新入生へのメッセージ

医学部長から新入生へのメッセージ

 医学科新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。

 3年前から始まった新型コロナウイルス感染症のために、皆さんの生活は一変し大変困難な環境の中で勉強をされて来たことと思います。このような困難を乗り越え、入学を迎え晴れやかな気持ちで希望に胸を膨らませていることと思います。この気持ちを忘れずに、長いようで短い6年の間、医学についての勉強のみでなく、社会人、医療人となるための多くの経験、学びをしてもらい、幅の広い人物になってもううことを希望します。

 さて、皆さんはこれから長崎大学医学部で学ぶことになります。つまり、皆さんはこれから医学、医療の見地から教育を受けていくことになります。しかし、我々は単に医師になるための職業訓練の場を提供するつもりではありません。

 医学部は確かに医学という専門的な知識を身につけ、論理的に考え、活用することを教育しする場でもあります。その一方で、大学というのは専門知識を活かすための幅広い教養を学ぶところでもあります。

 例えば、皆さんは今までに哲学の教育を受けたことがありますか?今日は例として、理性というものを考えてみましょう。

 ここでいう理性とは、感情や欲求に流されることなく物事を判断するといった普段の意味あいだけではなく、中世ヨーロッパの神学者であるトマス・アクィナスの論説に基づいて、部分的な知を推論でつなぎ合わせ、より全体に近い知を志向するものと思って下さい。

 最近、対話型AlであるChat GPTが世間を賑わしています。単純なレポート問題をChatGPTに質問すると、極めて正確に解答を出してくれます。法医学について使用してみましたが、教授である私が覚えているよりも詳細な返答を出してくれ、自分は知識ではAl に負けていると感じ凹みました。

 これは、単純な知識、部分的な知では人間は既にAlに敵わなくなっていることを示しています。2015年、今から8年前のことですけれども、イギリスのオックスフォード大学のオズボーン准教授らの研究で、lOから20年後に、日本の労働人口の約49%が就いている職業において、それらに代替することが可能との推計結果が得られました。このニュースは世間に大きな反響があったことから皆さんもこ存知かも知れません。

 そのレポートでは芸術、歴史学・考古学、哲学・神学など抽象的な概念を整理・創出するための知識が要求される職業、他者との協調や、他者の理解、説得、ネゴシェーション、サービス志向性が求められる職業は、Al等での代替は難しい傾向がありますと記載されています。つまり、Alがありふれた時代になっても、部分的な知を推論でつなぎ合わせることができること、つまり、理性が必要とされるということです。

 先ほどから、私は皆さんはこれから長崎大学医学部で学んでいくことになりますとお話ししました。長崎大学で学ぶということは、皆さんが在学中だけでなく、今後の人生において、避けて通れない、意識して欲しい、意識せざるを得ない事柄があるということを理解してください。

 一つは原子爆弾というものについてです。1945年8月9日11時2分、世界で第2発自の原子爆弾により、長崎医科大学と附属医院は壊滅状態となり、890有余名の大学関係者と学生らが犠牲となりました。

 ここで少し考えてみましょう。そもそも何故原子爆弾が長崎に、日本に、落とされることになったのでしょうか?その悲劇は太平洋戦争の過程に起きています。日本は太平洋戦争を始め、そしてその戦争に敗れました。では、どうして日本は蛮行の極致である戦争というものに突き進んだのでしょうか?

 戦前の日本の政治体制は未成熟な民主主義でした。このことは高校までの歴史の授業で習っているかと思います。このために、好戦的な軍人に文民政府がジャックされ、非合理的な拡張的戦争が生じました。

 ここで、今、私が皆さんにお話ができているのは、我々が、今、平和な状態にあるからです。では、平和であること、平和の維持には何が必要でしょうか?

 「永遠の平和のために」という本をこ存知でしょうか?この本はドイツの哲学者、カントが執筆したものです。カントはその本の中で、平和の条件として、民主主義、経済的相互依存、国際制度の3点を挙げています。当時の日本は、先ほどの考えでは、少なくとも、そのうちの一つの条件である民主主義を十分に満たしていなかったということになります。民主・主義は人民が権力を有し、自ら行使する政治形態です。簡単に述べれば、みんなのことは、みんなが話し合って決めるということです。民主主義の基本として、正確かつ充分な情報を提供されることが必要となります。また、その情報に対して判断するという行為が必要になります。これには理性が必要となります。

 昨今、皆さんの情報の源は殆どがネットだと思います。だいぶん知られるようになりましたが、ネットには、特定の意図や悪意を持ったフェイクニュースやプロパガンダに溢れています。何が真実であるのかを見分けるためにも理性が必要となります。つまり、平和のため、平和の維持のためにも、理性が必要となります。

 今までの話から、現在の、これからの平和な社会生活には「理性」が必要であることは認識していただけたかと思います。そして、皆さんは、「理性」を常日頃より研ぎ澄ますことをこれから心がけて下さい。

 理性のような能力、文系的素養は、大学を単なる職業訓練の場と捉えると養うことができません。大学という場で幅広い教養を学び、涵養するようにしてください。

 次に意識して欲しい事項は長崎大学医学部の歴史です。長崎大学医学部は、1857年にオランダ国軍医ポンペ・ファン・メールデルフォールトが医学伝習所において、松本良順やその弟子達に近代西洋医学教育を開始したのを以って開学としています。ポンペ先生の言葉、「医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい」は建学の精神です。1861年には西洋式の病院である小島養生所が開設され、日本で初めてベッドサイドでの医学教育が始まっています。小島養生所跡地に立派なミュージアムがあります。是非一度見学に行って、建学の精神を学び、自分の今後の使命を認識してください。

 先ほど原子爆弾について言及しました。長崎大学医学部の前身である長崎医科大学は原爆によって被災し、壊滅しました。自らも被爆するなかで、放射線障害の研究に献身的に取り組んだ永井隆博士に代表されるように、多くの先人の尋常ならざる、献身的努力により復興を遂げました。そして世界で唯一原子爆弾の被害を受けた医学部として、様々な形で被爆医療に携わってきました。皆さん、永井隆博士の書かれた「長崎の鐘」をご存知でしょうか?是非「長崎の鐘」を読んでいただき、このような先人の努力のもとに今日の長崎大学医学部があることを認識していただきたいと思います。

 昨年2月からロシアがウクライナに侵攻しました。痛ましいことに、子どもを含めたた<さんの一般人が犠牲になってます。特に原子力発電所にまで攻撃を仕掛けていることは由々しき事態です。皆さんは1986年に発生したウクライナのチェルノブイリ原発事故を知っていますか?長崎大学はチェルノブイリ原発事故での放射線による健康被害を調査し、被害者救済支援や被ばく医療学に関する研究で世界的な活躍をしました。このように長崎大学医学部とウクライナとの関係は深く、また長崎大学は、世界で唯一、被爆を経験した医科大学でもあり、今回のロシアのウクライナ侵攻と「核の個喝」に対し、いち早く抗議声明を発表しています。

 歴史の話を続けます。長崎大学にはバイオセーフティーレベル4の施設である高度感染症研究センターが設置されています。これは、戦前より東亜風土病研究所が設置され、熱帯医学研究所となり、連綿と感染症の研究が長崎大学で行われてきたことが大きな理由です。新型コロナウイルス感染症の流行は鎮静化しています。長崎大学は感染症の分野でも日本をリードしており、新型コロナ対策に携わっている方の多くが本学出身です。この新型コロナウイルスに立ち向かう過程を観察しておくことが、皆さんがこれからの医学部での学習、また卒業してから医療人となって新しい疾患に立ち向かう上での大きな糧になると信じています。

 同時に、感染症研究、放射線障害に関する研究のように、一つのことを持続させてきたことで世界的な問題にも対処できたこと、歴史があることよる長崎大学の強さを感じてください。

 長崎大学は現在プラネタリーヘルスをスローガンにしています。グローバルヘルスは世界中の人々の健康を考える訳ですが、一歩進んで人の健康だけでなく地球の健康にも配慮し、そのことがまた人の健康にも還元されるというのがプラメタリーヘルスの考えです。その意味を理解して他学部とも連携して学んでいただきたいと思います。

 皆さんがこれから6年間勉学する中で様々な障壁に阻まれるかもしれません。本学には教育に熱意あふれる指導陣が揃っております。皆さんをサポートして、未来の医学、医療を通じて社会を担う人材として育成したいと思っています。意欲あふれる皆さんといっしょに学ぶことを楽しみにしています。

令和5年4月3日
長崎大学医学部長
池松 和哉