スタッフ紹介

助教: 三馬 聡
助教:三馬 聡
三馬 聡 (みうま さとし)
Satoshi Miuma, M.D., Ph.D.
卒 業: 山口大平成12年 (学生時代はラグビー部)
出 身: 青雲高等学校出身
専 門: 消化器疾患、肝疾患を中心としています。特に肝癌治療全般です。
研 究: microRNAが肝癌幹細胞に与える影響についての検討
53BP1によるGenome instabilityの検出
DAA耐性HCVアミノ酸変異の検出
資 格: 日本内科学会 認定医
日本消化器病学会 専門医
日本肝臓学会 専門医
日本がん治療認定医機構 がん治療認定
略 歴:
平成12年 長崎大学病院で研修を開始。
全てが初めての経験でもあり新鮮でしたが、常に時間に追われ毎日が大変だった思い出があります。
平成13年 原爆病院で2年目の研修。
内科各分野とともに放射線科、整形外科、麻酔科を研修しました。
平成14年 国立佐賀病院勤務。
糖尿病教室をやっていました。
平成15年 田川市立病院勤務。
消化器内科が楽しく、この年消化器内科を専門とすることを決意しました。
平成16年 大分県立病院勤務。
消化器内科専門医として勤務しました。多くの手技を学び、消化器内科医としての修練はこのころ一番されたように思えます。
平成18年 長崎大病院社会人大学院入学。
大学に帰り、新たにこれまで経験のない研究にも携わる時間をもつことができました。
平成22年 博士号取得。
同年8月より米国オハイオ州立大学Comprehensive Cancer Centerにポスドク留学。癌抑制遺伝子欠損によってもたらされる遺伝子不安定性について研究を行っていました。
平成24年 同年8月帰国。
9月より虹が丘病院勤務。
平成25年 再び長崎大学に戻ってきました。
抱 負: 昨年4月より大学病院へ戻ってきました。留学の経験を活かし長崎大学消化器内科より臨床に結びつく新たな研究成果を発信できるように頑張りたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
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留学体験記

三馬 聡

 

2010年8月より、米国オハイオ州コロンバスにあるオハイオ州立大学Comprehensive Cancer Centerへ後輩の柴田先生のあとを引き継ぐ形で留学させていていただいている三馬です。私は大学卒業後、長崎大学第一内科へ入局、5年目より消化器内科を専門として臨床に従事していましたが、7年目より大学院生として大学に戻り、大学院卒業時には無事博士号も取得できました。ただ再び臨床に戻る前に、もう少し実験、研究をやりたい気持ちがあり、今回留学させていただくこととなりました。大学在学中は多くの面で諸先生方に御迷惑ばかりおかけしていましたが、この度は快く留学へと送り出していただき本当にありがとうございます。実験、研究をもう少しやりたい気持ちとともに、今回留学したいと考えさせられたもう一つの大きな契機は、2年前のサンフランシスコで行われたAASLDに参加したことでした。今まで写真やテレビでしか見たことがない海外の人々、風景が目の前にあり、何も分からないことだらけであることが、非常に不安であるとともに逆に非常に刺激的に感じました。世界が広がる、とはこのことだと、よくいえば冒険心です。留学前大学在学中に後輩に、「留学って不安じゃないですか?」と聞かれ、「まぁ不安だけど、ドラクエで言えば船を手に入れるような気持ちだよ」などとうそぶいていましたが、これは半分は本当です。

8月9日、原爆投下のサイレンが鳴る時分に、寄せ書きが書かれた日本国旗を手荷物に携え、長崎を発ちました。シカゴオヘア空港での入国審査および税関審査で予想外に時間がかかり(特に不審な点があったわけではありません)、またオヘア空港が広く移動に時間がかかってしまったこともあり、結局予定のオハイオ行きの飛行機には乗れず、といったハプニングはありましたが、22時間後になんとかオハイオ州に無事たどりつきました。到着すると後輩の柴田先生が家族共々空港まで迎えに来てくれていて、非常にほっとしたのを覚えています。今回、留学に際し私が幸運だったのは、柴田先生の引き継ぐ形で留学することができたことでした。留学を経験された先生方の多くが言われますが、やはり渡米直後の生活のセットアップは非常に大変です。私の場合、柴田先生がまさに獅子奮迅の働きをし、アパートメントの手配、家財道具の運び入れ、車の手配(柴田先生が乗っていた車を譲り受けました、赤のカローラで“柴田号”と名付けています)などをしてくれていました。さらに、渡米後も自動車免許申請、銀行の口座開設など手伝っていただきました。大学の仕事の引き継ぎも週末にナイアガラの滝とイチローの試合を見ながら済ませました。私はこの点非常に幸運であり、一から家を探し、車を手配し、最低限必要なものを購入していくとういのは、英語が堪能でもない限り困難ではないかと思います。柴田先生には自身の出国も近づいている忙しい時期に最大限手伝っていただき本当に感謝しています。本当によき後輩を持ちました。また自分が帰国する際、引き継ぐ後輩がいれば最大限手伝ってあげたいと思います。

こちらオハイオ州コロンバスは、渡米当初は気温は高くともじめじめとした感じもなく、過ごしやすい気候でしたが9月も末になってくると徐々に寒くなってきました。冬になると雪掻きも必要になると聞いていますが、もちろんまだ経験していません。一方、食事に関してはやはり日本人のためか、それとももともと米好きなためか、毎日アメリカンスタイルというのは抵抗がありますが、幸運にも私のアパートメントのすぐ近くに日本人向けのスーパーマーケットがあり、そこで米、味噌などの日本食が手に入ります。作りたければバーモンドカレーもあるのでカレーも食べられます。なんとかやっていけそうです。私のアパートメントから大学までは車で約10分程の距離で毎日車で通学しています。途中ジャック・ニクラス博物館(ジャック・ニクラスはコロンバス出身だそうです)も見られます。左ハンドル、右側通行、マイル表示にもだいぶ慣れてきました。オハイオ州立大学は学生数5万を超える非常に規模の大きい総合大学で、学内には飛行場もあります。アメリカンフットボールの名門でもあり、地元の愛着も強く、週末になるとスクールカラーの赤い服を着たオハイオ州の人々がフットボール場へ集まって来ます。その日は大学内の病院駐車場もフットボールの観客用に解放され熱気がすごく、警官も大学構内で交通整理をするなど大渋滞です。働き始めてしばらくしてそのことに気づき、今ではフットボールの日程を考慮しその日は避けるようにして実験の予定を立てるようにしています。

現在は、Kay Heubner教授の下、中国人の先生、アメリカ人の大学院生とともに実験に従事しています。また医学部学生3人が実験の手伝いをしてくれています。私は全く英語が不得手でありますが、Heubner教授は非常に優しく、私のつたない英語も辛抱強く聞いてくださり、また毎日私のことを気遣ってくれます。最近になって、ラボ内では英語で会話までいかなくとも何となく意思の疎通はできるようになってきました。ただ自分が話したいことがなかなか言えない、適切に表現できないもどかしさは感じます。現在Heubner教授よりテーマを与えられており、ある蛋白が癌のチェックポイント機構に対して翻訳後修飾過程で作用していないか、ということについて研究を行っています。1つのヒト細胞の染色体DNAの中では、1日あたり1万以上もの数のDNA損傷が自然発生することが報告されており、この損傷が十分に修復されないと変異が蓄積し発癌の原因となります。チェックポイント機構とは、この変異に対して損傷修復あるいはアポトーシスに導く、細胞内の様々な分子機構のことです。現在はテーマを理解しこなしていくことに必死ですが、さらに今後は自分が感じる疑問に対して感受性を持ち続け、解決していきたいと考えております。

愛犬キジを日本に残し、不安と寂しさいっぱいで渡米しましたが、徐々にアメリカの地に足が着いてきたようです。多くの留学された先生方は、あの頃が一番楽しかった、とよく遠い目をして言われますが、私はまだそこまで楽しむまでは至っていません。大学から空を眺め、飛行機が飛びたっていくのをみると,未だ望郷の思いに駆られることもあります。情報網が発達し、日本の研究レベルも欧米に比較してひけとらなくなってきている現在、以前のように留学によって新たな実験のテクニックを身につけるといったい意味合いは薄れてきているように感じますが、その一方で留学を経験すること自体が、医者として、また人間的に、自分自身を一回り大きくさせてもらえるよう感じています。少なくとも、今私は、人生の中で一番刺激的な毎日を送っていることは間違いないようです。これから先どうなるかは分かりませんが、自分の中で悔いのないようがんばってきます。そして多くのことを学び、自分のものにし、帰国した際には、後輩達に何らかの形で還元できればと考えています。
東日本大震災レポート(米国オハイオ州から)

三馬 聡

 

いつものように朝、慌ただしく大学へ行く支度をしている時、何気なくつけていた朝8時のABCのトップニュースでNHKの映像が流れていた。”Earthquake”, “Tsunami”の文字とともに、多くの家屋、車が津波にのみ込まれていく映像が繰り返し流されていた。その映像はまるでSF映画でも見ているようで現実を感じ得なかったが、その時初めて日本に大震災、津波が起こったことを知った。続いて、ハワイにも津波が来る、といったことが何度も報道されていた。

 

私は今回、東北大震災を留学中のオハイオ州の地で知った。こちらでも甚大な被害について繰り返し報道され、震災数日は震災の報道一色であった。今なお、原発の問題については専門家を交えて現況に対する分析がニュースで報道されている。我々の日常生活は、関東地方などからの郵送が制限されているなどのごく限られたものであり大きな変化はなかったが、私が働くオハイオ州立大学、及びオハイオ州では、様々な催し、募金活動が行われている。今回の大震災における周囲の反応、及び自身が感じることについてご報告いたします。

 

 

大震災直後より、アメリカ合衆国、及びオハイオ州、オハイオ州立大学にて、多くのガレージセール、コンサートなどの催し、募金活動が行われており、オハイオ州立大学、及びオハイオ州立大学日本人会を通じ、多くのメール、案内が届いた。下記以外でも多くの活動が現在も行われている。

 

オハイオ州立大学での募金活動
Stay Strong Japan, Student Fundraising Activity
Stay Storong Japan PDFPDF-238KB
(http://www.flickr.com/photos/osujapansupport 日本への写真メッセージ)

 

3/24/11: Candlelight Vigil (ともしびの集い), Thomas Worthington High School
3/27/11: Seiko Lee Soprano Benefit Concert (募金コンサート), Dublin Recreation Center
4/2/11: Craft & Bake Sale (クラフト・ベイクセール)
4/2-3/11: Dublin Charity Garage Sale (ガレージセール)
4/13: Craft & Bake Sale (クラフト・ベイクセール)

 

3/14-18/11: Sup4/25: Cranes for Kids: Giving Hope to the Children of Japan (折鶴プロジェクト)
4/14: Wyandot Run Classroom Charitable Project Opportunity (チャリティプロジェクト)
4/15: Clintonville Hope for Japan - Red Cross Appeal (日本に希望を-アメリカ赤十字)
4/22: JET Program Alumni Earthquake Relief Fundraiser (JETプログラム同窓会による地震募金活動)
4/24: JSO Japanese Spring Festival/Fundraiser for the Japan Disaster Relief Fund
4/29: 2011 Japanese Relief Concert
ほか

 

アメリカでも震災直後より、テレビでは連日震災関連のニュースが流されていた。壊滅的な被害を受けた被災地の映像が繰り返し流されるとともに、特別番組も組まれその被害の大きさについて大々的に報道されていた。また震災直後、すぐにオバマ大統領や政府高官と思われる人々より、日本支援の姿勢が打ち出されていた。その一方、甚大な津波による被害と比較し日本の建造物の倒壊の少なさにも触れ、耐震性の高さについて驚きをもって報道されていたようである。耐震技術に優れた日本の建物でなければより被害は拡大していたであろう、と言った論調であった。被害の状況が詳細になるとともに、次第に原発問題がクローズアップされていった。日本政府の対応に関しては残念ながらあまり好意的に報道されてないような感じである。日本政府が原発周囲12マイルの避難勧告範囲を設定したのに対し、アメリカ政府は50マイルに設定していることも報道されていた。原子炉の状況は図説も交え詳細に報道され、地震より約一ヶ月以上経過した今日でも、専門家とともに現況分析、チェルノブイリ原発事故との比較などが行われている。アメリカのある州では、ごく微量の放射能が検出されヨウ素の買い占めが起きていることが報道されていた。これについて医師がもともと極微量は検出されており、今回検出されたものも極微量でヨウ素の必要性は全くない、と正していたが、放射能についてはアメリカ人も非常に敏感になっていることが伺われる。ちなみにテレビで見る限り、被災市民への取材はほとんど日本人に対しては行われておらず、日本に在住するアメリカ人に対する取材がほとんどであった。

 

職場の同僚は、日本の建物の耐震性の高さに感心していた。そしてなにより、暴動、略奪が起こらない、日本人の混乱しない、我慢強い、秩序だった行動に非常に驚いており、アメリカではあり得ないよ、と話していた。私が通っている英会話の先生も、クラスのディスカッションの中で、”Sympathy for Japan, and Admiration(日本への同情と尊敬の念)”と書かれたニューヨークタイム誌のコピーを配り、そのことにについて賞賛されていた。多くの国々の人々と行動を共にしてみると、改めて日本人と外国人の国民性の違いに気づかされるが、その中で日本人の自己主張をしない消極的な国民性といったものは決して評価されないよう感じる。沈没しつつある客船の船長は、女性と子供以外は船に残るように求める時、米国人には「あなたは英雄になれる」、英国人には「残れば紳士です」、イタリア人には「女性にもてます」、そして日本人に対しては「みんな残ります」と言う、といった有名なジョークがあるほどである。ただこの国民性は、他人を尊重し、我慢強いといった日本人の国民性とまた表裏一体のものでもある。その国民性によって保たれた震災における一般市民の秩序が非常に評価、賞賛されることに日本人として私は非常に誇らしさを感じたが、その一方で少し不思議な感じもした。

 

今でも震災の話は同僚との間で時に話し、これから日本はどうなるのだろうかと言う話になる。また原発の問題が将来の復興に対する大きな障害であることは周知の事実であり、関心も高い。その中で今後の震災からの復興を願う気持ちというものは、日本人も外国人に何ら相違ないのは間違いないようである。最後に、震災直後にいただいた英会話教室の先生からのメッセージ、および職場の同僚からのメッセージを添付いたします。

 

At this time, I would like to extend my sympathy and condolences to you on the current tragedy in Japan.  You are safe here, but I hope that all of your family is safe.  The pictures on TV are unbelievable, something out of a Hollywood movie.  The suffering and destruction are more than anyone can bear, yet I see the Japanese people have courage and are working closely together to help each other.  Know that the world will help and that the Japanese people are resilient and will come through this tragedy stronger than ever.

My thoughts & prayers are with the people of Japan.
Sincerely,

 

 

I knew the recent Japan earthquake and tsunami right after it happened. I am very sorry about this and hope that Japanese who suffered from the disaster can recover as soon as possible. Congregations in my Chinese Christian church in Columbus are praying for the victims and initiated a donation designated to help Japan. I am also aware of the leakage of nuclear radioactive material as a result of the earthquake. I wish this issue can be solved soon and the damage can be contained.

 

Sincerely yours,