国内留学記 -埼玉医科大学国際医療センター腫瘍内科-
塩澤 健 |
厚生労働省の統計で"がん"が日本人の死因の1/3を占めるといわれて久しいですが、全がんの5年生存率は80%以上にまで上がってきています。しかし、年間約100万人超のがん死亡数を考えると、がん薬物療法、緩和医療に携わる内科医の責務は大きいと思われます。
平成18年春、国立病院機構長崎医療センターに赴任し、外来化学療法に携わることを通じて"がん対策基本法"と"がん対策推進基本計画"、"がん拠点病院"について知りました。その基本理念では'がん研究の推進とその成果の活用'、'居住地域によらない適切ながん医療'、'患者本人の意向尊重'が謳われており、重点課題として'放射線および化学療法の推進'、'治療初期からの緩和ケア'が盛りこまれています。がん対策基本法は平成19年4月に施行、同6月にがん対策推進基本計画が策定され、その後都道府県が"がん拠点病院整備指針"を立案し流布され、長崎医療センターでも外来化学療法センター運営会議の議題に挙がりました。埼玉医科大学国際医療センターは同時期の平成19年4月に開設されました。同年夏、長崎大学病院がん診療センター主催の地域懇話会で、長崎県のがん死亡率が全国6位であることを聞き、真摯に取り組むべきことを再認識させられました。平成20年11月、長崎県がん診療連携拠点病院研修会に参加した折、埼玉医科大学国際医療センター緩和医療科奈良林至先生の講演で同院の現況を拝聴しました。埼玉医科大学国際医療センター腫瘍内科では、緩和医療科、精神腫瘍科と連携しながら、実地診療から臨床試験、新規抗がん剤の開発を目的とした治験まで"がん対策基本法の基本理念"がまさに実践されています。その高名な教室での研修はとても有益なものとなりました。
埼玉医科大学国際医療センターは埼玉県日高市にある、がんセンター、心臓病センター、救急救命センターで構成される600床の医療センターで、がんセンターとしては300病床の規模があります。がんセンターの専門診療科には腫瘍内科、精神腫瘍科、緩和医療科のほか、脳・脊髄腫瘍科、小児腫瘍科、頭頸部腫瘍科、骨・軟部腫瘍科、造血組織腫瘍科、婦人科腫瘍科、泌尿器腫瘍科、乳腺腫瘍科、皮膚腫瘍科、病理診断科などがあり、サブセンターとして消化器病センター、呼吸器病センター、内視鏡検査・治療センターがあります。外来治療は40床の通院治療センターで行われます。腫瘍内科は平成14年に埼玉医科大学病院に新設されました。腫瘍内科では肺がん、乳がん、胃・大腸・食道などの消化器がん、頭頸部がん、子宮・卵巣などの婦人科がん、精巣・前立腺などの泌尿器がん、骨・軟部肉腫、原発不明がんなどの固形がんを対象として抗悪性腫瘍薬(抗がん剤)による治癒、延命、症状緩和を目指した化学療法が行われます。教授を含め医師は10名で、平成21年度には600人超の新患患者を受け入れ、延べ600人超の入院診療を行いました。
腫瘍内科での一年間の研修で、消化器領域はもちろん、それ以外の癌腫も多く担当させて頂きました。在任期間を通して受け持った患者症例を紹介して研修報告とさせていただきます。
60歳代の女性が腹痛でかかりつけの消化器内科医院を受診し、近隣の病院でCTが撮像され、肝両葉に多発する腫瘤と膵尾部の腫瘤にて消化器病センターへ紹介となりました。当初は膵がんとその肝転移が疑われましたがCA19-9等の腫瘍マーカーは陰性で腫瘍内科外来へ紹介されました。肝腫瘍からの経皮生検で内分泌癌の肝転移との病理組織診断に至りました。検査に伴う苦痛や結果に対する不安からか鬱々とした気分から抜け出せず、外来での悪性腫瘍の告知時から精神腫瘍科を併診となりました。入院し化学療法が導入されましたが抗がん剤治療に効果なく、二次化学療法にも不応で腫瘍が進行したため、開発段階の分子標的薬の第Ⅰ相治験を提示し同意を頂きました。投薬開始数日目に発熱、腹痛と肝障害、貧血、播種性血管内凝固、腫瘍崩壊症候群を疑わす血液検査値異常を認めたため治験薬は休止となり、CT画像で多発肝腫瘍の壊死と腫瘍内出血の所見がありました。自他覚症状と血液検査値の回復ののち、効果安全委員会の承認を経て治験薬を減量して再開し、最良で部分奏功を得ることができました。残念ながら、後の1、2ヶ月で腫瘍は再増大し治療は中止となりました。この頃より腹痛、食欲不振、全身倦怠、るいそうのほか、頭痛、動悸、熱感などの辛い症状が顕在化しました。身体症状に併せるように鬱病が悪化し、メンタルサポートの強化と向精神病薬の投薬を調整頂きました。自宅での食事摂取が思わしくなく入院療養を開始、直後の夜間に吐血、多発胃十二指腸潰瘍からの出血でした。救急救命医にて内視鏡止血処置。血中のガストリンが高値でZollinger-Ellison症候群が疑われました。頭痛、動悸などはホルモン症状と思われました。プロトンポンプ阻害薬と中心静脈栄養に加えオクトレオチドを開始したところ、随伴症状は軽快したものの腫瘍は進行しPerformance statusは低下していきました。腹痛、腹部膨満に対し塩酸モルヒネの持続静注を開始するとともに緩和ケアチームに介入を依頼しました。自宅療養を目指していたためモルヒネを皮下投与へ変更し、在宅中心静脈点滴と在宅酸素を導入、訪問看護との調整を進めながら在宅医との連携を模索し、試験外泊を繰り返しました。自宅外泊中にせん妄が悪化して緊急帰院、不可逆のまま全身状態が悪化、病院での看取りとなりました。死亡診断は私が行い、家族のご厚意で病理解剖に協力頂きました。
この症例から沢山のことを教えられました。専門医を紹介する能力は治療と同等の価値があること;通常の膵がんらしくないことを気づくことで多くの薬物療法を提供することできました。がんには臓器、部位や型によって異なるそれぞれの特徴があること;内分泌腫瘍の治療ガイドラインに基づいた診療を心がけました。がん化学療法の安全性と有効性を正しく評価することの難しさ;第Ⅰ相試験ではリスクを最小化して安全性を担保することが最低条件となりますが、予期しない有害事象に遭遇した場合にも被験者のベネフィットを最大化することが求められます。治療のことだけではなく、患者(家族)の心の奥に何があるのかを考えることの大切さ;精神腫瘍科・臨床心理士ほかスタッフの皆に裾野を広げていただきました。まず痛みを取り除くことの大切さ;痛みをコントロールすることで精神的なケアに良い効果が現れることを実感しました。療養の場をシームレスに地域へ移行することの難しさ;がん治療は専門医療機関で完結するとは限りません。最期まで希望に沿うよう検討しましたがせん妄が加わったことで患者本人のインフォームドコンセントが取りにくい状況となりました。
私にとってこの症例は深く印象に残るものとなり、腫瘍内科在任中にはカンファレンスや抄読会の議題とさせていただきました。読者の皆さんはどのようにお感じでしょうか。ともに考えることができれば幸いです。
おわりになりますが、今回の研修にあたり、水田陽平先生、竹島史直先生、中尾一彦消化器内科教授、河野茂長崎大学病院長をはじめ沢山の方々にご助力を賜りました。また、埼玉医科大学国際医療センター佐々木康綱腫瘍内科教授、奈良林至緩和医療科教授、大西秀樹精神腫瘍科教授をはじめスタッフの皆様に多くのご指導とお力添えを頂きました。この機会に誌上を借りて厚くお礼申し上げます。
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全ての患者様のために― 藤田保健衛生大学七栗サナトリウムにて
藤田保健衛生大学七栗サナトリウム
外科・緩和医療学講座 大原 寛之 |
はじめに
みなさまご無沙汰しております。平成8年に旧 第2内科に入局し、平成10年より消化器内科医師として努めてまいりましたが、この4月より縁あって藤田保健衛生大学 外科・緩和医療学講座にお世話になっております、大原です。長崎では同門の諸先輩方、医局員の方々には大変お世話になりました。バタバタと赴任しましたので、まだ転勤のご報告すら出来ていないのですが、このたび医局長の市川先生より近況報告を、とのお話を頂きましたので、大変恐縮ですが消化器内科のウェブサイトページをお借りしてご報告させて頂きます。
まず私がこちらにお世話になることになったきっかけです。研修医~市外研修生を経て、2001~2002年は大学医員(社会人大学院生)として旧 第2内科消化器班に在籍したのち、2003年4月から2009年5月まで大村市立病院(現 市立大村市民病院)に勤務しました。そしてとあるきっかけから、2004年1月に大村市立病院栄養サポートチーム(NST)を県内の自治体病院としては初めて立ち上げ、以来県内のNST研究会、内視鏡的胃瘻造設術(PEG)のセミナー、日本静脈経腸栄養学会(JSPEN)のTNT:Total Nutrition Therapy セミナー講師等、臨床的な栄養療法の啓発活動にも携わってまいりました。
そんな折、2009年の春に現在勤務している藤田保健衛生大学 外科・緩和医療学講座の東口高志教授より、「うちの講座で一緒に栄養療法について仕事をやってみないか」というお誘いを受けました。彼は2000年からJSPENのNSTプロジェクトのキャプテンを務め、日本の栄養療法・チーム医療の進展に尽力されてきた方で、データの蓄積をしチーム医療の必要性を訴え、2006年の栄養管理実施加算、今年度の栄養サポート加算の新設を勝ち取る努力をされてきた方です。そんないわば「NST界のカリスマ」からのお誘いに、最初は半信半疑でしたが、講座には全国さまざまなところからお見えになっていること(前任者は北海道からでした)や、今まで東口先生が講演会等で発表されてきた、ご自身の施設の実態、それが「ほんまかいな?」と覗きみてみたくなったこともあり、ちょっと悩みましたが昨年の夏ごろにお受けすることを決心しました。今回の異動に関しましては、女の都病院の水田陽平先生、河野茂病院長、中尾一彦教授をはじめ多数の先生方にご協力・ご尽力を賜りましたこと、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
栄養サポートチーム:NSTとは
三重でのお話をするまえに、栄養サポートチームについて少々解説をしなくてはなりません。皆様のイメージがどういうものか、ということもありますが、基本的なところから・・
そもそもは1968年に、経口摂取の出来ない患者のために完全静脈栄養(TPN)がS.J.Dudrickらによって開発されたことがきっかけです。いままで不幸な転帰を取るしかなかった患者さんに対して福音であったTPNは、しかしカテーテル感染症などの合併症の問題もあり、また高価な栄養剤の濫用を避けるために、患者の栄養状態を評価して適切に使用する必要がありました。そのために多職種共同でアセスメントをするチームが必要となり、1973年ごろ米国のBostonCity病院で初めてのNSTが出来たということです。同時期にマサチューセッツ総合病院でもFisher教授(Fisher比、の先生です)らがHyperalimentation Unitという、輸液管理チームをスタートさせていたそうです。
草創期のNSTは専任チームであり、病院全体を回診するようなチームを作っていました。しかしこのような方法は日本ではマンパワーのこともあって普及しませんでした。そこで、1998年に東口先生が当時勤務しておられた鈴鹿中央病院にPPM:Potluck Party Method =もちよりパーティー方式というスタイルで、日本式のNSTを最初に開設しました。これは各部署から少しずつリンクメンバーを選出して行なう、というスタイルで、以後同様の方法をアレンジしつつ発展させてきました。現在では1500以上の病院でNSTが稼動しております。
藤田保健衛生大学七栗サナトリウムでのNSTはPPM-IIIというスタイルで、1.コアメンバーによるチームがあり、2.各病棟に医師・看護師・薬剤師・管理栄養士・臨床検査技師によるサテライトチームを作り、3.日ごろはサテライトメンバーが問題解決、週1回問題症例をコアメンバー回診時にアセスメントするというスタイルをとっております。入院患者に対してはほぼ全員(約98%)に「栄養管理実施計画書」を策定しており、専用のソフトで栄養状態のスクリーニングをしております。この春の「栄養サポート加算」に関しては当院の急性期病棟のみですが、1名専従の管理栄養士を置き、栄養アセスメント・プランニングを行なって算定をしております。長崎大学のNSTはどのような活動状況でしょうか?(確か市川先生もメンバーではなかったかしら?)
癌患者を取り巻く諸問題 ―新しい時代の緩和医療
当院は218床の病院ですが、急性期病床は50床、緩和ケア病床が18床、回復期リハビリテーション病床が106床、療養型病床が44床という、大学病院ながらケアミックス型の病院です。目の前には水田が広がっていて今は田植えが漸く終ったところです。
この18床の緩和ケア病棟はいつも満床で、地域から多数の患者さんの紹介を受けています。常に入院待ちが20名弱あり、急性期病床のうち、30床ぐらいを緩和ケア病棟への転棟待ちの患者さんが占めている状態です。
当院に入院してきた患者さんは大概他の病院で手術や化学療法、放射線療法などを受けてきています。そして臨床的にPDとなって「悪液質」になってもはや回復の見込みなし、と判断されてから、家族・本人の希望によって当院への紹介となります。入院相談外来は家族だけ先に受けられる場合もあります。告知は殆どが受けておられ、予後についても告知されている場合が多いようです。
ですが実際にこちらに入院されたあと、お元気になる方がかなり居られます。それはどうしてか?“悪液質”が進んでヤセが進み、食事も取れなくなり・・・と思っていた人たちが、実際は“飢餓”であることが多いからです。つまり抗癌剤などの癌治療を受ける間、十分な栄養サポートなしに治療を受けてしまった場合などにダメージを受け、結果栄養不良に陥っている方が少なからずいるということなのです。
また栄養からは逸れますが、麻薬の使用法もかなりマチマチで、デュロテップパッチをどんどん使って意識が朦朧となり、呼吸抑制になって亡くなっていくというような正しくない使用法も未だにあります。それらをイッチョイッチョ(使わせてください、長崎弁に飢えているノデス・・・)はがして、経口モルヒネ剤、もしくはモルヒネ注などでコマメに調節すると、痛みを感じずに意識ははっきりして食事も出来るようになる、という方が少なからずいらっしゃいます。これらのことを是正・啓発していくために、地域で緩和研究会を開催したりしています。
また送ってくださる急性期病院にも栄養サポートチームが存在しますが、多忙で十分活動できていなかったり、せっかく提言しても主治医が受け入れないなどの理由で、本当に有効な栄養療法が受けられなかった方がまだまだ多く、彼らは確かに栄養サポートを行なうことで見る見る元気になります。経口摂取に加えて補助栄養食品(グルタミン、アルギニンなどのアミノ酸やBCAAを強化したものなど)を追加したり、CVポートを入院早期に留置して(FOLFOX等のためにあらかじめ造設されている方もいます。)脂肪やビタミン・微量元素も含めて、必要な栄養素をしっかり入れるという、理論的にも至極当たり前なことをしています。しかし私自身、長崎にいるときにそこまで徹底して出来ていませんでした。またNSTと癌治療を行なう先生との連携、情報共有も大変大事だと痛感しています。月に1回のキャンサーボードでは、急性期~終末期にわたる議論がなされています。
また緩和医療学講座ですので、本当に本当の癌終末期の患者様の栄養サポートについて、いわば不可逆になるポイントで確実に栄養療法の転換を図る(“ギアチェンジ”と呼んでいます)ことを行なっています。患者さんの苦痛緩和に極めて重要でして、今後はその辺りの研究をさらに突き詰めていくことになるのではないかと思います。
外科に内科医がいる、ということ
ここまで書いたところで「ありゃ?おかしいな?」と思われたことでしょう。そう、当科は「外科・緩和医療学」です。院内では「外科」の先生ということになっており、外来でも腰が痛いひとや肩が痛い人なんかに注射をしたりしています。最初はトリガーポイント注射と聞いて「???」が一杯でした。(さすがに関節腔内注射はまだ他の先生にお願いしております)
内視鏡検査は、胃瘻前チェックなど以外で行なうことは少なく、現在民間の病院に週2回GISのバイトに行っております。CSについてはさらに機会が少なく、段々内視鏡が出来なくなるのではないかと、若干危惧しております。また経鼻内視鏡を使ったDirect法での胃瘻造設も増えていますので、こちらに来て初めてのこの手技に早く慣れないとと思っています。
一方リハビリテーション科の先生が多くいらっしゃいますが、内科全般についての精査などについて相談されることがシバシバあります。内科は内科として別に、消化器・血液・膠原病の先生が居られるのですが、胃瘻造設の依頼などが多いので相談しやすいのでしょうね。ちなみに循環器科、整形外科、皮膚科、眼科、泌尿器科、婦人科などはありませんし、脳卒中や急性心筋梗塞などの新規発生時は近隣の総合病院に送ることになりますが、近年とても救急事情が悪化しており、なかなか転院が出来ずに難渋することがあるようです。
緩和ケア病棟が受け入れる癌腫は全てであり、乳がん、婦人科癌、頭頚部領域、泌尿器領域など多種多様です。それぞれについてある程度は勉強しないといけませんね。
結びに ―これからが本番です
今年の3月に藤田保健衛生大学の本学の病院(愛知県豊明市)にも「緩和ケアセンター」が開設され、19床が稼動しております。教授は週の後半は本学におられますが、他に2名の先生(准教授、助教)だけで回しており、休日の拘束体制などとても手が足りないので、月に2回程度こちらから非常勤で出張しております。・・・これがまた遠い・・・七栗から高速道路で1時間40分掛かります。四日市の付近などトラック輸送の要所なので、合流に毎回ひやひやします。そう、こちらに来てから高速道路を使っての長距離の移動が大変多く、来てからガソリン代が1ヶ月で2万5000円ぐらいになってしまいました。
本学は当院とは違い、まだ緩和医療学というものも浸透していない場所ですし、いわゆる「大学病院」ということで出来る限りの処置を希望される患者さん、その家族も多く苦労も絶えません。それでも先生方のご尽力のおかげで、少しずつ根付いているようです。
いろいろとまだまだ慣れないことも多いのですが、学生(医学部、理学療法士、看護師等)の講義も始まるし、来る2011年の2月には名古屋国際会議場で日本静脈経腸栄養学会総会の会長を東口教授が勤めます。今からはその準備でも大忙しです。依頼論文もあります。研究もしなきゃです。今からが本番です。長崎大学出身者として、十分な働きが出来るように努めたいと思います。
拙い文章で、またわずか1ヶ月で大したことも出来ていないので恐縮ですが、以上でご報告を終ります。皆様のご健勝を伊勢の地よりお祈りしております。
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