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鹿児島大学
林 敬人 |
法医学の研究は、新たな法医学的診断方法を開発し法医実務(解剖・鑑定)の精度を向上させることだけでなく、死体から疾患の病態を解明し、新たな予防・診断・治療法に繋がる基礎的資料を提供することで臨床へ還元することを目標とする。演者は、これまで実際に経験した解剖・検案事例を通して研究テーマを見出し、動物実験による基礎データの収集、実際の剖検例での検証を行うというスタイルで、その目標に向けて研究に励んできた。これまでの研究の中で実際の剖検例にも応用できる可能性が示唆された2つのテーマについて取り上げ、法医学研究の実際を紹介したい。
- Aquaporin(AQP) 発現に基づく淡水溺死と海水溺死の鑑別診断法
AQP-5はⅠ型肺胞上皮細胞の細胞膜上に存在し、肺における水のホメオスタシスに関与する水チャネルである。溺死モデルマウス及び剖検例について肺のAQP-5発現を検討した結果、いずれも淡水溺死では他の死因と比較して有意に低値を示した。これは、生体が淡水のような低浸透圧の液体に曝されたときに血液の希釈を防ぐためAQP-5発現を抑制する生体反応と考えられる。したがって、肺のAQP-5発現は、淡水溺死と海水溺死を鑑別する上で有用な指標となる可能性が示唆される。
- 副腎糖質コルチコイド(GC)系の変化に基づく小児虐待の法医病理学的診断法
心理的虐待モデルとして長期拘束ストレスマウスを用い、ストレスによるGC系の変化を検討したところ、3週間までの拘束では血中GCは上昇し、その材料である副腎内コレステロールは減少、コレステロール供給に関わるScavenger receptor class B、 type I (SR-BI)、HMGCoA reductase、Hormone sensitive lipase各遺伝子発現はそれぞれ異なるパターンで増加した。実際の剖検例でも虐待期間が数週間から2ヶ月の比較的短期間の例では副腎が肥大し、副腎内コレステロールは減少、SR-BI発現は増加した。したがって、GC系の変化は虐待の法医病理学的証明並びに虐待期間推定のための指標の一つとなり得るものと考えられ、実務的にも社会的にも有意義な結果と思われる。
法医学の研究成果は、解剖と同様に社会に対して大いに貢献できると思われる。今回のワークショップで法医学研究の実際に触れ、研究に対しても興味を持ち、法医学に進みたいと思う医師が増えることを望む。 |
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