長崎大学「原爆復興80周年記念事業」

事業の概要

 昭和20年8月9日11時2分、長崎浦上の地に投下された1発の原子爆弾は、長崎医科大学を破壊し、約900名の学生・教職員の生命を奪い去りました。その絶望的な原子野の中にあって、先人達は献身的に被災者の救護にあたり、医療者としての職務を果たそうと懸命に努力されました。さらに、廃校の危機にあった本学は同窓生を始めとする各界関係者のご尽力により存続し見事に復興を果たし、長崎大学医学部の今日を迎えております。
 来る令和7年8月には、原爆復興80周年を迎えます。この節目の年を迎えるにあたり、私どもは、「長崎大学医学部原爆復興80周年記念事業実行委員会」を立ち上げ、記念事業を行う計画を進めております。主な事業計画は、記念講演会、被災写真や被ばく資料の展示、原爆被爆10周年旧長崎医科大学記念誌「追憶」の英訳、記念誌発行などです。
 長崎大学医学部は、我が国の西洋医学発祥大学としての誇りを胸に、優れた医師の養成と医学や地域医療へ貢献する事はもとより、人類史上唯一の被爆大学としての歴史と平和希求の精神を後世に継承していく所存でございます。本事業が、ロシアのウクライナ侵略やイスラエル・パレスチナ問題など、今日の社会情勢の厳しい現実を思い、もう一度原爆被爆の歴史を考え、次の行動へつながる契機となれば幸いです。

令和6年12月吉日

発起人
長崎大学医学部原爆復興80周年記念事業実行委員会
長崎大学医学部長 池 松 和 哉
長崎大学原爆後障害医療研究所長 中 島 正 洋
長崎大学病院長 尾 﨑   誠
長崎大学薬学部長 西 田 孝 洋
長崎医学同窓会会長 朝 長 万左男
長崎看護学同窓会会長 浦 田 秀 子
長薬同窓会会長 中 嶋 幹 郎
長崎原子爆弾被爆者対策協議会 理事長 三 根 眞理子
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