学生・研修医の皆さんへ

留学について
留学体験記(海外)
「リーズ短期留学報告」(2018年3月〜6月)
 宮崎 拓郎
(平成12年卒業)
 2017年度に日本胸部外科学会が第一回Japan Association of Thoracic Association (JATS) fellowshipという、本邦の若手胸部外科医に海外有名施設の短期研修を助成するというプログラムがあり、これに応募していたところ幸運にも手にする機会を得ました。
 学会から7つの魅力的な施設をご提案頂きました。ストラスブール(フランス)、ルーバン(ベルギー)、トリノ(イタリア)、チューリッヒ(スイス)、ウィーン(オーストリア)、クラクフ(ポーランド)とあり悩みましたが、日本人がこれまでに留学したことがなさそうな施設、Pubmed等での施設の研究内容、activityを考えた結果、希望通りDepartment of Thoracic Surgery, St. James’ Hospital, Leeds, UKにお世話になりました。2018/3/20に日本を出発し、6/9に長崎に戻ってまいりました。最大3か月(12週間)でしたので、ほぼMAXを過ごしたことになります。

 この病院では6人のConsultant surgeonがおり、それぞれが独立して手術を行い、それをRegistrar、resident、Fellowがサポートしつつトレーニングを受けるというシステムです。私の滞在はAllessandro Brunelli先生がお世話をしてくださいました。イタリア出身で現在ESTSの事務総長であり、これまでに周術期管理、リスク分類、医療コスト、QOL等を中心に、自施設やESTSのbig dataを使って多くの論文がMajorな雑誌に掲載されているAcademic Surgeonでもあります。また現ESTSの会長である Mr. Konstantinos Papagianolopus先生もおられました。お二人のConsultantは本邦の多くの一流呼吸器外科医と知り合いであることから、今回の企画が実現したと思います。法律上の制限で手洗いすることはできませんので、今回の研修主に①低侵襲手術の見学、②外来診療、③各種カンファランスへの参加、④臨床研究を行ってきました。多くの先生方にお世話になりましたが、特にBrunelli先生について回りました。

 ①手術:ヨーロッパの施設にしてはVATS(1 access+ 1 or 2 ports:見上げ式)の頻度が90%を超えており、症例により積極的にSingle portでも行っていました。当科でも少しずつ導入していけそうです。本邦での多くを占めるGGAを有す肺癌はほとんどなく、ほぼsolidな腫瘍で占められていました。リンパ節郭清に対する考え方はやはり違います。ほぼサンプリングといっていい郭清ですが、やはりその意義は正確なstagingにあるからです。例えば右上葉でも必ず下肺靭帯を切離し#9のリンパ節を摘出していました。本邦がリードしている区域切除への注目はこちらでも高く、彼らと良いdiscussionができたと思います。
 本邦でも2018年の春から保険適応になったDaVinci手術は、医療コストには何かと厳しいイギリスですが隔週で数例ずつ行われていました。メリットを見出すためには症例を集積していくしかありません。途中USAからresidentが見学に来ていましたが、自施設では80%がRobotだよと聞いて衝撃を受けました。保険点数が従来の胸腔鏡下肺葉切除と同じであり、当院でも導入していきたいのですが、まだ問題がありそうです。どちらかというとアジア・欧州はuniportal or reduced port surgery、北米はrobot surgeryの流れです。日本はどちらも後塵を拝している状況です。

 ②外来診療:Brunelli先生の週1回の外来につかせてもらいました。彼らは術後1回のフォローでほぼ終了しますので、ほぼ新患診察と術前説明となります。当然外来で全ての検査が終了し、原則当日入院となっています。手術の説明では自施設のデータから、mortality、術後の肺機能の回復等、かなり具体的な数字で丁寧に説明されていました。時々患者さんが日本人だとわかると、日本の事を聞いてくれたり、日本語を話してくれたりすると大変嬉しかったです。

 ③カンファランス:Multidisciplinary team conference (MDT)が週一回行われています。Oncologist, Radiologist, Pathologist, Surgeon, Nurse等沢山の職種が集まります、もちろん夕方の時間外からではなくAM8時から11時くらいまで、大体60-70人です。これは外科症例だけではなく、内科症例もたくさん含まれています。こちらでも高齢の併存症を多く有する患者さんが大変多かったです。ただ本当にカンファランスに必要かなという症例や、いろんな疾患のMDTが多く、治療決定までのプロセスが少し迅速さに欠ける印象を受けました。参加者のバックグラウンドは様々であることから、最も多彩な英語に触れることができた時間でした。

 ④臨床研究:Brunelli先生から幾つかの臨床研究課題を頂きました。1つは、本邦では6分間歩行で代用されていますが、術前のエルゴメーターを使用したCardiopulmoary exercise testで得られるVE/VCO2という換気効率が周術期合併症、予後に影響するかを調べる研究です。施設のデータを解析後、国際学会への応募を済ませ現在論文投稿中であります。2つめは、胸腔鏡手術が主流の現在ですが困難症例も多く存在しています。術前に困難症例のリスク因子を同定し、外科医の準備だけでなく、術前説明や若手執刀の機会に利用できる可能性があり、これも論文として投稿中です。海外の先生と臨床研究をさせて頂いたことで、論文にする目の付け所、データの解析方法など大変参考になりました。

 英語に関しては当たり前のように苦しめられました。Brunelli先生をはじめNon-nativeの英語はまだ分かりやすいのですが、LeedsがNorthern Englandのせいでしょうか、地元のご年配の方の英語が特に聞き取れませんでした。本邦の学会も少しずつ国際化が進んでいますが(日本で日本人医師同士の英語での質疑応答等)、わが医局も何とかこのような機会を、日々の生活の中に無理矢理にでも作り、英語力を高める必要があるかと思います。

 今回の最も収穫としては、このような世界をリードするbig surgeonsとの繋がりを築くことができたこと、留学の形に残る結果を残せたこと、新たな環境での暮らしや英語の苦労、人生初めての「ぎっくり腰」に苦しめられたりと、色々な困難もありましたが、当初の目的であった再度自分自身を奮い立たせるのに十分な刺激と自信を得ることができたことです。私も43歳を超え中年の悩みも増えてきた時期に、このような刺激的な経験を再び得ることができるとは、本当に予想していませんでした。外科医人生が折り返しに入った時期に、一歩立ち止まって、自分の人生を見つめなおすこともできた素晴らしい留学となりました。書き足りないところもまだまだありますが、紙面の都合上ここまでにしたいと思います。

 最後になりましたが、今回の留学に快く許可を頂きました永安教授、何事にもいつも快く許可を頂けた山崎前チーフ、そして年度替わりの大変忙しい時期にも関わらず笑顔で送り出していただいた土谷現チーフをはじめ、矢野前・松本現医局長、多くの業務をお願いすることになった呼吸器外科グループの先生方、そして腫瘍外科の先生方、医局受付の方々、これまでいろんな相談に乗って頂いた先生方、また日本胸部外科学会国際委員会の先生方に感謝致します。本当にありがとうございました。

写真1:Department of Thoracic SurgeryのあるBexley Wing, St. James’s University Hospital
3月~4月はいつもこのようなどんよりとした、雨の多い寒い天気が続いていました。
Department of Thoracic SurgeryのあるBexley Wing, St. James’s University Hospital

写真2:Mr. Allesandro Brunelli先生(真ん中)、イタリア出身で今回も最もお世話になりました。Humor溢れるAcademic surgeonです。Dr. Konstantinos Konstanidis先生(右)、ギリシャからのFellow、滞在中一番仲良くしてもらいました。5月の爽やかな昼下がりの、素敵なイタリアンレストランでのランチでの一コマ。
Mr. Allesandro Brunelli先生(真ん中)、Dr. Konstantinos Konstanidis先生(右)

写真3:Mr. Konstantinos Papagiannopoulos先生(右)、ちなみに本年度のESTS(European Society of Thoracic Surgeons)の会長です!圧倒的な技術力をお持ちでしたし、かつ大変熱心な教育者でもありました。Dr. Lauren Schimdt先生(真ん中)、USA, Philadelphia Temple universityの外科Resident、Thoracic surgery志望。1か月の見学に来ていました。
Mr. Konstantinos Papagiannopoulos先生(右)、Dr. Lauren Schimdt先生(真ん中)
「ライデン大学(オランダ)」(2016年10月〜2017年9月)
 大坪 竜太
(平成12年卒業)
 2016年10月から2017年9月までの1年間、オランダ ライデン大学(Leiden University Medical Center)に研究留学しました乳腺・内分泌グループの大坪 竜太(おおつぼ りょうた)です。
(図1)ライデンの風車と日光浴を楽しむ人々
(図1)ライデンの風車と日光浴を楽しむ人々

 ライデン(図1)は人口12万人程度の小さな町ですが、1575年創立のオランダ最古のライデン大学(学生数約2万人)があり、日本に西洋医学を広めた人の一人であるシーボルト医師が学んだ大学である事や世界最古の日本語学科などが有名です。まずは生活のセットアップを行うことが先決ですが、住居に関しては幸い到着翌日にはアパートを決め、ホテル暮らしは予定通り3日で済みました。住民登録、ビザ・住民カード取得、銀行口座開設と日本からの送金が約3週間で完了できたのは、日本人のコミュニティ、病院人事部と同僚のサポート、インターネットからの情報のお蔭でした。更に、同じ病院に勤務する日本人の先生から自転車を譲って頂き、快適なオランダの自転車生活に溶け込みました。オランダは国民一人当たりの自転車所有台数が1台を超える、世界一自転車を利用する国ですが、何といっても平坦な地形と、駐輪場や自転車専用レーンなどのインフラの整備の恩恵が大きいです。また、世界一背が高い国である事が有名ですが、平均身長は男性184㎝、女性171㎝とされています。私の身長は176㎝なので、私より背の低い男性はあまりいませんし、私より背の高い女性は沢山います。また、人々の会話は基本的にオランダ語ですが、テレビのスイッチを変えるように老若男女、職業を問わず上手に英語を使いこなします。そのため、仕事や日常生活は英語で行いました。また、ライデン大学の英語の授業を受け、外国人と共に英語を英語で学ぶ機会は非常に貴重な体験でした。
 ライデン大学病院には私を入れて3名しか日本人医師がいませんでしたが、ライデン市内やアムステルダム等の都市には結構な数の日本人がいます。その中のコミュニティーに入ることができ、様々な勉強会や飲み会に参加して交流を広げる事が出来ました。また、私の趣味であるサッカーに関しては、アムステルダムの日本人チームに入り、週末にオランダ人チームとのリーグ戦(45分ハーフ)を楽しみました。オランダにはいたる所に天然芝・人工芝グラントとクラブハウスを持つ地域サッカークラブが存在し、老若男女様々な人々がサッカーを楽しめる環境が整っています。明らかに人口あたりのサッカーをプレーする人数は日本より多いと思われます。現在オランダ代表は厳しい状況ですが、この環境はオランダが世界の強豪である理由の一つだと思われます。また、外食の料理が美味しい国とは言えませんが、乳製品をはじめとする食材は豊富で、新鮮かつ安価です。子供の受験のため単身で来た私ですが、平日の昼食以外は殆ど自炊していたため、この一年で料理の腕は確実に上がりました。
  さて、今回のライデン大学留学で学んだ事を紹介致します。

1. 研究(HER2陽性乳癌におけるimage-guided surgery)

図2: 転移性肝腫瘍におけるImage-guided surgery

図2: 転移性肝腫瘍におけるImage-guided surgery

 Image-guided surgeryは癌を術前・術中に蛍光色素や放射性同位元素を用いて可視化し、安全かつ確実な手術を行う事を目的に、様々な癌腫で基礎研究と臨床応用が行われています(図2)。HER2陽性乳癌においては術前化学療法で病変が完全に消失してしまう完全奏功症例を術前に検出し、最終的には手術を省略できる患者を選定する事を目標としています。しかし、HER2陽性乳癌は術前にHER2陽性細胞に対するモノクローナル抗体であるTrastuzumabを投与する事が多く、Trastuzumabを用いたtracerは術前に投与されたTrastuzumabによる受容体の占拠(masking)や受容体の細胞外成分が切断されるsheddingによりHER2受容体への結合が阻害される事が予想されました。Trastuzumabとはエピトープが異なるPertuzumabを用いたtracerは術前に投与されたTrastuzumabによるmaskingやsheddingによる影響を受けないという仮説のもとに、免疫染色とフローサイトメトリー・蛍光顕微鏡によるin vitro実験を行いました。免疫染色ではPertuzumabの有用性と仮説を証明できませんでしたが、in vitroでは仮説を証明できました。この基礎実験に関する論文のdraftを書き上げ、最後にマウスを用いたin vivo実験を計画しましたが、1年という短期間では完遂できませんでした。この実験はライデン大学の大学院生に依頼して帰国しましたが、この結果を含めた投稿を予定しております。これに加えてHER2陽性乳癌のImage-guided surgeryに関するレビューを執筆し、draftを完成させています。また、研究の合間に実際の手術を見学出来た事は、貴重な経験でした。
 参加する予定だったTrastuzumabをベースにしたtracerを用いたImage-guided surgeryに関する臨床試験ですが、実はこのmaskingやsheddingのために頓挫していました。それに対して次の一手がない状態だったのですが、何とかその原因の一部を究明できたという感じです。今後もライデン大学と共同研究を継続していきたいと考えております。

2. ライデン大学と長崎大学との交流

 これまでライデン大学と長崎大学との間には、医学生のリサーチセミナーとしての短期間の交換留学がありましたが、今回の留学を契機にmaster・doctor courseを作ることが将来的な目標です。2017年はじめに長崎で開催されたライデン大学の医学部長、van de Velde教授、Ton Raap教授を招いたシンポジウムの結果、Image-guided surgery、熱帯医学研究(オランダでは元植民地のためのマラリア研究が盛んです)、リウマチ研究、老化に関するコホート研究を柱にした交流が計画されました。これに関して、海外から長崎大学を見て、van de Velde教授やRaap教授とディスカッションできた事は有意義でした。その後短期留学ではありますが5名の当科大学院生がライデン大学留学を経験し、6年生のクリクラ実習の受け入れも実現しました。更に2018年 秋には当科大学院生が2か月の留学を行う予定です。私もライデン大学で1年間学んだ経験を活かし、今後の更なる交流に貢献する所存です。

3. オランダ人の労働生産性とwork-life balance

 最近の本邦における過労死問題(悪い意味で世界から注目されています)、人口減少の影響などから、時間当たりの労働生産性の見直しや働き方改革が叫ばれています。一方オランダは小国ながら労働生産性は日本の1.5倍とも言われ、今でも緩やかな経済成長を続けています。この1年で感じたオランダと日本の違いは、以下の3点です。
① 同一労働・同一賃金
 パートタイムタイマーとフルタイムワーカーの労働時間が違っても、昇進・雇用期間・時給・福利厚生などが同一である事です。また、パートタイムとフルタイムの切り替えも可能で、特に女性の社会進出に大きな影響を与えています。チーム全体でのワークシェアリング体制のため日本と比べると全般的に仕事に関して無責任な部分も目立ちますが、仕事に対するモチベーションが高く、結果としての労働生産性も高いのです。オランダも約30年前は日本と同じような問題を抱えていたようですが、この法律改正を契機に働き方が変わり労働生産性も向上したとされます。なお、オランダでは臨床医も研究者も週32-40時間以上の労働は厳しく制限されワークシェアリングが広く普及していますが、医師一人当たりの論文数は世界トップクラスです。大学院生が4本の筆頭著者論文を作成しなければならないシステムも一因ですが、同じオフィスの大学院生が3本目の学位論文がLancet oncologyにアクセプトされるのを目の当たりにした時はかなり驚きました。
(図3)ライデン大学留学でお世話になった先生方

(図3)ライデン大学留学でお世話になった先生方

② Social capital(社会的関係知的資本)
 人々の協調行動が活性化する事により社会の効率性を高める事が出来るという考え方のもとで、社会の信頼関係・規範・ネットワークといった社会組織の重要性を説く概念です。オランダ人は夫婦、家族、会社、地域という社会組織の協調行動、特に会話を大切にします。例えば親が学校やクラブ活動に関与する事で子供の学習体験の機会が広がり、会社内・会社間の信頼の増大と情報の共有化(ITも上手に利用)が、取引コストの低下、市場の効率化や求職活動の円滑化に繋がります。また、私の上司(図3)と同僚の言葉で印象的だったのが、「夫婦も大切なチームだよ。だから妻の仕事が遅くなる時は俺が早く帰って晩御飯を作るぞ。」、「親を含めた家族の時間が人生の中で最も大切、だから仕事を出来るだけ早く切り上げるために無駄な時間を削っている。」と「オランダの子供が世界一幸せな理由?夫婦が仲良い事が一番大切だろう。」でした。
③ 合理主義
 プロテスタントの中でもカルヴァン主義の影響が強いオランダでは、感情論を除外し、物事を理性的に割り切って考え、合理性を追求する傾向があります。会議やディスカッションでも最初にゴールを明確にします。初対面の人に「お前は何をしに来た?」と言われる事、「なぜ?」を連発される事に最初は戸惑いがありましたが、これもゴールを明確にして無駄な時間を減らし、残業をせず家族との時間を大切にするためです。サッカーの練習でも、本人がメニューに納得せず合理性がないと判断した場合には拒否します。個人主義と言われる所以でしょうか?サッカーオランダ代表の強さと弱さもこれで説明できる気がします。また、オランダ人は他国の人々から「ケチ」と言われるそうです。確かにラテンの国に比べて衣服も華美ではありませんし、Go Dutch(割り勘、しかも自分が飲んで食べた分のみ出す)も普通ですし、サンドイッチにチーズとハムを同時に挟むのは贅沢です。しかし、家族との時間を大切にし、寄付やボランティア活動が盛んなオランダは素敵な国だと思います。
 勿論オランダにも悪いところは沢山あります。オランダでは医療を含めたサービスに対する期待が高くないため、法律・システムや思想背景が日本と異なるために以上の事が成り立つと思われますが、見習う部分もあると思われます。特に私が所属する乳腺・内分泌グループは女性が多く、皆が働きやすい環境を積極的に作っていく必要があるでしょう。

 このように海外で異文化を肌で感じながら生活し、学ぶ事は医師生活において非常に有益だと思います。楽しい事ばかりではありませんし(過ぎた後には大抵の事が楽しく思えますが)、留学経験を糧に帰国してから何を成し遂げるかが重要ではありますが、これまでの生活や日本を違う視点で見る事が出来ますし、多かれ少なかれ人生が豊かになるでしょう。一人でも多くの方が体験できる事を願います。

 最後になりましたが、この留学の実現にご尽力を賜りました永安 武 教授と松本 桂太郎 講師、ご支援を賜りました腫瘍外科同門の先生方、大学での業務を負担して頂いた矢野 洋 医局長、松本 恵 先生、大学院生の皆様には、この場を借りて御礼申し上げます。今後はこの留学で学んだ事を還元し、更に発展させることで教室に貢献したいと存じます。
「海外留学のすすめ」 畑地 豪 (平成16年卒業)
 私は、現在米国コネチカット州のYale大学に研究留学をしております、畑地と申します。
 自己紹介を簡単にしますと、平成16年卒で、所謂スーパーローテート制度の第1期です。初期臨床研修の後、3年目で腫瘍外科に入局。県内外の病院勤務を経て、6年目で外科専門医を取得しました。また、同年に大学院(腫瘍外科学講座)へ進学し、4年間の研究生活の後、博士号を取得しました。その後、平成26年6月より1年間、Yale大学麻酔科Niklason Labに研究留学をしています。
 麻酔科とありますが、このラボはどちらかというと生命工学に重点を置いたラボで、脱細胞化・再細胞化の研究では世界でも5本の指に入るラボと思います。私はそこで、再細胞化肺の作成と移植モデルの作成、および移植後の機能評価を行っています。

 日本の移植医療における最大の問題点はドナー不足であり、脳死移植症例が増えてきているとはいえ、深刻なドナー不足は続いています。長崎大学は肺移植認定施設であり、我々にとってもこの問題は身近なものです。脱細胞化・再細胞化の技術はその解決策の一つとして期待されているものです。簡単な原理としては、組織から細胞をいったん除去し、細胞の足場のみを作ったうえで、新たに別の個体の細胞をその足場に接着させて組織を再構築します。この技術が臨床応用できるようになれば、移植を受ける患者さんによりマッチした臓器を作り出すことができることになり、移植後の拒絶反応の軽減や生着率の増加が期待されます。臨床応用までには克服しなければならない問題は数多くありますが、世界中から研究成果報告されてきています。
 外科医というと、常に手術をしていて、細胞工学の研究・実験と結びつくイメージが少ないかもしれませんが、外科医だからこそできる研究というものもあり、10年後、20年後を見据えながら世界の先端医療に携わっていけるように、日々研究を行っています。

畑地豪① 畑地豪② 畑地豪③
「シドニー留学体験記」 宮崎 拓郎 (平成12年卒業)
 2007年1月から2008年3月までSt Vincent's Hospital Sydney、Department of Cardiothoracic Surgery and TransplantationのClinical fellowとして臨床留学して参りました。これから留学を考えている方々にお伝えしたいことは以下の「5つの力」です。偉そうに書いていますが、私は全てにおいて不足していた「力」です。

①英語力:最も必要とされる「力」。現地で慣れるだろうというのは甘いです。最近はオンライン英会話も発達しています、相当勉強してから行きましょう。それでも普通の人間は必ず苦しみます。

②経済力:雇い先から出ればいいですがなかなかそうはいきません。私も途中から給料が出ましたが無給は絶対止めましょう。必死で働いて信頼を勝ち取るか、できれば何らのグラントをとりましょう。貧乏に耐えうる家族かどうかも重要です。

③技術力:実験なら何らかの手技と学位、臨床なら最低専門医が必要です。臨床系は心臓外科の知識と技術があった方が絶対いいです。勢いで知識も技術も丸裸のまま渡航することはやめましょう。

④忍耐力:英語はもちろん日常生活など想像を絶する困難に必ずぶち当たります。ここで負けたら人としてどうなの?というくらいの忍耐力です。私が最も欠如していた「力」です。

⑤情報力:ラボ、病院、予め情報収集しましょう。行ったけどラボが火の車だった、全く手術をさせてくれなかった等よく聞く話です。奨学金情報などもこれに入ります。日頃からアンテナを立てておくことです。

 ネガティブなことが多くなりましたが、それでもやはり絶対に海外は行った方がいいです。移植はおそらく一生分経験できましたし、心臓外科の知識もつきました。それに加えて人間的にきっと成長できますし、家族ともゆっくり過ごせます。僕もくじけそうなときは未だにシドニーの写真を見ています。皆さん夢に向かって頑張ってください。

セントビンセント病院 苦楽を共にした仲間
セントビンセント病院 苦楽を共にした仲間
「私の留学―豪州と米国」 七島 篤志 (昭和63年卒業)
 1999年、ノストラダムスの予言による世の終末を危惧しながら、国外留学を模索していました。海外で実施外科診療を経験してみたい。肝胆膵外科医のはしくれなので、海外で学ぶならば肝移植しかないと思い、留学先を探しました。
 当時、internetも普及していない時期、25施設をピックアップして、ひたすら慣れない留学を申し出る手紙をそれらの施設に送り続けました。半年かかり3施設に絞られ、豪州のシドニー、カナダのカルガリー、イギリスのバーミンガムの中から、オリンピックが開催されるシドニーを選びました。
 幼い娘と妻を日本に残し、単身1年間留学し、日本語のない生活を1999年10月にスタートしました.着いてさっそくパソコンを盗まれ、アパートも決まらずの出だしでしたが、次第に生活にも慣れ海外生活でだいぶ鍛えられました。
 海外での問題はやはり英語です.多少に自信があったとはいえ、やはり仕事での問題は多く、聞き取れないことから、仕事を理解できていないと思われる悔しさを味わいました。それでも1年、頑張りぬいて多くの友人と出会い、貴重な経験をでき、なによりも50例の肝移植を経験することができました。この経験以降、海外の医療者との交流には何の不安も感じなくなり、大事な人生のひと時を有意義に過ごせたと思われます。
 豪州留学中に、米国への留学を志し、短期間ながらニューヨークに向かいました。この留学先も、誰の力も借りず自分でapplyし、留学までに行きつけたことは、今振り返っても図太い30歳台だったなと我ながら思います。
 2000年11月、寒いニューヨークに降り立ち、マンハッタンの最北端のハーレムのそばのアパートに住みかを得ました。第一の訪問先のアッパー・イースト高級な地域にあるMemorial Sloan-Kettering Cancer Centerまでは電車とバスを乗り継いで1時間、長崎の田舎者からすると長い通勤距離です。そこでは癌をメインとした肝胆膵外科の手術を見学し、ボスの手術ビデオを全部見させてもらい、手術で用いられる英語を覚えました。第二の訪問先は、ハーレムに近いMount Sinai病院で、肝移植と膵移植を見学しました。このころになると観光気分が大きくなり、夕方5時になれば、さっさと帰りマンハッタンをぶらついていました。おかげで、マンハッタンのほとんどの場所に行くことができ、その後違和感なく、訪れるたびに以前歩いた場所をいつも散策しています。NYは庭のようなものというのは言いすぎですが、非常に懐かしい場所となりました。
  今の私にとって留学は何のためにあったのかと考えるたびに、国際性をみにつけ、強い自分を気づきあげる1年3か月だったのだと考えます.この留学経験から、シドニーでの肺移植を、みなさんの留学先としてご紹介することもできましたし、貴重な論文もいくつか書き上げて、その後も有意義な結果を得ました。若い20歳台、30歳台の人たちには、与えられた機会を大事にすることも貴重ですが、自分の力で一から築き上げ、チャンスをつかむ経験も、ある一時期は是非挑戦してほしいと思います。強い自分が生まれるはずです!
 脈絡のない留学体験ですが、何枚かの写真からそのころの私の経験を推察してください。

オーストラリア アメリカ 七島篤志①
七島篤志② 七島篤志③
七島篤志④ 七島篤志⑤