心気症が描かれた
第34回 「ハンナとその姉妹」(1986)

  3か月ぶりの登場となりました。今回取り上げるのは、ニューヨークの都会的センスと哀愁を描いて知られるウディ・アレン監督の代表作の一つ。主人公ハンナとその二人の妹、周囲の人間が織りなすタペストリーのごとき群像劇です。
 その中の一人、ハンナの元夫のミッキー(アレン)は有能で、エミー賞も獲得したテレビディレクター。仕事に忙殺される日常の中、体調にいつも気を使う神経質な男です。
 そんな彼が耳の不調を訴え始めます。さまざまな検査を受けますが、医師が明確な診断を下さないため、ミッキーは耳鳴りの原因が脳腫瘍だと思い込みます。「本当のことをいうと、気の弱いやつはパニクっちゃうから、医者は言わんのさ」と勝手に解釈してしまいます。真夜中にぱっと目覚めては恐怖にわななき、泣きながら「バスケットボールのような腫瘍が頭の中にある」と叫んだりします。
 精密検査のたびに、体、心の調子は悪化していきます。CT画像を見せられ、全く異常がないことを知って小躍りしますが、やがて絶望のふちに沈んでいきます。CT画像は一時的なもので、結局自分は死ぬのだと考え、会社を休養し、改宗し、最後は死への恐怖のために自ら死を願うようになります。
 彼は「心気症」です。身体的な違和感、異常を感じるのに医学的に原因が見つからない状態を精神医学の分野では「身体表現性障害」と呼んでおり、心気症はその代表的なものです。
 心気症の患者は単純で良性の、主に自律神経機能に伴う身体的な感覚的不調感を、何か重篤な病気にかかる前兆ではないかと心配する人々です。例えば、日常の胃痛を胃がんではないか、舌のしびれを舌がんではないか、鍵や眼鏡をなくしたことを認知症の始まりではなか―と思い込んでしまいます。
 しかも病院で検査を受け、病気の可能性はないという医学的評価がなされても、このとらわれた思いは持続します。医師に大丈夫といわれても体の症状が持続するために、医療機関を渡り歩く「ドクターショッピング」を繰り返す人もいます。その状態は時に深刻で、うつ病は自殺を考えることもあります。
 心気症の人に対し医師も疲弊することがあります。心と体は連携していることを忘れて「気のせいだよ。もう、ここでは何もできない」と告げてしまうこともあります。患者との信頼関係が悪化し、その結果、患者の症状がより悪化することがしばしばあります。
 統計的には大学病院を受診した患者の約10%が身体表現性障害と考えられます。体の症状があれば精査し、明らかな異常が認められない場合には精神医学的な介入が必要になります。うつ病や不安症の治療薬が有効なことがありますが、精神療法的には体の症状にとらわれた状態から心理的距離を持つことが重要です。
 私は外来であえてこう言います。「あなたの体の症状を完全に取り去ることを治療の第一目標にしません。長い間、体の症状のために苦労されてきたあなたが、これまで諦めていた人生の大切なことを少しでもできるようになるために、応援、支援していきたい。そういう治療をしたいと思いますがいかがでしょうか」
 症状ばかりを気にする生活ではなく、その日一日を自分なりに目的を持って生活することが回復の一歩なのです。
 ちなみに、失恋のことを英語で「ブロークンハート」と言いますが、深い悲しみや激しい怒り、ストレスを感じたときに、胸の痛みや呼吸困難など心臓発作と似た症状が出る「ブロークンハート症候群」というものがあります。心と体はつながっているのです。