解離性同一性障害を描いた
第18回 「サイコ」(1960)

  今回の話はかなりネタばれの部分がありますが、古典映画なので取り上げてみました。アルフレド・ヒチコックが手掛けた中で最高傑作ともいわれる米映画「サイコ」です。公開当時、冒頭でヒチコックが登場し観客に要求した「ストーリーの口外禁止」がキャッチフレーズとなり大ヒットしました。
 米フェニックス市のOLマリオン・クレイン(ジャネット・リー)は、恋人のサム・ルーミス(ジョン・ギャピン)と生活するため、4万ドルを横領します。翌日、彼女はその金を持って、彼の故郷に逃走。途中で雷雨に遭い、モーテルに避難します。
 モーテルの主人ノーマン・ペイツ(アンソニー・パーキンス)は「夕食でも」とモーテル裏の自宅に彼女を誘います。マリオンは、女性を家に招こうとする息子を怒鳴るノーマンの母親の声を聞きます。ノーマンはサンドイッチを作ってマリオンに差し出しながら、母親の行為をわびます。 その夜、1人になりシャワーを浴びるマリオンに、突然、影が襲いかかる-。このシーンは衝撃的な音楽とともに、映画史上最高の名場面の一つに挙げられています。
 さて、この映画はサスペンス映画としては一級品ですが、精神科疾患の患者が不気味で理解しかたいという間違った固定観念を植え付けてしまった側面があります。 
 この映画で扱われているのが、解離性同一性障害(多重人格)です。記憶と人格が同一性を失う、極めてまれな症例です。一人の人物の中に二つ、またはそれ以上のはっきりと区別される人格が存在し、おのおの独自の行動様式を持っている状態を指します。また、人格の一つ、またはそれ以上の人格に健忘症状かあり、たいていは控えめな人格の方により健忘が著しくなります。
 解離性同一性障害は、長期にわたり心的外傷(トラウマ)的な出来事を体験した後に起こります。この企画で紹介してきた精神症状、不安障害(恐怖、パニック発作、強迫行為)、気分障害、自殺企図、自信行為、摂食障害、睡眠障害、統合失調様症状、境界性パーソナリティー障害などが併存することがあります。原因はトラウマによる脳の海馬機能の障害が考えられていますが、不明な点が多くあります。
 治療は長期間かかることが多く、根気強い精神療法により初めて内面的相克の本質が診断され、解消されていきます。
 多重人格とまでいかなくても、一時的に紀憶が不明になる解離症状は日常生活でもしばしば起きます。例えば、走りなれた道路を運転して、何を見たかなどを記憶していないことがあります。イタコなどの憑依(ひょうい)現象の一部も解離症状に当たります。
 珍しい症状ではありますが、臨床現場ではこの10年間、解離症状が増加している印象があります。特に若い世代の患者ではストレスに正面から向き合わず、容易に「記憶を飛ばす」ことで回避するようになってきているように感じます。
 一方、このまれな精神症状に人々はなぜか興味と関心を強く持ちます。阪神大震災や米同時多発テロなど、われわれがトラウマをより身近に感じてきた時代に符合しているのでしょうか。昨日の自分と今日の自分が同じであるという自明なことが不確かに感じられることへの不安の表れかもしれません。ちなみに、この病院を疑うヒントとしては「見知らぬ人に本名以外で呼ばれる」というのがあります。皆さんはこのような経験はありませんか。