長崎大学病院産婦人科・長崎大学大学院医歯薬学総合研究科産科婦人科学分野

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研究の今【産婦人科】

母体血からの胎児・胎盤情報

母体血中の胎児DNAに注目
 胎児と胎盤は同じ受精卵から生じた、いわば一卵性双胎だが、その姿のみならず両者の運命はことごとく違っている。胎盤の生活はひたすら兄弟である胎児を育てることに費やされ、胎児が出生すると子宮外へ排出されてその生命を閉じる。一方の胎児は、胎盤に守られながら出生前を過ごし、生まれ出ると、そこから地上生活者として初めて年齢が加算されはじめる。これらのことから妊娠中は胎盤からの情報がいかに大事であるかが推測できる。少なくとも、母親と胎児と胎盤からの情報をそれぞれ別のものとして評価できれば有用だろうと考えることができる。産婦人科学教室では、母体血中の胎児DNA に注目して、母親に比較して胎盤で特異的に発現している遺伝子を抽出し、胎盤マーカーとして用いることを検討している。

胎盤の役割
 胎児期は生存しているが、胎盤から離れた新生児期に死亡する疾患がある。無脳症、無心体、無腎症、肺無発生、小腸無発生などの先天異常のほか、流産児などがそれである。胎盤はこのような胎児が有していない機能を代替えしていると考えることができる。さらに流産児を生かしていることから、胎盤は培養装置でもあり、人工心肺装置でもある。つまり胎盤機能を知ることは、少なくとも胎児期の脳、心、腎、肺、小腸の働きを知ることにほかならない。
 胎盤にはいくつかの矛盾が存在する。ひとつは子宮と胎盤の関係で、胎児が子宮内にいる間は決して剥がれてはならないが、児の出生後は速やかに剥がれる必要がある。胎盤が早く剥がれたら常位胎盤早期剥離、剥離が遅れると癒着胎盤という、いずれも危機的な状況に陥ってしまう。もう一つの矛盾は、母親と胎児間の血流の問題がある。母親と胎児は父親を介して半異物の関係なので、血液型が違う場合など、直接血液が入り交じるわけにはいかない。しかしガス交換や栄養輸送は必要である。この矛盾は、絨毛間腔において直接血液を触れあうことなく物質交換することで解決している。

図1 母体血中に胎児・胎盤由来DNA が検出される
図1 母体血中に胎児・胎盤由来DNA が検出される
図2 臍帯血中に母体特異的アレルが検出される
図2 臍帯血中に母体特異的アレルが検出される

母体血漿中の胎児/胎盤DNA
 母体血漿中には胎児ないし胎盤由来のDNA が存在する。それは男児を妊娠した母親の血漿中からY 染色体由来のDNA が検出されることで証明される(図1)。また逆に母親のDNA は臍帯血中に存在するが、陣痛発来前より発来後はより高頻度に検出される(図2)。子宮収縮が母体のDNA を臍帯血中に押し出していることが考えられる。

図3 キメラ
図3 キメラ

 つまり母親と胎児はそれぞれのDNA を介して情報を交換している。胎児のDNA の半量は父親由来であり、母親にとっては遺伝的に他人のものであり異物である。母親は胎児を介して他人(夫)の遺伝子を受け取る。すなわち女性は母親になることでキメラになるのである。キメラとは異なる受精卵に由来する遺伝子をひとりの中に有する状態をいう(図3)。この現象に生物学的な意味があるのか否か、現時点では明言できないが、普遍的に存在する現象である以上、何か生存に有利な役割(例えば免疫寛容のような)を有している可能性はあるだろう。

胎盤限局性モザイク
 では、母体血中DNA の由来は本当に胎盤なのだろうか。染色体核型の正常な胎児が極端な発育不全を示す場合、胎盤のみに染色体異常を認めることがある(胎盤限局性モザイク:CPM)。原因不明の発育不全胎児50 例のうち8 例(16%) に本症が認められた。これら8 例のCPM のうち、胎盤の余分な染色体が父親由来である例について、母体血中に胎盤由来のDNA が存在するか否かを検討した。結果は母体血中に胎盤由来のDNA が検出され、産後はすみやかに消失した。これにより母体血中に胎盤由来のDNA の流入のあることが判明した。

図4 GeneChip による遺伝子スクリーニング
図4 GeneChip による遺伝子スクリーニング
図5 母体血漿中で定量可能な遺伝子を同定
図5 母体血漿中で定量可能な遺伝子を同定
新しい胎盤機能検査
 胎児は胎盤に依存しているので、胎盤の機能を把握することは胎児の生活環境を知ることに連なる。そこでジーンチップを用い、胎盤特異的に発現する遺伝子を抽出すべくおよそ54,000 個の遺伝子を網羅的に解析した(図4)。その結果、母体血球に比べて胎盤で2,500 倍以上発現している遺伝子50 個が選出され、さらにRT-PCRを用いて母体血漿中で測定可能な9 個の遺伝子を抽出した(図5)。それら胎盤特異的遺伝子の胎盤マーカー としての有用性を検討したところ、癒着胎盤のスクリーニング、双胎間輸血症候群の予測、妊娠高血圧症候群の早期発見などに有用であるという成績が得られた。今後はさらに測定感度を上げ、妊娠中の胎盤機能を遺伝子の発現という視点から、母体を通じて非侵襲的、特異的、経時的、かつ網羅的に評価する手段を獲得したいと考えている。  胎盤は母親と胎児のコミュニケーションを橋渡しする。考えてみると、胎児の半分は父親なので、母親は胎盤を介して父親とも連結する(図6)。胎盤と胎児は、姿は違っても同じ受精卵から発生した一卵性双胎である。胎盤を知ることは胎児を知ることでもある。生殖の鍵は胎盤にある。いずれ謎を究明したい。

図6 父親のDNAは胎児・胎盤を介して母体に流入する
図6 父親のDNAは胎児・胎盤を介して母体に流入する
(文責:増﨑 英明)
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