記憶障害を描いた
第14回 「メメント」(2000)

 「メメント」とはラテン語で「記憶」という意味です。この米映画により監督クリストファー・ノーランは一躍有名になりました。
 妻を失った主人公レナード・シェルピー(ガイ・ピアース)の復讐(ふくしゅう)がテーマになりますが、彼は過去の記憶は保たれているが、頭部外傷のため、それ以降の出来事が記憶できない「前向性健忘状態」にあります。新しい記憶を長期記憶として変換、固定することができず、10分しか記憶が続きません。
 物語は結末から始まって逆に進行していきます。10分ほどに小分けされた一連の場面がカラー映像で過去にさかのぼりながら展開され、その合間に時間の流れとともに進行する白黒映像の場面が挿入されます。見ている者も主人公と同じような心理状態を体験できる仕組みになっています。
 この映画は記憶障害を抱える人の苦悩とともに、それへの対策も詳しく描いています。主人公は入れ墨、人物や場所を撮影したポラロイド写真、メモなどを使って記憶を保持しようとします。そして、そのために必要な忍耐のいる訓練や細かい工夫を具体的に映し出しています。普段当たり前のこととして享受している「記憶する」ことが、実は尊ぶべきものであることを印象づけます。
 この連載の最初に紹介した「明日の記憶」のテーマである認知症は、すべての記憶がなくなっていく症状でした。メメントでは短期記憶を長期記憶に変換できないという部分に問題があるわけです。私の患者さんには、田中角栄元首相が亡くなられた日にテレビのニュースを見るたびに驚いて、奥さんに報告した男性がいました。
 この状態を「高次脳機能障害」と呼ぶこともあります。このような記憶障害の原因は交通事故や転倒などによる頭部外傷、脳腫瘍(しゅよう)、脳卒中、脳炎などがありますが、代表的なものがウェルニッケ・コルサコフ症候群です。高齢のアルコール依存症の人によく見られるもので、ビタミンB1(チアミン)の不足が原因です。
 実は人間の記憶の作業で重要なのは、ビデオレコーダーのように事実を元のように記録することではなく、記憶情報をたゆまず編集しているということが、最近の脳科学研究から分かってきました。記憶をとどめるとともに、つらい過去の体験などが突然よみがえるフラッシュバックのような記憶を消去し、健全な心を保つ役割を果たしているのです。
 そのため、人は新しい情報を学習する能力に問題があると、物事のつじつまを合わせようと、作り話をしてしまいます。多くは自分に都合よく、時には自分を傷つけるような解釈がなされ、その個人にとって現実世界となっていきます。
  映画のラストで、主人公が車を運転中に目を閉じ「そこに世界はあるか」と自問し、目を開いて「あった。記憶は自分の確認なんだ。皆そうだ」と結論に至る場面があります。
 記憶はあいまいで、個別なものです。それをつくり出しているのは一人一人の脳の機能なのです。ですから互いの記憶を確認しあう作業がわれわれには必要に思います。そして過去と現在・未来につながる記憶を紡ぐ作業がわれわれ精神科医が行っている精神療法なのです。
 ちなみに、言語的記憶(言語的に表現・再現できる記憶)の能力に男女差があることをご存じでしょうか。数十年前の詳細な出来事を女性に詰問されて困った男性は多いのではないですか。女性の記憶力は男性の腕力に匹敵する特長なのです。


記憶障害を扱った推薦映画
・「レイジング・ブル」(1980年/米国)
・「心の旅」(1991年/米国)
・「マルホランド・ドライブ」(2001年/米国・フランス)
・「マジェスティック」(2001年/米国)