卒業生へのメッセージ

令和6年度長崎大学医学部医学科卒業生への祝辞

 親愛なる卒業生の皆さん、学士(医学)の学位取得、誠におめでとうございます。長崎大学医学部医学科の教職員を代表し、心よりお祝い申し上げます。また、皆さんを支えてこられたご家族、保護者の方々にも、お祝いと感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

 永安学長からの式辞にて、皆さんがコロナ禍での学生生活が大変であり、それを教員・学生が工夫をして乗り越えてきたこと、また本年が原爆被爆から80年経過した意義深い年でもあり、原爆の悲惨さ、理不尽さを政界に、後世に伝えていかなければいけない事について言及されました。この2点については、もう一度皆さん各人が噛み締めていただきたいと思います。

 皆さん、医学というものをどう捉えられていますか? 医学とは、単なる知識や技術の集積ではなく、人の命と健康を預かる崇高な使命のものであると思います。その根幹にあるのは「倫理観」ではないでしょうか?医師の倫理観は、日々の診療や判断において不可欠な羅針盤となります。倫理なき医療は、単なる技術の行使に過ぎず、医療の本質から逸脱しています。

 古代中国の思想家・孟子は「惻隠(そくいん)の心」と説きました。「惻隠(そくいん)の心」とは、人の苦しみや悲しみを見たときに、自ずと抱く哀れみの心のことです。孟子はこれを「仁」の本質とし、人として生きるうえで欠かせないものだと考えました。医師の仕事は、まさにこの惻隠の心を基盤とし、苦しむ人に手を差し伸べ、最善を尽くすこと、と皆さん思いませんか?

 ポンぺの言葉を思い出してください。「医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい。」このフレーズは様々なところで触れられ、皆さんが6年間繰り返し何度も意識させられてきたことだと思います。近代医学の父と称されるウィリアム・オスラー博士は「医師とは患者のために存在する。」と述べました。医学の発展によって治療法は進化し、AIやロボット技術が導入される時代となりました。しかし医師が持つべき倫理観は変わることはありません。患者の痛みや不安を理解し、誠実に向き合う姿勢こそが、医師としての価値を決定づけるものと私は思っています。

 倫理観とともに、医師として生涯にわたって大切にすべきものが「理性」です。理性とは感情や直感に流されることなく、倫理的に考え、正しい判断を下す力のことです。医学は常に進歩し続けています。自分が学んだ知識が時代遅れになることもあります。だからこそ、医師は一生学び続け、自己研鑽を怠らない姿勢を持たねばなりません。

 『論語』には「学びて時にこれを習う、また説ばしからずや」とあります。学んだことを実践し、さらに深めることに喜びを見出すことが大切だという教えです医師として、現状に甘んじることなく、最新の知見を学び続け、常に最善の医療を提供できるように努めてください。

 また、医師はしばしば困難な状況に直面します。理不尽なクレーム、判断が難しく、治療が奏功しないことなどに遭遇することもあるかと思います。そんなときに重要なのが、感情に流されず、冷静に物事を判断する理性の力です。アリストテレスは「理性と感情を抑えるのではなく、感情を適切に導く力である。」と述べました。患者やその家族の感情に寄り添いつつも、適切な判断を下し、冷静に対応することが、真に優れた医師の条件ではないかと思います。

 倫理観と理性を持ち続けるためには、医学だけでなく広い教養を持つことが不可欠です。医学は単独の学問ではありません。歴史、哲学、文学、芸術、さらには社会科学や経済学など、多様な学問とのつながりの中で成り立っています。

 例えば、歴史を学ぶことで、医療の発展の背景を理解し、社会の変化に適応する力を養うことができます。哲学を学ぶことで、生命倫理や患者の尊厳について深く考えることができます。文学を読むことで、人間の感情や苦しみに対する共感力を高めることができます。さらに、経済学や社会科学の知識を持つことで、医療の制度や社会的課題をより俯瞰的な視点で捉え、より良い医療を提供するための方策を考えることができます。

 ヒポクラテスは「医学は芸術であり、科学である。」と述べました。医療は単なる科学ではなく、人間を対象とするものであり、人間の営み全体を理解することが求められます。狭い専門知識にとどまらず、幅広い知識と視野を持つことで、より良い医療が実践できるのです。

また、古代ローマの哲人、セネカは「学ぶことをやめたとき、人は老いる。」と言っています。医師として、そして一人の人間として成長し続けるために、生涯にわたる学びを続けてください。知識を深めることで、自らの倫理観をより強固なものとして、理性を磨き続けることができます。

医師としてのキャリアの中で、倫理観と理性のバランスを取ることは容易ではありません。あるときは情に流されそうになり、またあるときは冷徹な判断が求められることもあります。しかし、そのたびに自らに問いかけてください。「これは患者のためになるのか」「私は正しい判断をしているのか」と。

 ヒポクラテスは、「医師は二つのことを行わなければならない。患者を助けること、そして害をなさぬこと。」とも述べています。この言葉は、医学倫理の基本原則として今も受け継がれています。どのような状況でも、この原則を忘れずに、倫理と理性をもって職務を全うしてください。

医師という道は、決して楽なものではありません。しかし、それは同時に、人生において最も意義深い道の一つでもあります。医療を通じて人の命を救い、社会に貢献することができるのは、皆さんが選んだこの職業だからこそ得られる喜びです。

「天は自ら助くる者を助く」と言われるように、自らを学び、努力し続ける者には必ず道が開けます。倫理観を持ち続け、理性を磨き続けるために、教養を深めることを忘れずに歩んでください。その結果として、皆さんがこれから進む道が、多くの人々に希望を与えるものとなることを心から願っています。

 ご卒業誠におめでとうございます。皆さんの未来が輝かしいものでありますように祈念して、私からの式辞とさせていただきます。

令和7年3月25日
長崎大学医学部長
池松 和哉