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「シナプス接着分子」の赤血球を産み出す細胞における役割
・Lrfn2欠損マウスでは骨髄での造血に変化が起き、赤血球数が増える
・Lrfn2欠損マウスではNMDA型グルタミン酸受容体の機能が赤血球の祖先細胞で変化する  
Maekawa et al., PLoS ONE. (2021)

脳の中では神経細胞どうしが情報のやりとりをしています。「シナプス」は神経細胞の間で情報の受け渡しを行うための構造です。シナプスでは神経伝達物質と呼ばれる分子が放出されて、情報をうけとる神経細胞上にある受容体に作用します。アミノ酸のひとつ、グルタミン酸は脳の中ではたらく、主な神経伝達物質のひとつです。グルタミン酸が結合する受容体のひとつ、NMDA(型)受容体は学習や記憶と関係している「シナプス伝達が長期的に変化する性質」(シナプス可塑性)に重要な役割を持つことが知られています。NMDA受容体にはナトリウムイオンやカルシウムイオンを通過させる性質があり、これらがグルタミン酸などの結合によって変化するのです。

私たちはこれまでの研究でNMDA受容体と結合するシナプス接着分子Lrfn2の研究を進めてきました(発達障害と社会的行動障害に関わるシナプス成熟促進タンパク質の発見)。Lrfn2タンパク質はシナプスを作る細胞膜にあって、NMDA受容体を含む分子装置の中に含まれています(図1)。マウスでLrfn2が無くなるとシナプス可塑性が変わること、記憶機能に異常が起きます。また、ヒトのLRFN2遺伝子の変異は発達障害や記憶の機能の異常と関連があるのではないかと考えられています。

私たちはマウスでLrfn2が無くなると脳神経系以外にも、その影響がでることを見いだしました。最初に注目したのは、血液中の赤血球の数が増えることでした。ヒトで血液中の赤血球の数が増える状態は「多血症」という病気で起きることが知られています。また、病気でなくとも例えば標高の高い場所でしばらく過ごすと、エリスロポイエチンという、赤血球を多く作るように指令するホルモンが多く産生されるようになり、赤血球の数が増えて高地での生活に適応した体の状態になります。Lrfn2欠損マウスの場合、血液中のエリスロポイエチンの濃度は低下していたので、赤血球を作り出す過程のどこかが強まっているのではないかと考えました。

成熟したマウスの場合、赤血球は主に骨の内部にある骨髄という組織で作られ、これはヒトでも同じです。そこで、Lrfn2を欠損したマウスの骨髄の中に含まれる細胞を取り出して、赤血球となる細胞(赤芽球系細胞)の数や細胞の成熟(分化)の状態を表すマーカータンパク質の状態を調べてみました。すると数段階に分けられる分化の過程のうち、初期の一段階と後期の一段階で異常がおきていることがわかりました。

次にLrfn2がどのように赤血球を作る細胞の分化過程を調節しているのか、という点に興味を持ちました。最近、「NMDA受容体は赤芽球系の細胞の分化成熟をも制御するらしい」ということがアメリカの研究グループから提唱されています。記憶やシナプス可塑性に重要な役割を持つことが知られている分子が赤血球を作る細胞の調節に働くことが意外に思われるかもしれませんが、実はNMDA受容体が通過させるカルシウムは細胞の中で数多くの分子に働きかけ、分子の機能を換えることが知られています。言葉を換えるとカルシウムは細胞の中で情報を伝える役割を担っているともいえます。

私たちは、「赤芽球系の細胞のNMDA受容体の機能もLrfn2によって調節されているのではないか」という仮説をたてました。神経系の中で起きていることが赤血球をつくる細胞の中でも起きるのではないか、と考えたわけです。ところが、骨髄にある細胞で作られるNMDA受容体とLrfn2の量は神経系の細胞でつくられている量よりも、ずっと少ないことがわかり、直接に両者を取りだして、この仮説が正しいか調べるのは技術的に難しいことがわかりました。そこで、私たちはLrfn2を欠損している骨髄の細胞にNMDA受容体を活性化させることができる試薬(NMDA、N-メチル-D-アスパラギン酸)と、NMDA受容体の活性化を阻害することができる試薬(MK-801)をかけて、細胞内のカルシウムの濃度変化がどのようになるかを、Lrfn2を持つ正常な細胞と比較して検討してみました

その結果、Lrfn2の無い骨髄細胞のうち、赤血球をつくる後期の過程(多染性赤芽球、正染性赤芽球)ではNMDA受容体を活性化したとき、阻害したときのカルシウム濃度の増加の度合いが正常の細胞とくらべて、落ちていることがわかりました。この結果はLrfn2が赤血球をつくる細胞のNMDA受容体の機能制御に何らかの形で関わっていることを示しています(図2)。

ヒトでもNMDA受容体が赤血球のできる過程を調節していることをアメリカの研究グループは報告しています。今回の私たちの発見と合わせると、脳の神経細胞のグルタミン酸によるシナプス伝達で働く分子の一部は血液を構成する細胞が産み出される過程の調節にも関わっている、ということが言えそうです。「神経系でシナプス伝達に関わる分子が造血系でどのように働くか」は未だにわかっていることが少なく、挑戦しがいのある研究テーマだと思っています。



用語解説

赤血球が産み出される過程

骨髄では、さまざまな血液に含まれる細胞がつくられています。赤血球をつくる細胞は血小板を作る巨核球という細胞と共通の祖先細胞からつくられます。その後、いくつかの段階を経て(図2)、赤芽球という細胞になり、最後の段階で細胞核が抜けて、赤血球になります。

細胞内情報伝達物質としてのカルシウム

カルシウムイオンの濃度は細胞の外で高く、細胞内(細胞質)で低く、細胞膜(形質膜)を隔てて大きな濃度差があります。カルシウムイオンが何らかの刺激をきっかけとして細胞質に流入すると、多くのタンパク質の機能が変化します。細胞内のカルシウムイオンの濃度変化は細胞内で情報を伝える機構の一つと考えられています。

細胞内のカルシウム濃度変化を調べる実験

骨髄の細胞群に予めカルシウムイオンの濃度によって蛍光の強度が変化する試薬(Fluo4-AM)を取り込ませておき、赤血球をつくる細胞を抗体で標識しておきます。ここにNMDAを作用させ、速やかにフローサイトメトリーという装置で各細胞の蛍光の種類と強度を測定します。対照として、NMDAを入れる前にNMDA受容体の阻害薬MK-801を作用させたものも用意しておきます。。

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