に5人のスタッフの先生方がいらっしゃり、その下にそれぞれレジデントと言われる先生方が付かれることで5つのグループが作られていました。私は主に下部消化管を担当される濱口哲弥先生の下でレジデントの高橋直樹先生とともに研修させていただきました。なお、レジデントとは言っても一般病院の研修医の先生方とは違い、卒後4~7年目前後の方たちであり、抗がん剤の作用機序や適応、副作用への対処などに対する知識は膨大なものを持たれていました。さらに、プロトコルに関してもスタッフの先生方と立案・構築し、生のデータの統計・編集もされていました。これらはいずれも大学などでもされていることであり、取り立てて言うほどのことでもないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、日本全国で為されているもの・今後標準療法となるかもしれないものに同期前後の方たちが関わられているということは刺激になりました。また、私自身は半年という限られた期間内であったため消化管内科で集中的に研修させていただきましたが、がんセンター所属レジデントの先生方は他の科も研修されており、実際に使用した経験からの知識を教えて頂く機会もありました。
 システムとしては色々考えさせられたものがありますが、特に印象的だったものを2つ述べさせていただきます。一つは抗がん剤の入力システムです。電子カルテに完全移行していることもあり、入院時または施行近日に入力されている身長・体重から体表面積計算されており、プロトコル毎に前後の輸液・内服薬まで含め一つの単位とされてものを選択すると、必要量が自動で表示されていました。細かい単位に関しては切り捨てで整数化して入力し直したりしていましたが、選択プロトコルを間違えなければ、明らかに異なる薬剤投与量が為されることを防ぐことが出来るものでした。もちろんそれに加え調剤時および投与時にも確認が行われ、過量・過少投与防止が為されていました。抗がん剤は副作用が大きいものが多く、前後の輸液・内服も必要なものが多いため、院内投与方針の一元化含め非常に役立つシステムと考えました。もう一つは、カンファレンスについてです。これは病院毎の実情もあるかとは存じますが、がんセンターにおいては内科・外科・放射線科などが合同で行う機会が週毎に定期的にありました。診断から手術・術前術後化学療法といった治療に加え、その後の経過まで報告が行われることで、一貫した病態把握やより積極的な治療方針の提案などが為されていました。癌治療は特に様々な科が関わることが必要なものであり、他科と情報を共有することは自身の病態へのより深い理解に繋がるといった点とともに、他科の先生方とより同一の方向性を持つことでよりスムーズな加療が可能になるように感じました。
 一日の流れとしては、他病院と大きくは変わらないかと思います。朝、一旦スタッフの先生とともに担当の方の回診、その日の方針の打ち合わせなどを行った後、スタッフの先生方が外来をされている間に病棟業務を行い外来終了後に再度回診やカンファレンスがあるといった形が一般的でした。ただし、他病院と違っていた点として薬剤師の方が回診時に同行されていました。病棟担当の方がいらっしゃることはありましたが、日毎の回診にも付かれていたことで情報を共有し、診察後必要時にすぐ必要薬剤や減量につき相談することが出来たことは非常に心強いことでした。

 以上、連々と書き連ねさせて頂きました。小心者であり、赴任当初は非常に不安が強かったのですが、スタッフの先生方に非常に丁寧に御指導いただき、レジデントの先生方とも昼食を御一緒したり、治療方針につき話しあったりしているうちに、気付けば不安は消え去り研修に専念できるようになっていました。特にグループに付かせて頂いた濱口先生には、様々な御指導をいただきました。先生方の御助力により充実した期間を過ごし、今後の糧と出来たことは非常な幸いだったと思います。また、このような機会を与えてくださいました中尾一彦教授、市川辰樹准教授はじめ、研修前に色々と相談させていただきました先任の先生方や激励いただいた消化器内科の先生方に厚く御礼申し上げます。

 最後に今後研修・留学を考えてみようかなという方へ。百聞は一見に如かずと言われますが、国立がんセンターにしても私が研修前に抱いていたイメージとは違いました。各分野がありますが、その最高峰と言われる場所を実際に体験することは非常に身になりますし、刺激にもなります。拙文ですが、迷われている方の参考となれば幸いです。

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