ごあいさつ
 
コラム  
 
 
惑惑40才(平成12年1月)
 

 20世紀もいよいよ最後の年を迎えましたが、私自身も今年40才という節目の年になろうとしています。正直言って、33才になった時には『ああ、イエス・キリストが亡くなられた歳になったなあ』という感慨があったのですが、40才という歳はあまりピンと来る所がありません。今なお儒教の影響が強い日本では、この歳は『不惑』の年ということになるのでしょうか。

 儒教に帰依している人、孔子の教えを信奉している方には大変申し訳ないのですが、私は子どもの頃からこの世界四大聖人の一人とされる方の考え方には馴染まないでいます。なかでも、人を『君子』と『小人』に区別(差別?)してしまうあたりは、キリストや仏陀の説く教えとは大きく懸け離れた『小人』の思想ではないかと思ってしまいます。ところでこの大聖人は、『君子』は40才にもなれば迷いや惑いがなくなるものだと説いています。実際世の中にこうした惑いがなく なった成人(40才以上)がどの位いるのかは見当もつきませんが、少なくとも私はその仲間入りができそうにありません。

 生まれた時から路線がしっかり引かれている人なんかいないとは思いますが、それにしても人生は予定外の事の連続で、自分の進む道を探し倦ねてばかりだと思 います。私自身の場合ですと、両親は出来の良い兄には医師になってもらいたいと思っておりましたが、あまりぱっとしたところがなかった私に対しては神学校へ進み神父になる事を期待していたようです。勉強には全然うるさくなかった両親の元で、補習や授業をさぼって屋上に寝転び、試験対策には何の益もない本を 読みあさる学生生活をしているうちに国語や英語や社会の成績は勝手によくなり、高校の進学指導の教師は文系に進み東大の文一を受験するように説得にかかりました。実際、進路適性検査なるものを受けると適性の1位から6位まで全て文系もしくは芸術系の学部で、7位になってようやく理系の医学部が来る始末で、 その頃模擬試験などで志望校を書く際には『第一志望:京都大学文学部、第二志望:長崎大学医学部』と書いて、キ印扱いを受けたものです。(この頃になると 両親も、あまり信心深くない私が神父になる夢はあきらめていたようです。)

 ぎりぎりの土壇場まで迷った挙げ句、適性検査7位にして志望校の2位であった医学部を選んだ訳ですが、京大(文系)へ行く事を諦めた理由のひとつは、扶養家族が多かった我が家で兄弟二人共が県外に出てしまうと仕送りが大変だという台所事情を察して、出来の良い兄が(九大医学部どころか東大理三すら射程内に あったにも関わらず)長大医学部に進み、私に選択の余地を残してくれた事に対して済まない気持ちがあった事です。

 もっとも医学部を選んだpositiveな動機というか人生設計というか私自身の心づもりは、全くいい加減なものでした。その頃の私の下心は、1.医者に なってお金を稼いでその資金でシュリーマンのように考古学の仕事を始める(御存知のようにシュリーマンは商人として巨万の富を築いた後、夢であった古代遺 跡の発掘に取り組んでいます)、もしくは2.精神科かどこかを選び然るべき後に文筆業に入る(我が国は森鴎外以来、斎藤茂吉、なだいなだ、北杜夫、渡辺淳一 など医師兼作家が多いので)といったものだったのです。最近推薦入学の受験生の作文(『何故私は医学部に進みたいか』などについて)の採点をしたところで すが、こんな事を書いたら絶対受からないでしょう。

 只今のところ、2.の夢はまだ完全には捨てていませんが、1.については必要条件である『お金を稼ぐ』ということからは程遠い道を辿ってしまい、自然消滅して しまいました(今からでも遅くはないか?)。その後の公私に及ぶ体験から、感染症を学び、特に発展途上国の子どもの命を救う為の仕事をしたいと思っていた私 が、予期せぬままに新しい舞台に放られる羽目になったのはちょうど1年前になります。

 こうして過去を振り返ると、人生にnavigatorはなく、いつもいつも迷いながら歩んでいくものだと思えてなりません。ただそういってしまうと随分ふ らふらした生き方をしてきたように思われそうですが、どの分岐路でも私なりに一生懸命悩み苦しんできた訳で、本当にこれでよかったのだろうかと考えない日 は一日たりともありません。おそらくこうしてこれからも惑いながら自分の進む道を探していくであろう私が、『不惑』を迎える『君子』になどなれるはずがな いと思います。

 さて所変わって西欧ではその昔、いい年のご老人になっても若い女の子に夢中になってしまう、およそ悟りには縁がなさそうな作家ゲーテは『努力する限り、人 は迷うものだ』と記しています。この言葉に恥じない程の努力を自分自身がしているかどうか疑問ではありますが、私は惑い続ける自分に『さあ、40才。努力 し惑い続ける惑惑40才。』と言い聞かせているところです。


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