妄想について考えさせる
第32回 「トゥルーマン・ショー」(1998)

 今回は精神病は登場しませんが、妄想の本質を理解する上で貴重な作品です。米国では「トゥルーマン・ショー妄想」という言葉もできた、ちょっと不思議なコメディー映画です。
 主人公の保険セールスマンのトゥルーマン(ジム・キャリー)は、シーヘブンという海に囲まれた島で、看護師の妻メリルや友人たちと静かで平凡な生活を送っています。彼のひそかな夢はいつかオセアニアのフィジーに行くことであり、それは初恋の女性に会うためでした。
 しかし何やら家族や同僚の行動は変です。実は彼らは全員俳優で通行人はエキストラ、島全体は巨大なロケセットというテレビ番組だったのです。ただ一人主人公だけがそのことを知らず、生涯の全てを放送されていたのです。
 しかし、そんな彼も徐々に違和感を抱き始め、自分の周りが偶然ではなく必然につくられていることを確信し、世界からの脱出を企てるのでした―。
 映画が公開された当時、米国では主人公のようにカメラで監視され、テレビに流されていると主張する人が増えたそうです。監視カメラやインターネットの普及で、個人情報が流出しかねない現代では、あながち荒唐無稽とは言えなくなってきているのかもしれません。
 一方、これがテレビ番組ではなく、実在の町で「誰かに見られている」「監視されている」「盗撮されている」「怖い人に追いかけられている」「みんながぐるになって自分をおとしめている」と主人公と同じような言動をする人がいたら、妄想を持った人物とみられるでしょう。
 ある日、突然自分の知り合いがこんなことを言い出したら、多くの人は困惑し、相手を説得しようとしても言い争いになりかねません。
 精神科医は一般的にこのような妄想とは対峙(たいじ)しません。その人が抱えている焦点を当てて対応しようとします。妄想のために不安であったり、眠れなかったり、体調を壊していたりすることに手を差し伸べます。
 それに精神科医は医学的に必要と判断すれば、患者本人が入院の意思を表明しないときでも、家族らの同意を得て本人に入院してもらうこともできます。精神保健指定医の資格を持った精神科医は非自発的な入院を行うことが国から許可されているためで、この点は心療内科医との大きな違いといえます。
 入院になると妄想の程度により薬物療法を開始することになりますが、では重症な妄想とはどのようなものでしょうか。
 患者に必ず聞くことは、その妄想が及ぶ範囲です。家族内だけ、職場・学校だけであれば少ない薬物量で改善することがありますが、映画のように生活圏全般に妄想が及んでいるときは深刻な場合があります。妄想の持続時間も重要なポイントです。主人公のように自分の人生全ての時間が妄想的であれば事態はかなり深刻です。
 日常生活でも例えば、いつもすぐメールを返信してくれる人が返してくれなかったら「浮気をしている」「大きな事故に巻き込まれている」などと、いろんなことを想像してしまいます。それが数分から数時間で払拭(ふっしょく)されれば大きな問題にはなりませんが、数週間に及ぶと妄想といえる状態になるのです。
 人間の心も空間距離、時間という物理学的な要因に影響を受けています。そして妄想はどの人にも意外に身近な心理状態なのです。