卒業生へのメッセージ

令和4年度長崎大学医学部医学科卒業生への祝辞

 本日ここに学士 医学の学位を取得し、卒業されるみなさん、誠におめでとうございます。長崎大学医学部医学科の教職員を代表して、心よりお祝いを申し上げます。みなさんをこれまで励まし支えてくださったご家族、保護者の方々にも、お祝いと感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

 この卒業式で皆さんとは教員と生徒という関係は終わりを迎えますが、教員である私からの最後のメッセージと思って、これからの話を聞いてください。多少長くなるかと思います。

 まず初めに、皆さんが長崎大学医学部をご卒業されること、このことを皆さんにとって大きな成功体験と捉えて欲しいと思います。入学から今までの6年間を思い出してください。皆さんはその間に、医学の専門分野だけでも、医科生物学入門から始まり、高次臨床実習に至るまで膨大なカリキュラムをこなし、卒業試験を優秀な成績にて合格しています。これから、社会に出てゆき、例えば実際の医療の現場などで上手く物事が運べなくて、いろいろな心苦しい体験をすることも多いかと思います。そんな時でも長崎大学医学部医学科を卒業したこと、この点に自信を持って、心の拠り所として、今後直面するであろう様々な困難を乗り越えていってもらいたいと思います。

 次に、少し哲学的な話をさせて下さい。これから皆さんと理性というものについて考えてみたいと思います。ここでいう理性とは、感情や欲求に流されることなく物事を判断するといった普段の意味あいだけではなく、中世ヨーロッパの神学者であるトマス・アクイナスの論説に基づいて、部分的な知を推論でつなぎ合わせ、より全体に近い知を志向するものと思って下さい。

 さて、皆さんは長崎大学医学部に今まで在籍しており、今日卒業します。長崎大学医学部を語る上でどうしても外せないものがあります。それは、原子爆弾による被災です。皆さんの中には、また原爆の話かよと思っておられるかも知れませんが、あえて話させて下さい。長崎大学医学部の前身である長崎医科大学は原爆によって被災し、壊滅しました。復興には先輩方の尋常ならざる努力があったこともご存知かと思います。ここで少し考えてみましょう。そもそも何故原子爆弾が長崎に、日本に、落とされることになったのでしょうか?この悲劇は太平洋戦争の過程に起きています。日本は太平洋戦争を始め、そしてその戦争に敗れました。 では、どうして日本は蛮行の極致である戦争というものに突き進んだのでしょうか?

 いろいろな考えがあるかと思います。ここでは、私の考えを聞いて下さい。リベラルな立場からの見方が少し入っています。異論はもちろん認めます。戦前の日本の政治体制は未成熟な民主主義でした。皆さんも高校までの歴史の授業で習っているかと思います。このために、好戦的な軍人に文民政府がジャックされ、非合理的な拡張的戦争が生じました。ここで、今、我々が卒業式を挙行できているのは、我々が、今、平和な状態にあるからです。では、平和であること、平和の維持には何が必要でしょうか?

 「永遠の平和のために」という本をご存知でしょうか?この本はドイツの哲学者、カントが執筆したものです。カントはその本の中で、平和の条件として、民主主義、経済的相互依存、国際制度の3点を挙げています。当時の日本は、先ほどの考えでは、少なくとも、そのうちの一つの条件である民主主義を十分に満たしていなかったということになります。民主主義は人民が権力を有し、自ら行使する政治形態です。簡単に述べれば、みんなのことは、みんなが話し合って決めるということです。民主主義の基本として、正確かつ充分な情報を提供されることが必要となります。また、その情報に対して判断するという行為が必要になります。このことには理性が必要となります。昨今、皆さんの情報の源は殆どがネットだと思います。だいぶん知られるようになりましたが、ネットには、特定の意図や悪意を持ったフェイクニュースやプロパガンダに溢れています。何が真実であるのかを見分けるためにも理性が必要となります。つまり、平和のため、平和の維持のためには、理性が絶対的に必要となります。

 ここで少し話を変えたいと思います。皆さんが6年前に入学したときに、卒業するまでに世界がどのようなことが起こるのか、どのようになるかを想像した事はありましたか?入学時にCOVID-19の世界的流行やウクライナに対するロシアの侵攻を予想できた人はいないと思います。COVID-19感染症は、2019年12月に中国湖北省武漢市の原因不明の肺炎の集団発生から始まり、世界的な大流行となりました。行動制限もあり、臨床実習等では制限も多く、皆さんにも不便をかけたと思います。しかし、全く未知のものであったCOVID-19 については、多数の研究者の努力によりその病態が明らかとなり、また、ワクチンも開発され、本年3月13日より基本的にはマスク着用が個人の判断に委ねられるまでに鎮静化しています。人間の叡智の集合、つまり知性の集合である理性が、COVID-19の流行に打ち勝ったものと思います。このように、予想困難で新たな問題が生じたとき、その解決には理性というものが必要となあります。

 また、話を変えます。最近、対話型AIであるChat GPTが世間を賑わしています。今週初めに、富山県立大学の下山勲学長がChat GPTを用いて卒業式の式辞を作ったというニュースがありました。実は私も3月初めに本日の式辞をChat GPTに作らせていましたが、他の先生が先にやってしまったので公表はやめておきます。このように、現在はある程度のことならAIが人間の行うことの代替が可能となってます。2015年、今から8年前のことですけれども、イギリスのオックスフォード大学のオズボーン准教授らの研究で、10から20年後に、日本の労働人口の約49%が就いている職業において、それらに代替することが可能との推計結果が得られました。このニュースは世間に大きな反響があったことから皆さんもご存知かも知れません。そのレポートでは芸術、歴史学・考古学、哲学・神学など抽象的な概念を整理・創出するための知識が要求される職業、他者との協調や、他者の理解、説得、ネゴシェーション、サービス志向性が求められる職業は、AI等での代替は難しい傾向があると記載されています。つまり、AIがありふれた時代になっても理性が必要とされるということです。

 今までの話から、現在の、これからの平和な社会生活には「理性」が必要であることは認識していただけたかと思います。そして、社会生活を過ごしていくために、皆さんには「理性」を常日頃より研ぎ澄ますことをこれから心がけていただければと思います。

 我々長崎大学医学部は医学、医療の見地から皆さんに教育を行ってきました。しかし、単に職業訓練の場を提供したつもりではありません。皆さんは、本日確かに医学部を卒業しますが、同時に大学という学びの場も卒業します。皆さんは医学という専門的な知識を身につけ、論理的に考え、活用することができるようになったと思いますし、今後、医学という専門知識や技術を活かして社会で活躍していくことになるでしょう。一方で、大学というのは専門知識を活かすための幅広い教養を学ぶところでもあります。今お話ししています「理性」というような、哲学的で抽象的な、一見役に立たないように見える教養に対する教育の機会もある程度与えてきたつもりですし、皆さん自身の中で養ってもらったものと思っています。ここで私が皆さんにお願いしたいのは、医学部を卒業した単なる医療者であるだけでなく、幅広い教養を身につけた大学というものを卒業した学士であって欲しいということです。

 一つ残念なことは、長崎大学では教養を育む機会は多くはなかったのではないかということです。6年間という長いようで短い期間では、伝えきれてないこと、学んでもらっていないこともたくさんあります。

 本日、皆さんは卒業という節目を迎えました。ですが、大学を卒業するということは、学びが終わったということではありません。皆さんには学んでもらってもらってないことがたくさんあると先程申しましたが、今後も専門分野である医学を学ぶことは勿論、医学という知識を活かすためにも、幅広い教養についても学び続けて下さい。

 また、社会には未だに解決されていない課題が多くあります。皆さんも感じ取ってくれていたと思います。そして、これからの人生の中で数々の未知なる問い、問題に出会うことも多いかと思います。皆さんは大学を卒業して社会に羽ばたきますが、卒業後もそうした問いについて考え続けてくれること、つまり理性というものを働かせ続け、そしてそのことによって、社会に存在する諸問題を解決してくれることを願っています。これが私からの皆さんへの教員としての最後のメッセージです。

 ご卒業、誠におめでとうございます。

令和5年3月24日
長崎大学医学部長
池松 和哉