理研 有賀純チーム(比較神経発生/行動発達障害研究チーム 2004-2013)の研究紹介

 
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髄膜腫とZic遺伝子 (Aruga et al., 2010)

髄膜腫(meningioma)は脳腫瘍のうち最も発生の頻度が高いものです。組織学的には良性のものが多いのですが腫瘍による脳への圧迫症状が生じるためにしばしば外科手術の対象となります。髄膜腫は頭蓋骨との間で脳を囲む組織の一つである髄膜から発生すると考えられています。一般的な診断では顕微鏡の切片を作成して、腫瘍を構成している細胞の形態や、腫瘍細胞の性質を表す分子マーカーの発現を調べることにより、腫瘍の性質を予測します。最近、病気の診断や治療の指標となる新しいバイオマーカーの探索が進められています。

以前に私たちが研究を続けている遺伝子Zicのうちのいくつかが、髄膜の前駆細胞の増殖・分化に重要な役割を持っていることを発表しました(髄膜は大脳の発生にも重要である」)。Zic2の発現が減少したマウスでは髄膜が正常に形成されないために、大脳皮質の構造に異常が生じます。そこで、私たちは、髄膜から発生すると考えられている髄膜腫におけるヒトZICの発現を調査しました。これまでに私たちはZIC遺伝子のうち、ZIC1が小児の代表的な悪性腫瘍である髄芽腫 (medulloblastoma)で強く発現していることを報告していました(Yokotaら, 1996)。しかし、ZIC1, ZIC2, ZIC3, ZIC4, ZIC5の5種類の遺伝子がさまざまな脳腫瘍で発現しているのかは未だ知られていませんでした。そこで、髄膜腫についても診断に役立てられないかと考え、浜松医大脳神経外科の横田尚樹先生との共同研究をスタートさせました。

このためにまず手術摘出標本からRNAを抽出して、遺伝子のmRNA量を測定しました。測定に用いたのはPCR(Polymerase Chain Reaction)という方法です。その結果、髄芽腫ではすべてのZICの発現量が正常な脳組織と比較して高く、特にZIC4は非常に高いことが明らかになりました。一方、髄膜腫ではZIC1, ZIC2, ZIC5の発現量が高いことが明らかになりました。

次に脳腫瘍組織内でのZICタンパク質の分布を調べるために、Zicと反応する抗体を用いて免疫組織化学染色を行いました。その結果の一例を図1に示してあります。この図の中では茶色の部分がZICタンパク質を示しています。このように調べてみると髄膜腫の中でZICタンパク質は高頻度に検出されることが明らかになりました。

髄膜腫におけるZICタンパク質の分布

図1 ZICタンパク質の分布。B,D,Fの茶色の染色がZICタンパク質を示しています。 左の画像は隣接した切片をヘマトキシリンエオシン染色したものです。スケールバーは0.1 mm。(A,B) 髄膜皮性髄膜腫、 (C,D) 線維性髄膜腫、 (E,F) 移行性髄膜腫。

 

ところで、成人の髄膜でもZICは検出されるのでしょうか。この点について検討するために成人の腫瘍組織の一部に付着していた正常髄膜の組織を検査しました。すると、ここでもZICを発現している細胞が検出されます(図2)。この細胞はビメンチンという分子マーカーも発現していることから、クモ膜表皮細胞(arachnoid cap cell)と考えられます。

髄膜の中でのZICタンパク質の分布

図2 髄膜の中でのZICタンパク質の分布。A,E,Fの茶色の染色がZICタンパク質を示しています。 EはAの四角内の拡大。Fではくも膜表皮細胞マーカービメンチンも染色されています(黒色)。Bはヘマトキシリンエオシン染色。a, くも膜。d, 硬膜。スケールバーは0.1 mm。

 

これまでに髄膜腫はクモ膜表皮細胞が腫瘍化したものであるという考えが提唱されていました。ZICタンパク質が高頻度で髄膜腫に検出されることは、この考え方と一致しています。つまり、髄膜腫は、腫瘍化に際してその元となる細胞の性質(ZIC遺伝子を発現している)を残しているのです。

次の疑問はZICタンパク質が腫瘍の悪性化に影響があるのかという点ですが、今回の研究からは、この点については統計上、明確な差異が確認できませんでした。しかし、Zic遺伝子欠損マウスで髄膜の形成に異常が観察されることから、少なからず影響を及ぼしているのではないかと私たちは予想しています。ZIC遺伝子を含めた多くの遺伝子について、現在、多くの研究グループにより、遺伝子マイクロアレイという手法や、高速塩基配列決定といった手法で、腫瘍化に伴う遺伝子の発現動態や構造変化が急速に解明されつつあり、これらの解析結果が注目されます。

 

*ヒトとマウスの遺伝子はそれぞれZIC(ヒト)、Zic(マウス)のように大文字、小文字の使い分けで記述されます。

*免疫組織化学染色。標的分子に対する抗体を脳組織切片に反応させ、組織中の標的分子の分布を知る実験手法。反応した抗体(一次抗体)に対する別の抗体(二次抗体、色素を産生させるための化学修飾がしてある)を使って検出することが多い。

*Yokota N, Aruga J, Takai S, Yamada K, Hamazaki M, Iwase T, Sugimura H, Mikoshiba K. Predominant expression of human zic in cerebellar granule cell lineage and medulloblastoma. Cancer Res. 1996 Jan 15;56(2):377-383.

 



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