思春期の心考える
第33回 「新世紀エヴァンゲリオン」(1995~)

 夏休み真っただ中ということもあり、初めてアニメを取り上げます。1995年秋から半年間、テレビ放送された「新世紀エヴァンゲリオン」です。今も新作映画が作られるなど十数年を経てもそのストーリー、キャラクターに多くのファンを持つ作品です。
 舞台は2015年の「第三新東京市」。その15年前に起こった大災害「セカンドインパクト」で総人口の半数近くを失った人類は、「使徒」と呼ばれる正体不明の敵の襲来にさらされています。
 特務機関ネルフは使徒に対抗するため、人造人間兵器エヴァンゲリオン(EVA)を開発しますが、そのパイロットに選ばれたのは14歳の少年少女でした。
 主人公の碇(いかり)シンジをはじめ彼らはいずれも家族や周囲に対して心に傷を抱え、常に誰かに必要とされたいという思いを抱えています。そんな中学生の日常と同時進行で、人類の存亡をかけた戦いの日々が繰り広げられていきます。
 物語の設定は精神医学の世界から見ると、根源的な不安、非本来的な日常として読みとれます。われわれの不安を突き詰めると「死ぬかもしれない」ということです。仮に「試験に落ちる」「仕事がうまくいかない」など日常生活に根差しているように見えても、究極的には死に対するものなのです。
 しかし、この物語では、自分の死、存在が人類の存在そのものに直結しているところが、精神医学的に興味を引かれるところです。
 統合失調症の症状の一つに「世界没落体験」といわれる症状があります。すなわち、周囲が不気味に思えて強い不安があり、その先に世界が破滅するような出来事がある、それが自分と深く関係しているという妄想体験を指します。
 例えば、大震災が自分の学業の成績が悪いせいだと、二つの出来事関係しているという妄想。このような自分と他者の協会があいまいなことを「自我障害」と呼びます。他人が自分を操るように支配しているとする作為体験はまるでエヴァを操る彼らにも似ています。
 シンジは父親による支配と服従、そして、父親から認められたいという気持ちと父親に敵対する気持ちの間で葛藤し、時に戦いから回避し、引きこもります。
 しかし、最後には「逃げちゃだめだ」の名言とともに立ち向かいます。
 統合失調症は思春期に好発の疾患です。その理由は定かではありませんが、シンジらが抱える「思春期の心性」が、人類に共通する精神疾患の背景と深く関わっているともいえます。
 テレビ版のラストシーンは哲学的な内容です。シンジは言います。「僕は僕が嫌いだ。でも好きになれるかもしれない。僕はここにいてもいいのかもしれない。そうだ僕は僕でしかない。僕は僕だ。僕でいたい。僕はここにいたい。僕はここにいてもいいんだ」。自分と他者との和解の宣言です。
 せっかくの夏休みです。大人も子どもも「自分とは何か」「自分は自分でいいんだ」とこの作品を通じて確認してみてもいいのではないかと思います。