単身赴任の心の葛藤を描いた
第22回 「沈まぬ太陽」(2009)

 今回は山崎豊子原作の邦画「沈まぬ太陽」を取り上げます。1985年に起きた日航ジャンボ機墜落事故をモデルに、航空会社に勤める二人の男性の対照的な人生が描かれています。
 恩地(渡辺謙)はかつて「国民航空」の労組委員長として経営陣と激しく対立してにらまれ、パキスタン・カラチ・イラン・テヘラン・ケニア・ナイロビと転勤を命じられ、10年にも及ぶ流刑のごとき処遇を受けます。
 一方、労組では恩地の右腕でありながら、より現実的だった行天(三浦友和)は経営陣に見込まれ、幾多の汚れ役を引き受けつつ出世コースをまい進します。
 映画では前半、左遷された恩地の姿を描いていますが、ここで目を引くのがテヘラン以降、単身赴任となった恩地の行動です。
 ナイロビに赴任中、日本の娘から、恩地のことで学校でいじめられ孤立していると悲痛な内容の手紙が届きます。すると恩地はサバンナへ車を走らせ、大型動物のハンティングに没頭します。地平線のかなたに落ち行く夕日をじっと見つめる彼の目からは一筋の涙が流れます。
 単身赴任の人はメンタル的に不安定な状態に陥りやすく、その原因の多くはやはり家族がそばにいないことにあります。家族は自分が悩む時、また逆に喜び湧き立つ時にそれを受け止めて落ち着かせてくれる、セーフティネットの機能を持つものです。
 先の恩地の行動は、理不尽な会社の仕打ちに対して「怒り」の感情を自分の中でさく裂させ、その矛先をハンティングに向けたと見ることができます。普段の恩地とは使うとは思えないライフルは、実は彼に内在する攻撃的な衝動を巧みに象徴していたわけです。

映画では明確ではありませんが、怒りの処理でいわゆる「飲む(アルコール依存)、打つ、買う」の行動が生じ、不適応を起こす人がいます。現代日本のサラリーマンにとって、組織に所属することから生じる怒りの感情をいかに処理、制御するかは非常に現実的な課題でしょう。
 この映画でも社内の地位、立場の違いによる複雑な人間模様が至る所に現れます。そこで顕在化するのが、人間の持つ「他人を自分の思うように支配したい」という欲求です。
 行天は恩地と途中でたもとを分ちますが、組合運動でカリスマ的な指導力を発揮し人望も厚かった恩地を排除し、間接的に支配することで、己のアイデンティティーを保とうとしているように見えます。
 もし、彼がそんな自分の置かれた立場を一度でも妻に、家族に話すことができていれば、あれほど手を汚すこともなく、破滅することも避けられたような気がします。
 恩地は米ニューヨークの動物園で、おりの中の鏡に自分の姿を見た際、「この世で最も危険な動物」という自らの一面に気づかされます。人類の歴史で繰り返されてきた戦争・闘争は、人の、恐らくは多くの男性の持つ攻撃性を徹底的に吐き出し、人類社会が次のプロセスへ進むための準備作業であったと見ることもできるかもしれません。しかし、そのような自分の問題を率直に打ち明け、共に考えられる社会性を持った家族は多くはありません。では、どうするべきなのか。一度、子どもを交えて「もしパパやママがある日急にいなくなったら、どうするかな」という感じで、家族内で起きる危機をシミュレーションしてみてはどうでしょう。家族に危機が訪れた時こそ、家族の持つ力が試されるのです。