私は精神科開業医の二男。上には10歳上の兄,7歳上の姉がいる。今現在,兄は地方の病院の常勤病理医,姉は家を継いで開業している。そして私は法医学を専攻し,出身校である大学に勤務している親不孝者である。
東北の貧しい田舎で生まれ、高校時代までそこで育った。開業医の息子と言うだけで,友達からは裕福な暮らしをしていると勘違いされ,いじめの対象になっていた。親父の仕事ぶりは尊敬するが,いつの間にか「自分の子供に同じような思いはさせたくない。医者になるなんかまっぴらごめん!」と考えるようになっていた。今で言うMRからの過剰なサービス・接待にも「なぜ医者だけが?」と疑問を感じていた。高校に入ったころ、医者の脱税が頻繁に報道され耳にしていた。「患者さんを助ける仕事はすばらしいが,一般よりもはるかに高額な報酬を得、更に周囲から過剰にもてはやされていれば、自分はきっと、立場を誤解したり正常な感覚を失うだろう」そう思い、私は益々医者にはなりたくなくなっていた。そして、趣味であった音楽に関係した音響工学の道に進みたいと考えていた。ちょうどその頃,親の本棚の「法医学は考える」という本を見つけた。著者は,「東北大学名誉教授 赤石 英」とある。解剖学や薬理学などの研究分野と,生きている人を対象とした臨床医学は理解している。しかし「法」と「医学」とがなぜ関連するのか、皆目見当もつかなかった。読んでみると、人の色々な死に方が書いてある。そして、死んだ人にも人権があり、それを守るために医学を駆使する様が書いてある。こんな医学分野があるなど思ってもいなかった私は、大変驚愕した。様々な医学的知識が必要となるにもかかわらず、非常に地味で、しかし確実に社会に貢献でき、しかもお金にも全く縁のない法医学、私は「かっこいい!」と思った。
進路について親と真剣に相談する時期となり、私は「音響工学に進みたい」と希望を告げた。案の定、親は「医学部にいけ」「医学部に行けば食いっぱぐれはない」と言って聞かない。何度か話し合いをしてもすれ違いだったので、「法医学に行っていいなら,医学部を受験する」と譲歩案を出してみた。受け容れられるはずはないと思っていたが、親から返ってきた答は「それでもいい」であった。「学ぶうちに,臨床をやりたくなるに決まっている」そう親は読んでいたのであろう。親が一枚上手だった。
そんなわけで,一浪はしたものの私立の医学部に入学し、同級生との生活レベルの違いに戸惑いながらも、6年間で無事に医学部を卒業できた。その間、親の思惑通り「臨床へ進むのもわるくない,特に循環器内科や血液内科、小児科はやりがいがある」とも考えたが、赤石先生のお弟子さんが教授として赴任していたこともあり、初志貫徹で法医学を専攻することとした。親も折れてくれた。そして今に至っている。
なぜ、赤石先生の「法医学は考える」という本が本棚にあったのか、誰がその本を買ったのか…今ではわからないが、その一冊の本との出会いが私の人生を決めたのであった。
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