認知症を描いた
第1回 「明日の記憶」(2006)


長崎大精神科の小澤寛樹です。今月から月一回、さまざまな映画の中に描写される精神医学の世界を分かりやすく解説したいと思います。
 精神医学は分かりにくく、ましてや患者として受診するとなると、怖くて恥ずかしいと思う人が多いかもしれません。心は目に見えないもので、客観化が難しいことが理由の一つです。一方、映画は心理を視覚化し、多くの人が共有できる点から精神医学の教材として一級品といえます。
 最初に取り上げるのは「明日の記憶」 (2006年)です。主演の渡辺謙さんが原作者に掛け合って映画化した作品で、日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞にも輝きました。認知症の経過や症状、本人と家族の苦労が医学的にも的確に表現された作品です。

■若くして発病も
 50歳になる佐伯雅行(渡辺謙)は妻と結婚式を控える娘を持つ、働き盛りの営業課長でした。ある日、大切なクライアントとの打ち合わせ時間を自ら変更したにもかかわらず、そのことをすっかり忘れてしまいます。
 佐伯は単なる心身の疲労による軽いうつ病と考えていましたが、受診の結果、早発性の「アルツハイマー病」でした。「俺(おれ)が俺じゃなくなっていくんだぞ」と泣き崩れる佐伯。残酷にも病は徐々に進行していきます。
 アルツハイマー病は脳の神経細胞か減少することで記憶や、ものを認識する力の働きが徐々に失われていきます。ワクチン療法など新しい画期的な治療法が研究されていますが、残念ながら現段階で根本的な治療法はなく、進行を遅らせる薬があるだけです。
 日本で認知症と診断されている人は約200万人、そのうちアルツハイマー病は40%といわれています。65歳以上で多くなり、男女比は1:2で、女性に多い傾向にあります。50歳と若くして発病するケースもあり、その場合にはより進行が早いとされます。
 診断は知能評価心理検査、脳画像検査と脳血流検査により行います。重要なのは佐伯のようにその行為自体を全く覚えていない、「忘れた」ということさえ思い出せない点です。さらに進行すると徘徊(はいかい)や失禁、情緒不安定、幻覚などが現れ、介護が必要となっていきます。

■苦し紛れの妄想
 佐伯が「俺か俺でなくなっていく」と言うように、初期の告知はがんの告知よりも残酷な面があります。本人にとっては生きながらにして「死」を意味するものなのかもしれません。
 アルツハイマー病を題材にした映画では「私の顔の中の消しゴム」 「君に読む物語」など夫婦関係がテーマになるものが多くあります。男は認知症になると「奥さんがいなくなる」と嫉妬(しっと)を語るときがあります。認知症の人は愛情と信頼を失うことへの苦し紛れから、理不尽な対処として妄想をつくり出すことがあるのです。
 「明日の記憶」では佐伯から記憶が奪われた後、夫婦が向き合う場面が出てきます。その瞬間、瞬間だけを生きることになった主人公に最後に残ったもの。それは家族に紡がれる未来への記憶だったのかもしれません。記憶が失われた時こそ、人は寄り添う存在が必要なのです。


認知症に関する推薦映画
・「私の頭の中の消しゴム」(2004年/韓国)
・「君に読む物語」(2004年/米国)
・「電話で抱きしめて」(2000年/米国)
・「折り梅」(2002年/日本)