境界性パーソパリティー障害を描いた
第6回 「17歳のカルテ」(1999)

 今回取り上げる米映画「17歳のカルテ」が日本で公開されたのは2000年。17歳の少年による事件が頻発したことでこの邦題が採用され、注目を集めました。思春期(青年期)特有の危うい心性と「境界性パーソナリティー障害」(BPD)とい義理を絡めて描いた作品です。
 映画は、ウィノナ・ライダー演じるスザンナがアスピリンとウオツカを大量に飲んで自殺木連を犯し、病院に搬送されるシーンで幕を開けます。大学進学はおろか生きている意味さえ分からず、毎日言葉にならないむなしさと不安の中で生活しているのに、その苦しみを両親に分かってもらえず失望するスザンナ。情緒不安定でありながら他人に心を開かない彼女を心配して両親は精神科に入院させることにします。
 その閉鎖された思春期病棟で、スザンナはさまざまな病を抱えた少女たちと出会います。初めは違和感を隠せませんでしたが、次第に生活に慣れ、長らく避けていた対人関係を少しずつ取り戻していきます。
 中でも医師や看護師に屈さず自分の意志を貫くリサとの関係は自らを覆っていた虚無感や不安を吹き飛ばし、毎日の生活を刺激的で色鮮やかなものにしました。ついにはリサの誘いで、病院を無断で離院するのですが―。
 スザンナの病名として診断されたBPDは①見捨てられ不安②不安定で激しい対人関係③同一性障害(アイデンティティーの障害)④衝動性⑤感情の異変性-などが特徴として挙げられます。
 彼らは常に慢性的な憂うつ感・虚無感に包まれている一方、見捨てられるのでないかと強い不安を抱えています。その身の置き所のなさゆえに、自分を絶対的に受け入れ、守ってくれる理想の相手・居場所を求め、安易な異性関係を持ったり、さまざまなグループに出入りしたりします。
 しかし、そこでのささいな人間関係の摩擦やギャップに傷つき、それらに絶望し、衝動的に自傷行為や自殺企国を繰り返すのです。
 彼らの言動は、はたから見ると両極端な二者択一的な思考で操作的・自滅的で、自我同一性の混乱が認められますが、本人の中ではやりたいことをやっているため、その矛盾が認識されず、内省がなかなか深まりません。彼らの対人関係の不安定性・操作的な書動により、医師との僧頼関係も形成しにくく、病院を転々と渡り歩くケースが多いようです。
 周囲を振り回し、行き詰まれば自傷行為など自己破壊的行動にでてしまうBPD患者は日常生活においても「厄介な存在」視されます。そのため、患者の自己否定感はさらに高まり、見捨てられまいとしがみつく―といった悪循環に陥りやすく、そこから抜け出すことは至難の業です。
 まずは自分の矛盾を自覚させ、少しずつ自己評価を変えていくこと、それと同時に周囲に惑わされない自分という「芯」 (自我)をつくっていくことが必要です。そのためには本人の努力はもちろん、粘り強い一貫した周囲のサポートが欠かせません。
 映画のラストでスザンナは言います。「この世は矛盾に満ちて不誠実で欺瞞(ぎまん)にあふれて、生きていくのに値しないものかもしれない。でもそんな世の中でも生きていこうと思う」。今の子どもたちに必要なのは理想やファンタジーではなく、本音と建前の間で苦悩して生きる人間の覚悟、社会の矛盾した感情を、大人たちが伝えることかもしれません。