原子爆弾救護報告の修復
本報告書は原爆から25年経過した1970年に長崎放送の取材の際に、当時三山救護所で永井隆から手当を受けた田川福松氏から提供を受けたものである。
報告書は学長に宛てたものであり、被爆直後から救護活動が一応終了した昭和20年10月8日以後にまとめられ、昭和20年末か、遅くとも翌21年1月末ごろまでには脱稿されたと推定される。全182ページにわたり、ほとんどが鉛筆書きである。また、筆跡が一種類でないことから一部は口述筆記の可能性があるが、文章は永井自身のものと思われる。
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(原爆後障害医療研究所資料収集保存・解析部「原子爆弾救護報告書:永井隆」ページ)
被爆後70年が経過し、傷みがひどく(修復前の写真)、ページをめくると破れる状況になり、貴重な記録が失われていきつつあった。大学にとって貴重な記録を永久に保存するため、原爆復興70周年記念事業のひとつとして修復が行われた(修復後の写真)。下記の修復の流れにそって、丁寧な作業が行われ見事に修復された。修復は「東京修復保存センター」に依頼した。
なお、複製を作成した。複製は原爆復興70周年記念長崎医科大学原爆被災写真・資料展にて展示し、手に取ってご覧いただいた。企画展示終了後は原爆医学資料展示室に展示する。
報告書は学長に宛てたものであり、被爆直後から救護活動が一応終了した昭和20年10月8日以後にまとめられ、昭和20年末か、遅くとも翌21年1月末ごろまでには脱稿されたと推定される。全182ページにわたり、ほとんどが鉛筆書きである。また、筆跡が一種類でないことから一部は口述筆記の可能性があるが、文章は永井自身のものと思われる。
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被爆後70年が経過し、傷みがひどく(修復前の写真)、ページをめくると破れる状況になり、貴重な記録が失われていきつつあった。大学にとって貴重な記録を永久に保存するため、原爆復興70周年記念事業のひとつとして修復が行われた(修復後の写真)。下記の修復の流れにそって、丁寧な作業が行われ見事に修復された。修復は「東京修復保存センター」に依頼した。
なお、複製を作成した。複製は原爆復興70周年記念長崎医科大学原爆被災写真・資料展にて展示し、手に取ってご覧いただいた。企画展示終了後は原爆医学資料展示室に展示する。
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修復前 | 修復後 |
修復の流れ |
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1) 修復前撮影・劣化損傷記録 2) 解体・ドライクリーニング・pH 測定 3) フラットニング 4) 補修(本紙・表紙) 5) デジタル撮影 6) リーフキャスティング法 7) 乾燥・裁断 8) 脱酸性化処理 9) 再製本 |